20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

AOKI

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

母からもらった大切な言葉 ~どうして目は~

事実上、母が死を認めた事
諦めた事、負けを認めた事は
僕にとって凄くショックだった。



翌日僕ら3人は母に言われた通り
AOKIに礼服を買いに行った。


礼服と言っても、実際は
間もなく訪れる母の
通夜、告別式で着るための喪服だ。


父が運転する車で
AOKIで礼服を買った後
僕だけ病院の前で降ろしてもらい
父と兄は一旦家に帰った。


この日は家族3人休み。
交代交代で母のお見舞いをしようということになった。


僕は母に会うと、
昨日の事がショックだった為か
自分からは口を開かなかった。


椅子に腰かけ、
ボーっと母の右手を見つめた。


すると母が笑顔で
「AOKIに行ってきた?」
と聞いてきた。


僕は「うん。」とだけ答えて
また下を向いた。


母に対して怒っているわけではない。
一種の放心状態というか
そばにいたいとは思うものの
言葉が出てこなかった。


母はそんな僕を心配してくれて


「昨日はごめんね。母ちゃんまたゆうじを傷つけちゃったね」


と声をかけてくれた。





僕は予想だにしなかった
母の言葉に驚き


「え?」


と答えると


母は僕の目を見つめ


「母ちゃんのことを嫌いにならないでね」


と不安そうな顔で言ってきた。


僕はその言葉を聞いて
一気に涙が溢れ、
下を向きながら


「なるわけねーだろ…。おれはつみのことが大好きなんだから…」



さらにしゃくり泣きながら


「大好きだから…おれ…はつみと…まだまだ…一緒にいたいよ…。」


とまたも懇願した。


そしてそのまま下を向いて
震えながら泣き続けた。



すると母は


「ありがとう^^」


とホッとした様子で
さらに続けて



「ゆうじ、前に教えてくれた好きな言葉をもう一回教えて」


僕は泣いているため
顔をくしゃくしゃにしながら
母を見つめ


「え?なんのこと?わからないよ」


と答えると



母は笑顔で



「どうして目は  ってやつ」



僕は母のその言葉で
母が何の事を言っているのか気がつき


母の真意がわかり
改めて下を向いて泣いた。


そしてしゃくり泣きながら
顔を上げて母を見つめ
一言一言を大事にゆっくりと



「どうして目は前についていると思う?」



言葉に詰まる僕。
母はニコニコしながら僕を見ている。



「別に耳の位置でも、首の後ろでもいいんだ」



「でも目は…この位置にある…」



「それはね、前を…」



この時点で僕はもう号泣して
言葉がしゃべれない。


でも母の為にも
そして今の自分にも、
心に響く言葉だから
続けなければと


意を決して
少し落ち着いた後に
続けて


「それはね、前を向くためだ。下を向くためではなく、前を向くために目をこの位置にあるんだ…」


僕はそう言い切った後、
思わず母の右手を握りしめ
泣き崩れた。


そして少し時間が立ち
顔を上げると母は


「ゆうじありがとうね^^ この先のゆうじの人生、一杯傷つくことがあると思う。」


「でも下を向くんじゃなくて、前を見て歩いていってね^^」


「母ちゃんずっとそばにいるから^^」



僕は母の言葉を聞いて
声を出して泣いた。


以前の僕なら


「何言っているんだよ。死ぬと決まったわけではないのに」


などと、はぐらかしたり、
気休めの言葉をかけたりしていたが


この時の僕は母の言葉を素直に聞けた。




もう本当に母が死ぬことを認めて
死んだ後の事を考えて
僕にエールをくれて
遺言のような言葉を
母の口から直接聞けて、


時間が立てば立つほど
生前の母からこんな素敵な言葉をもらえて
本当に僕は幸せだと感じる。



だから僕はどんなに嫌な事があっても
前を向いて歩いて行ける。
それは『母から託された想い』でもあるから。


仕事やプライベートで嫌な事があって
落ち込んだりした時、道を歩いていると
つい下を見て歩いてしまうことがあるけれど


未だにちょっと下を向いて歩いただけで


(そうだ!前を見て歩かなければ!)


と心の支えとなっている。



この言葉はたしかドラえもんの中で
出てきた言葉で少しアレンジをして
母が元気な頃に、言った言葉。


何気ない時に言った
僕の言葉を覚えていてくれた事が
とても嬉しかったのを覚えている。


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母が負けを認めた日 ~悔し泣きした僕~

酸素が脳に行きにくくなり
次に眠ったらそのままかもしれないという
予断を許さない状況と言われたものの
特にそんなことはなかった。


脳に酸素が行きにくい事で
上の空になったり、ボケたりすることもなく
母は亡くなるまで普通に会話もでき
何も変わらなかった。


そしてある日の夜。
僕は母の前で悔し泣きをした。


僕と兄が知らない所で父と母は
まむなく訪れる今後の事を2人で話し合っていた。


僕と兄がその事を聞かされたのは
家族が全員揃ったある日の夜。


僕の記憶では先に父と母が病室にいて
僕と兄が後から合流した時の事だった。


家族4人しかいないものの
病室内には重苦しい空気が流れていた。


その日は特段、母の体調が悪化したなど
悪い事が起きたわけではなかったのに。


ベットに寝ている母を
僕らが立ったまま囲む。


母から見て右に父
真正面に兄、そして左側に僕が立っている。


母は僕ら3人の顔を見渡した後
口を開いた…。



「おまえたちには礼服が無い。明日父ちゃんと一緒に3人でAOKIに行って、礼服を作って来てほしい。」


僕はあまりに予期せぬ母からの言葉に動揺するとともに
母が死ぬことを受け入れた事、
生きる事を諦めた事、
負けを認めた事にショックを覚え
声を震わせながら


「なんだよそれ…」


「諦めるのかよ…」


どちらかというと、
消えいるように呟くように
僕は悔し泣きをした。


どこにこの怒りをぶつければ良いのかわからない。
かといって納得はできない。


僕は歯を食いしばり、拳を握りしめ
目をつぶりながら顔を下に向け泣いた。


もう99%この状況は変わらないほど
最悪な状況だとはわかっているけれど


母がもう死を受け入れた事が
とてつもなくショックで…。


しかも母から"自分の葬式の為に着る喪服を買って来て"
と言われたことが悲しかったし


母の気持ちを考えると、
やるせなくて…。


すると母がまた口を開いた。
今度は笑顔で


「大丈夫!礼服だから、将来友達の結婚式に出る時にも使えるから^^」


(なんでこんな状況でも笑っていられるんだよ…)


母は無理して笑っているようには見えなかった。
純粋に僕らに提案していた。


僕はそんな母の笑顔を見て


(無理だよ…。おれはその服を着る度にはつみを思い出すよ…。)


(とてもそれを着て結婚式になんて参加できないよ…。)


言葉にはしなかったけれど
僕は心の中でそう強く思った。


母が負けを認めた日
それは僕が悔し泣きをした夜だった。


結局翌日僕らは母に言われた通り
AOKIに礼服を買いに行った。


そして母はこの礼服が完成するまで
しっかりと生きてくれ


母の通夜、告別式に間に合った。


未だにこの礼服を見ると
当時のこの日の夜の事を思い出す…。


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プロフィール

ゆうじ

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