1月も後半に入り、
大学の冬休みが明けた。


当時僕は21歳、大学3年生。
後期のテストが行われたり
テストがない講義は
レポート提出が課せられていた。


僕は母のお見舞いや
家に帰ってから簡単な家事の傍ら
レポートを書いた。


ただ幸いな事にテストの講義は
記憶があいまいだが2科目しか
無かった気がする。


なので母のお見舞いが終わった後に
夜寝る前の時間を使って
平均2000字ぐらいのレポートを書いた。
3、4科目がレポート提出だったと思う。


なので大学が始始まっても
特に母のお見舞いに支障はそこまでなく
母のお見舞いに専念できた。


母に告知をしたあの日から
2、3日が過ぎて
この頃には母もようやく落ち着き始め

特別大きな問題も起きず
過ごせていた。


しかしそんな平穏な日々は
そう長くは続かない…。


母との別れの時間は
確実に、そして着実に迫ってきた…。


この日は兄が休み。
僕はテストを受けに大学へ。


兄はこの日
母のお見舞いに行ってくれていた。


テストが終わり、
兄と母の待つ病室へと向かった。


僕が病室に着いて
母の様子を見ると
大丈夫そうだった。


母に「テストを受けて来た」
などと報告して


兄と母から、
母の今日の様子を教えてもらったり
他愛のない会話をした。


僕が病室に着いて
この時点で3分も立っていなかった。





すると…




母の様子がしだいに…





呼吸が少しずつ荒くなってくる…



そして徐々に
呼吸困難のような状態になり



次の瞬間…



「わーーーーーーーーーーーーーーーー」



「ぎゃあーーーーーーーーーーーーーーーー」



突然苦しみだし
何と表現すれば良いかわからないぐらいの
大きな悲鳴を上げ始めた。



その母の大きな悲鳴は
病室のみならず、病棟にまで鳴り響いた…。



僕はそんな母の姿を見て
パニックになりいつものように
恐怖に震えその場で泣いた。



同じ病室の人、
またお見舞いに来ている家族が
一斉に自分たちのカーテンを開けたり、
僕らに視線を送ってくる。


そしてすぐに看護師の方達も
慌ててやって来る。


「どうしましたー?大丈夫ですかー?」


看護師の方達も慌てているのが
僕にでもわかる。


僕はその間もずっと
体が動かないというか
その場で立ち尽くし、
目の前で起きていることを
見ながら
ひたすら恐怖のあまり
泣き続けていた。


そして母がずっと
大きな悲鳴を上げているので
病棟内は騒然としていたが


少し時間が立って
真向いの個室へと母だけが
ベットのまま移動された。


今思い出しても当時のあの悲鳴と
あの光景が蘇ってきて心拍数が上がる…。


僕はこの時


(このままはつみは死んじゃうんじゃないか…)


(このまま別れるなんて嫌だよ…)


(まだ何もはつみに伝えられていないよ)


(神様お願い!!まだはつみを連れて行かないで)


(おれが来てまだ5分も立っていないのになんでだよ!)


(おれが来たせいか?)


などと
力いっぱい神様に懇願したり

自分に対して怒ったり
自分を責めたり混乱し続けた…。


僕は母が先程までいたこの病室で、
母がいなくなったにもかかわらず、
ひたすら体を震わせながら泣き続けた



この日が母が団体部屋で過ごしたのは
最後の日となった…。


この約1週間後
移動した先のあの部屋で
母を看取る事となる…。



僕の人生にとって
あの部屋は特別な部屋。




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