母の通夜の時が来た。


この時の僕は
当時21歳ということもあってか
親戚や参列者など
知らない人達の前で


泣くわけにはいかない


泣いている姿を見せたくない


【人前で泣く=恥ずかしい事】


などと
考えてしまっていた。


僕はそんなことを考えながら
喪服に着替え、
母が待つ斎場に向かった。


斎場に着くと
入り口に母の名前が書かれた
看板が立っていた。


昔からこの斎場の前を通っていて
こうして故人の名前が書かれていた看板を
何気なく何度も見ていた。



まさかこうして
母の名前が書かれた看板が立つ、
こんな日が来るなんて…。
想像もしたこともなかった。



母の名前が書かれた
この看板を見て
僕の心はとてつもなく震えた。


そして改めて
母が本当に亡くなったんだと
再認識させられた。


そして家族揃って斎場に入った後
兄の会社から受付をしてくれる人達が来てくれて
その人達にお礼の挨拶をしたり


親戚や参列者が
僕ら遺族に次々と
声をかけてくれた。


「まさかこんなに早く亡くなるなんてね…」



「この前お会いした時はお元気そうだったのに…」



「こんな素敵な息子さん達が居ただなんて」



「大きくなったわね」



たくさんの人に
色んな言葉をかけてもらったが
泣かないと決めていた僕は
気丈に振舞い、泣かずにいた。



そして通夜が営まれる直前。
各々が席に着いて
僧侶の到着を待っていた。


すると向かい側に座っていた
親戚席の年配の女性2人が
母の遺影を見ながら
小声で



「良い写真ね」



「そうよね、凄く良い顔しているわよね」



そんなやり取りが聞こえて
僕は目頭が熱くなった。



そして心の中で
こう思った。



(当然さ だってこの写真(遺影)ははつみたっての希望だもん)



母があの時、
自分に何かあった時は遺影にしてと
僕に頼んだ写真だもん。


そう思ったら
当時のやりとりが
走馬灯のように思い出され



(はつみやったね!はつみの写真が褒めてもらえたよ…)



その瞬間、無理して我慢していたせいか
一瞬だけ心の蓋が取れ、涙がこぼれた。


慌ててハンカチで涙を拭き
もう一度、自分の感情に蓋をした。


だがその蓋は通夜が始めると
簡単に外れてしまった。


それもそうだ。
泣き虫の僕がそう簡単に
我慢できるわけがない。



僧侶の読経が始まり
母の写真を見ていたら


突然色んな感情に襲われた



無理矢理、自分の感情に蓋をしていたことで
その反動はいつも以上に大きかった。



母が亡くなったこの現実が
信じられない、
信じたくない



母の通夜なんてしたくない



こんなの辛すぎする…



母が居なくなった、
母が死んでしまった
この現実がこの時一気に
僕に襲いかかってきた。
そんな感覚だった。



受け止めきれない



その思いもあってか
感情が一気に爆発した。



僧侶の読経が続き
いよいよ遺族から始まる焼香。


喪主である父がまず焼香の為
席を立ち、遺族、参列者にお辞儀をした頃には
もうワンワン泣いてしまった。



そしていよいよ僕と兄の番になり
僕は顔をくしゃくしゃして大泣きしながら


親族、そして参列者にお辞儀をして
母の前に立ち、遺影を見ると
そこでも涙がさらに溢れた。


おそらく人生で
一番大泣きしたと思う。


焼香が終わり、自分の席に戻り
次々と親戚が焼香の為、
僕らに一礼をするので
その返しを繰り返ししていく事で
徐々に気持ちが落ち着いていった。



そして遺族の焼香が終わり
参列者の番になると
アルバイト先の店長が
来てくれていたのがわかった。


そして焼香が店長の番になると
店長はしっかりと僕の目を見てくれ
一礼をして焼香を行った。


(はつみ、この人が店長だよ)


僕は母の顔を一瞬見て
そう心の中で話しかけた。




そして僕が最も驚いたのが
中学の時の親友のヒロシがお母さんと
一緒に参列してくれていたこと。



ヒロシのお母さんには
母が入院した時に近所のスーパーで
会った時に報告していたが
ヒロシとは高校も違い、
中学を卒業してから
音信不通状態だったので
本当に驚いた。



ヒロシのお母さんに後で聞いた話だと
たまたまこの日この斎場の前を通ったら
母の名前が書かれた看板が目に入り
母が亡くなった事を知り、
参列したとのこと。


母の為に多くの人が来てくれて
本当にありがたかった。



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