20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

自転車

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

2009年2月2日午前8時42分

父からの電話で
慌てて病院に向かった僕。



無我夢中で
自転車を飛ばし
脅威的なスピードで
病院に着いた。


4階につくと
猛ダッシュで
母の病室の扉を開けた。







すると…。



































母はまだ生きていた。



















しかし…












見た事のないような
まるで体のどこかから
空気が抜けているような
変な呼吸の仕方をしていた







そして白目の部分が
黄色かった








あの時の母の姿は
死ぬまで忘れない





それぐらいショックな光景だった




脳裏に焼き付くとは
まさにこういうことを言うのだろう…。






見た事のない
呼吸の仕方と
目の色





いくらこれまで
この辛い現実から
目を反らし続けてきた
僕でも




『もう為す術がない』




と諦めるというか




絶望的な光景が
そこにはあった…。













『はつみはもう死んでしまう』



無駄な抵抗であり
母から返事は来ないとわかっていたけれど
体が勝手に動いた。



母は母から見て
右側にある窓(=外)を
一点にじーっと見つめていた



僕はその前に立ち
母に僕を見てもらえるようにと



母を見つめながら



声を震わせ


そして一歩ずつ
近寄りながら




「はつみ…ゆうじだよ…来たよ…」




「ねえ…はつみ…ゆうじだよ…?」



だが目は真っ赤になったものの
いつもなら大泣きするところが
涙はこぼれてこない。



なぜなら放心状態でもあったし、
なにより到底受け止めることができない
絶望的な光景が目の前にあったから。




そして僕は母の横で
立膝をつきながら






「おれが来るまで待っててくれたの…?」





「約束を守ってくれたんだね…」






「無事カエル(帰る)んじゃないのかよ…」




しかし母からは
返事もリアクションも
帰って来ない…





母の病室に着いて
約3分。




もっと言えば
父からの電話で飛び起きたのが
8時30分頃


ここまでトータル約11分








そしてついに









『その時』







が来てしまった





















2009年2月2日午前8時42分






母は僕の前で







息を引き取った…。


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父からの一本の電話 「嫌だよ…はつみ…嫌だよ…」

《その時》は
突然やって来た。



何の前触れもなく
突然やってきた



忘れもしない。



2009年2月2日月曜日



朝8時28分頃。



この3分ぐらい前に
僕は目が覚めた。


ベットの上で
ウトウトしながら
左側に寝がえりを打ち


寝たまま手を伸ばし
その真正面に置いてあった
テレビを付けた。


TBSの朝のニュース
「みのもんたの朝ズバ」の
エンディング。


まもなく次の
「はなまるマーケット」が
始まろうとしていた矢先



ウトウトしていた
僕の頭は一本の電話で
一気に目が覚めた。



携帯電話が鳴り響く。
普段はマナーモードだが
寝ている間に



《その時》が
来るかもしれないと
覚悟をしていたので
鳴るようにしていた。



携帯に表示されているのは
父の名前。



僕はすぐに出た。



電話の先の父がいつもと少し様子が違う。
動揺しているのがわかった。





「今病院から電話があって母ちゃんが危ないと連絡が来た」




僕は胸が締め付けられるように
ドキッとして
一気に起き上がった




普段冷静な父が早口で



「今すぐに病院に向かってほしい」




僕はベットから飛び起きて




「わかった  信幸は今どこにいるの?」




「父ちゃんは兄ちゃんを今送り終わった所。急いで向かうからおまえも今すぐ母ちゃんの所に行ってくれ」



「わかった」



父は何故この月曜日に
仕事を休んでいたのかは覚えていない。



ただきっと母がもう
昨日今日のうちに亡くなる可能性が高いと
1人だけ先生に聞かされていたのだろう。



父は母が元気な頃から
休みの日は



アクセスが悪い兄の職場に
兄を車で送って行くのがほとんどだった。




話が逸れてしまったが
僕は父からの突然の電話で
飛び起き、




雨戸も開けず
寝ぐせも直さず
急いで病院に向かった。



母が緊急入院、緊急手術したあの日と同様
火事場の馬鹿力というか
ものすごい速さで病院に着いた。


普段なら自転車で10分ぐらいかかる所を
おそらく5分ぐらいで着いたと思う。



僕は病院に向かう途中



全力で自転車を漕ぎながら



「嫌だよ…はつみ…嫌だよ」



「間に合ってくれ…」



と何かに取りつかれたように
独り言を言いながら



そして泣きながら
病院に向かった。



あの時の病院に向かっている光景は
今でも忘れられない…。





病院に着き
急いで4階の母の元へと急ぐ僕。




(お願い!生きててくれ…)







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