20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

遺影

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

日常になんて戻れない

母の告別式
納骨など
一通りのことが終わった。


父と兄も忌引きが終わり
また仕事の生活が始まった。


僕はというと
母が亡くなったのは2月。
大学は4月まで無い。


昨年の12月から始まった
母の異変、癌発見、
余命宣告、闘病生活
永眠


怒涛の2ヶ月間が
終わったものの


毎日全身全霊で
母に寄り添っていたからこそ
その反動は大きかった。


この約2か月間は
「母中心の生活」
だった。


しかしその生活スタイルから
強制的に解放された僕は


母を失った悲しみと
母がいないこの環境を
受け入れられず、向き合えず
激しい喪失感に襲われた。



この前までは
母が入院している病院に行くのが日課で
その合間を縫って
家事やアルバイトや大学生活を
送っていた。



しかし病院に行く必要が無い
病院に行っても母はいない。


かといって母は
家にもいない。



自由に使える時間がありすぎた分
僕を反対に苦しめた。



仏壇の前に座り
母の遺影を見てずっと泣いている



僕の生活に
母がいない。




この当時、ある人が僕を気遣って



「今はバタバタしていると思うけれど、早く日常の生活に戻れると良いね」



と励ましてくれた。




もちろんその言葉は嬉しかったし
その人が本当に僕の事を心配してくれているのも
十分に伝わったけれど




僕は心の中で




(日常になんて戻れない)



と思っていた。



だって僕のそれまでの
「日常」に戻るには
母がいてこそ
成り立つものだったから。



母が居なくなったこれからは
決して「日常に戻る」ではない。



「母のいない新たな生活」
をスタートさせるに過ぎない。

それこそが
これからの日常になるわけだから。



そう考える一方
僕は母の遺影を見ながら





「もう二度と母の声が聞けない」




「もう二度と母と暮らせない」



「もう二度と母と会話ができない」



それまで当たり前だった事が
もう二度とできない事に




強い悲しみ、
激しい恐怖に襲われ
ひたすら泣いた。



事あるごとに
母の仏壇の前に座り
何度も何度も
泣いた。



こうして僕の
「新生活」は
少しずつ動き始めた。



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当然さ だってこの写真(遺影)は

母の通夜の時が来た。


この時の僕は
当時21歳ということもあってか
親戚や参列者など
知らない人達の前で


泣くわけにはいかない


泣いている姿を見せたくない


【人前で泣く=恥ずかしい事】


などと
考えてしまっていた。


僕はそんなことを考えながら
喪服に着替え、
母が待つ斎場に向かった。


斎場に着くと
入り口に母の名前が書かれた
看板が立っていた。


昔からこの斎場の前を通っていて
こうして故人の名前が書かれていた看板を
何気なく何度も見ていた。



まさかこうして
母の名前が書かれた看板が立つ、
こんな日が来るなんて…。
想像もしたこともなかった。



母の名前が書かれた
この看板を見て
僕の心はとてつもなく震えた。


そして改めて
母が本当に亡くなったんだと
再認識させられた。


そして家族揃って斎場に入った後
兄の会社から受付をしてくれる人達が来てくれて
その人達にお礼の挨拶をしたり


親戚や参列者が
僕ら遺族に次々と
声をかけてくれた。


「まさかこんなに早く亡くなるなんてね…」



「この前お会いした時はお元気そうだったのに…」



「こんな素敵な息子さん達が居ただなんて」



「大きくなったわね」



たくさんの人に
色んな言葉をかけてもらったが
泣かないと決めていた僕は
気丈に振舞い、泣かずにいた。



そして通夜が営まれる直前。
各々が席に着いて
僧侶の到着を待っていた。


すると向かい側に座っていた
親戚席の年配の女性2人が
母の遺影を見ながら
小声で



「良い写真ね」



「そうよね、凄く良い顔しているわよね」



そんなやり取りが聞こえて
僕は目頭が熱くなった。



そして心の中で
こう思った。



(当然さ だってこの写真(遺影)ははつみたっての希望だもん)



母があの時、
自分に何かあった時は遺影にしてと
僕に頼んだ写真だもん。


そう思ったら
当時のやりとりが
走馬灯のように思い出され



(はつみやったね!はつみの写真が褒めてもらえたよ…)



その瞬間、無理して我慢していたせいか
一瞬だけ心の蓋が取れ、涙がこぼれた。


慌ててハンカチで涙を拭き
もう一度、自分の感情に蓋をした。


だがその蓋は通夜が始めると
簡単に外れてしまった。


それもそうだ。
泣き虫の僕がそう簡単に
我慢できるわけがない。



僧侶の読経が始まり
母の写真を見ていたら


突然色んな感情に襲われた



無理矢理、自分の感情に蓋をしていたことで
その反動はいつも以上に大きかった。



母が亡くなったこの現実が
信じられない、
信じたくない



母の通夜なんてしたくない



こんなの辛すぎする…



母が居なくなった、
母が死んでしまった
この現実がこの時一気に
僕に襲いかかってきた。
そんな感覚だった。



受け止めきれない



その思いもあってか
感情が一気に爆発した。



僧侶の読経が続き
いよいよ遺族から始まる焼香。


喪主である父がまず焼香の為
席を立ち、遺族、参列者にお辞儀をした頃には
もうワンワン泣いてしまった。



そしていよいよ僕と兄の番になり
僕は顔をくしゃくしゃして大泣きしながら


親族、そして参列者にお辞儀をして
母の前に立ち、遺影を見ると
そこでも涙がさらに溢れた。


おそらく人生で
一番大泣きしたと思う。


焼香が終わり、自分の席に戻り
次々と親戚が焼香の為、
僕らに一礼をするので
その返しを繰り返ししていく事で
徐々に気持ちが落ち着いていった。



そして遺族の焼香が終わり
参列者の番になると
アルバイト先の店長が
来てくれていたのがわかった。


そして焼香が店長の番になると
店長はしっかりと僕の目を見てくれ
一礼をして焼香を行った。


(はつみ、この人が店長だよ)


僕は母の顔を一瞬見て
そう心の中で話しかけた。




そして僕が最も驚いたのが
中学の時の親友のヒロシがお母さんと
一緒に参列してくれていたこと。



ヒロシのお母さんには
母が入院した時に近所のスーパーで
会った時に報告していたが
ヒロシとは高校も違い、
中学を卒業してから
音信不通状態だったので
本当に驚いた。



ヒロシのお母さんに後で聞いた話だと
たまたまこの日この斎場の前を通ったら
母の名前が書かれた看板が目に入り
母が亡くなった事を知り、
参列したとのこと。


母の為に多くの人が来てくれて
本当にありがたかった。



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ゆうじ

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