母に告知をした日から次の日の朝。
言葉は正しいかはわからないが


僕は母にもう嘘をつかなくて良い事に
嬉しくなり、久しぶりに目覚めの良い朝を迎えた。


そして朝10時からアルバイトへ向かった
アルバイト先は歩いて5分程度の所の
グッズショップ。



(病院着いたら母に何と言って今後に向けて励まそうかな^^)
など前向きな気分で仕事をしていた。


この時の僕は

本当におめでたい奴だった。


ただ僕の考えていた事は
浅はかで最低だった。



一番に考えなければいけない事
一番忘れてはいけない想い
一番大切にしてきた想い


それらを見失ってしまっていた。
自分の事だけを考えていた…。


アルバイトでの勤務が終わり
僕は母の元へと向かった。


この日は9階から4階の病室に
移動する事になっていた。


病院に着いて
4階のナースステーションで
母の新しい病室を聞き
意気揚々と母の待つ病室へ向かった。


6人部屋の入って左側の真ん中のベット。
その母がいるであろうベットの前には
親戚のおばさんが立っていた。


しかしなぜか神妙な顔をしている…。


(おばさんだ。どうしたんだろう…?)


廊下側のカーテンが閉まっているので
僕の存在には母は気づいていない。


何となく只事ではないと感じ
恐る恐る近づき、
親戚のおばさんに軽く会釈をして
カーテンをめくり母の顔を覗く僕…






すると…。








次の瞬間、一瞬にして
僕は前日に取った
自分の
母に対する心無い言動を
心の底から後悔することとなった。




母はその親戚のおばさんに向かって
取り乱したように


「お母さんが…お母さんが…」


とパニックを起こしたように

泣いていた。


母は僕に目もくれず

ひたすら泣き続けた。


叔母さんは
「はつみちゃんお母さんは大丈夫だから、ほら息子さんも来たわよ」
と言って気を紛らわせようとしてくれた。


でも母は取り乱したようにひたすら
泣いていた。



母は腹痛を訴え始めた12月上旬まで
老人ホームに入居していたおばあちゃんに
1週間に1回ぐらいのペースで会いに行っていた。


老人ホームにいるため、
おばあちゃんも母のお見舞いに来れないし
母もまたこんな状態だから
おばあちゃんに会いに行けない。


母は告知を受け、
自分の母親(=おばあちゃん)に対して


母親より先に亡くなってしまう事
母親に会いたくても会えない


などの様々な想いに襲われ、
感情が爆発したのろう…。



僕は前日とは打って変わった
母の姿を見て
ようやく前日に自分が取った言動が
大きな間違いだったことに気づいた…。


その瞬間母に対する
申し訳ない気持ちというか
罪悪感というか


胸をえぐられるような
自責の念に襲われ
僕も感情が一気に爆発して
その場で泣いてしまった。


(おれは…おれはなんて最低なことをしてしまったのだ…)



僕は独り言のように
消え入るような声で



「ごめん…はつみ…ごめん…本当にごめん…」


とだけ母に言い、また慌てて廊下へ
そしてロビーへと逃げた。


(かける言葉など見つからない)


(おれには、はつみに言葉をかける資格などない)



大粒の涙がとめどなく溢れた。
自責の念に心が耐えられなかった。



その後ロビーに叔母さんが来て
現在の母の様子を教えてもらい
励ましの言葉をもらって
僕は叔母さんを見送った。


そして何度も何度も深呼吸をして
気持ちを落ち着かせて母の待つ病室へと向かった。









今こうして約9年立って改めて考えると


自分が親より先に亡くなる事
親に会いたくても会いに行けない事
会いに行けないし、電話もできないから
感謝の思いも伝えられない事



怖くて恋しくて
会いたくて、でも会えなくて…。



健康でまだまだ人生が長くある僕ですら
漠然としているとはいえ
考えるだけで恐怖などを感じるのだから



突然余命を宣告されそれが3ヶ月しかないと
言われればパニックになるのは当然だと思う。


どうしてこんな大事な事に告知の日に
気づけなかったのか。


どんな状況であれ、
例え泣くことしかできなくても
告知の時は家族には
同席してほしいと強く思う。


僕は母の時のこの経験があったからこそ
この8年後に起きる
父の告知の時に自ら率先として同席した。


案の定、泣く事しかできなかったけれど
同席して本当に良かったと強く思う。





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