20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

母が亡くなる前日~僕が取った不謹慎で軽率な行動~

僕には母に告知をした夜と
同じぐらい後悔している日がある。


それは母が亡くなる前日に取った
僕の不謹慎で軽率な行動によって


父を激怒させ、
母を不安にさせ、
そして悲しませてしまうこととなる。


これまで仲が良かった家族だったのに
家族全員で過ごせた『最後の日』
となったにも関わらず


僕のせいで父と軽い喧嘩をしたことで
微妙な距離感が生まれてしまった。


あんなことをしなければ良かったと
ずっと後悔している。




2009年2月1日日曜日
朝8時過ぎ。


今でも忘れない。


起きて父に「おはよう」と挨拶をして
父はこの日も僕が起きると
焼き魚を焼き始めてくれた。


そして出来立ての朝ご飯を用意してくれて
僕が食べ始めるのを見ると、
父は近所のコンビニにタバコを買いに行った。


父が出掛けてすぐ、
家の電話が鳴り響く。


(こんな朝早く誰だよ)


と若干の苛立ちを覚えながら
電話に出ると…。



電話の主は母だった。



母はすごく悲しそうな声で



「どうして来てくれないの…?」


と聞いてきた。


僕は


「ごめん すぐに行くから待ってて!」



と電話を切った。



寝たきりの母がどうやって
電話を掛けたのかは未だにわからない。


車椅子に乗る体力すら
残されていない状態だったのに
どうやって掛けたのか
多少の疑問を持ちながら
急いで着替えた。



そして僕はここで
不謹慎で軽はずみな行動を取る。


食べ始めたばかりの食事。


少し待っていれば
父は帰ってくる。


父が帰りを待ってからでも
良かったのに、


なんでこんなことを思ってしまったのか
この時の僕は


(信幸を驚かせてやろう)


と食べかけの食事と
食器を机の上にそのままにして、
置手紙もせず、
そのまま病院に向かった。


傍から見ればまるで母の容体が急変して
慌てて病院に向かったような状況


僕は考えなくてもわかるぐらい
やってはいけない冗談をしたまま
病院に向かってしまった。


自転車で急いで病院に向かい
母が待つ病室に行くと


母は僕の顔を見るなり


「あ~来てくれた」


と安堵した様子だった。



昨日まで僕の事を励ましてくれていたのに
母は凄く僕の事が恋しそうだった。


僕は一旦、母に顔を出して
母をホッとさせられたので
父を1階のロビーに迎えに行った。


案の定、父から着信が数件入っており
1階のロビーに着いて電話をかけると


父はちょうど病院の駐車場に
車を止め終わった所だった。



電話の先の父の声は怖かった。


先程の母との電話の経緯を話して
母の無事を伝え終わった頃には
入り口の方から父が歩いてくるのが見えた。


この日は日曜日。
病院はガラガラだった。


僕はネタバラシというか
父をからかった事に満足して
笑みを浮かべながら
父の元へ向かうと



父は怒りを噛み殺すように
凄く険しい顔で近づいてきた。


父のあんな怖い顔をしているのを見たのは
21年一緒に居たが初めてだった。



父は凄く温厚で
子供の時から
怒鳴られたり、
手を挙げられたことは一度もなく


僕が言うのも変だけど
父は人間ができていたので
とても優しい人だった。


そんな父を怒らせてしまった。


父は


「母ちゃんは本当に大丈夫なのか?」



「何度も電話したんだぞ」 



「赤信号も無視して来たんだ」



怒りを噛み殺しながら
父は僕に怒っていた。



僕は優しい父を怒らせてしまった事に
動揺して、また自分の非を認めようとせず



(な、なんだよ…そこまで怒る事ないじゃん…)



と自分を正当化しようとした。




そしてこの不謹慎で軽率な行動は
この後母を不安にさせて
そして母を悲しませてしまうこととなる…。





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生きているうちにどうしても母に伝えたかったこと

母が緊急入院、緊急入院をして
余命3ヶ月を宣告されたあの日から



僕には母が亡くなるまでに
『絶対に伝えたい事』が
ひとつだけあった。


でもそれは母が亡くなる直前になったら
言おうと心に決めていた。


その伝えたい事とは










『はつみの子供で幸せだよ』










という言葉。





この言葉だけは
どうしても伝えたかった。




母が生きているうちに
母に感謝の思いを伝えたい。



ただの自己満足かもしれないけれど
これだけは伝えたいと思っていた。



そして母が亡くなる2日前。
僕は母との残りの時間を考えて
この事を伝えることにした。



この時の光景も鮮明に覚えている。


この日僕は病室に着くと


嬉しそうに母が



「昨日教えてくれた好きな子とは昨日も連絡したのか?」



と聞いてきた。


余程、初めて息子の口から
好きな異性の事を聞けたのが嬉しかったのだろう


母はニコニコしていた。



僕は照れくさく


「うん」


とだけ答えた。



しかしこの日の僕はもう
母に感謝の思いを伝える事しか
頭に無かった。



そして僕は唐突に立ち上がり
母が寝ているベットの両サイドについている
手すりを握り、母の顔を見て
いきなり号泣した。


いきなり泣き始めた僕を見て
母は



「どうした?」


と心配そうに
声をかけてくれた。



僕は泣きながら
深呼吸をして



「はつみ…おれ…」



母の顔を見て
涙が止まらない。


いざ感謝の思いを伝えようとしたら
様々な感情に襲われ、
言葉が出てこない。


ついにこの言葉を
言わなければいけない時が来てしまった。


でも生きているうちに言わなければ
絶対に後悔する。


そんなことを考えながら
しゃくり泣きをして


「はつみ…おれ…はつみと信幸の子供で…し、幸せだよ」


なんとか言い切れたものの
目を瞑って、声を出し
震えながら泣いた。



すると母が
ニコッと笑い


「ありがとう そう言ってもらえて母ちゃんも幸せだよ^^」



僕は母のその言葉を聞いて
さらに声を出し泣いた。



言えて良かった。



母の口から幸せと言ってもらえて嬉しかった。



これを伝える、イコール自分の中で
『最期』と位置付けていたので


うまく表現できないけれど



『これで母とお別れ』



というような感覚だった。






ただ当時も心の底では思っていたけれど
心を込めて『両親の子供で幸せ』と言えたものの


僕の言葉には『中身が無かった』


どこかモヤモヤした気持ちがあった。



でもそれは当然だった。


なにしろ突然一ヶ月前に突き付けられた


『母との残りの時間があとわずかしかない』


という現実に対し
流されるままに過ごし



これまで21年間しか
母と過ごしてこなかったから


この時の僕は
今まで過ごしてきた人生で
母に対して
心から感謝できていなかった
と自覚していた。



もっと言えば
言葉が正しいかはわからないが


母との残りの時間が少ないからと
慌てて感謝の思いを告げたような感覚だった。


この後、母を失ったことで
初めて、そして少しずつ
母の偉大さがわかってきて


ようやく本当の意味で
母に対する感謝の思いが芽生えてきたと
感じるからこそ



当時21歳だった自分の言葉には
中身が無かったように思えてならない。


でも生きているうちに
母に直接言えた事と
母の口から「幸せ」という言葉を聞けたことが


僕にとって
大きな財産でもあり
大切な宝物となった。



生きているうちに伝えられて
本当に良かったと心の底から思える。



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おまえには無理だ^^

いよいよ母と過ごせる
残りの時間もあとわずか


母の口から死を受け入れた発言を聞くようになり
このあたりから本当の意味で
僕も『その時』を真剣に考えるようになった。


だから僕は母が生きているうちに
伝えたいことを伝えなければと決心した。


この日僕は母に会う前から緊張していた。


それは母の体調に関してではなく、
自分の事でだった。


それは母にこれまで一度もしたことのなかった
『好きな人がいる』というのを伝えること。


僕は30歳になる今でも
人生で彼女ができたことがない。


この当時(21歳時点で)も
彼女はいなかった。


これまでの21年間、
彼女ができた事がなかったこともあり
母と好きな人の事や
女性の話をしたことは皆無だった。


しかしこの当時、
こんな僕にも
2歳下の高校の後輩の好きな子がいた。


その子とは知り合った当時から
毎日のようにメールをして
時には電話をしたりして、
付き合ってはいなかったけれど
母が入院した時からも
ずっと支えてもらっていた。


僕にもそんな人がいる。


母が亡くなる前に
『自分にも好きな人がいること』
をきちんと伝えたいと思った。


それはノロケでも自慢でも何でもない。
ただ純粋にこれまでの人生で
そういった恋愛の話などしてこなかった僕にも
『好きな人がいるんだ、だから心配しないでね』
と安心させてあげたかったから。


そしていよいよその時を迎える。
僕は母の前で深呼吸をして



「はつみ、今日は大事な話があるんだ。2人だけの秘密にしてくれる…?」



「ん?なにかな?^^」



心拍数が上がり、
心臓がバクバクしているのが
自分でもわかった。


再度深呼吸をして


「実はオレ、好きな人がいるんだ」


「高校の後輩の子で、はつみが入院した時からもずっと支えてもらっていて」


「付き合ってはいないから誤解しないでね」


「ただの片想いだからさ」


僕は勢いに任せ、
聞かれてもいないことまで
母に話した。


すると母は驚いた感じではなく
嬉しそうに


「へ~ゆうじにも好きな人がいたのか^^」



とニタニタしながら僕を見てきた。



この時の光景は今でも覚えている。


僕は携帯を取り出し
母にその子の写真を見せた。



すると母は



「かわいい子だね^^」



そしていたずらっぽく笑いながら



「おまえには無理だ^^」



とからかってきた。



僕も笑いながら



「なんだよそれ^^」



と言い返した。




母は凄く嬉しそうだった。



僕の勝手な解釈かもしれないけれど
僕の口からこれまで一度たりともしてこなかった
恋愛の話を聞けたことが嬉しかったのだと思う。



僕もまた嬉しかった。
母とこういった照れくさい話ができて。


そして同時に元気な時にも
しておけばよかったと。


何とか母が亡くなる前に
話せてよかった。


そして僕には母にもうひとつ
伝えておきたいことがあった。



でもそれは照れくさくて
また『できればまだ言いたくない事』
でもあった。


なのでこの日は言わず
明日にしようと決めた。


これは母が亡くなる3日前の話。


母が亡くなるまであと2日。


翌日、僕は泣きながら母にある想いを伝える。









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母からもらった大切な言葉 ~どうして目は~

事実上、母が死を認めた事
諦めた事、負けを認めた事は
僕にとって凄くショックだった。



翌日僕ら3人は母に言われた通り
AOKIに礼服を買いに行った。


礼服と言っても、実際は
間もなく訪れる母の
通夜、告別式で着るための喪服だ。


父が運転する車で
AOKIで礼服を買った後
僕だけ病院の前で降ろしてもらい
父と兄は一旦家に帰った。


この日は家族3人休み。
交代交代で母のお見舞いをしようということになった。


僕は母に会うと、
昨日の事がショックだった為か
自分からは口を開かなかった。


椅子に腰かけ、
ボーっと母の右手を見つめた。


すると母が笑顔で
「AOKIに行ってきた?」
と聞いてきた。


僕は「うん。」とだけ答えて
また下を向いた。


母に対して怒っているわけではない。
一種の放心状態というか
そばにいたいとは思うものの
言葉が出てこなかった。


母はそんな僕を心配してくれて


「昨日はごめんね。母ちゃんまたゆうじを傷つけちゃったね」


と声をかけてくれた。





僕は予想だにしなかった
母の言葉に驚き


「え?」


と答えると


母は僕の目を見つめ


「母ちゃんのことを嫌いにならないでね」


と不安そうな顔で言ってきた。


僕はその言葉を聞いて
一気に涙が溢れ、
下を向きながら


「なるわけねーだろ…。おれはつみのことが大好きなんだから…」



さらにしゃくり泣きながら


「大好きだから…おれ…はつみと…まだまだ…一緒にいたいよ…。」


とまたも懇願した。


そしてそのまま下を向いて
震えながら泣き続けた。



すると母は


「ありがとう^^」


とホッとした様子で
さらに続けて



「ゆうじ、前に教えてくれた好きな言葉をもう一回教えて」


僕は泣いているため
顔をくしゃくしゃにしながら
母を見つめ


「え?なんのこと?わからないよ」


と答えると



母は笑顔で



「どうして目は  ってやつ」



僕は母のその言葉で
母が何の事を言っているのか気がつき


母の真意がわかり
改めて下を向いて泣いた。


そしてしゃくり泣きながら
顔を上げて母を見つめ
一言一言を大事にゆっくりと



「どうして目は前についていると思う?」



言葉に詰まる僕。
母はニコニコしながら僕を見ている。



「別に耳の位置でも、首の後ろでもいいんだ」



「でも目は…この位置にある…」



「それはね、前を…」



この時点で僕はもう号泣して
言葉がしゃべれない。


でも母の為にも
そして今の自分にも、
心に響く言葉だから
続けなければと


意を決して
少し落ち着いた後に
続けて


「それはね、前を向くためだ。下を向くためではなく、前を向くために目をこの位置にあるんだ…」


僕はそう言い切った後、
思わず母の右手を握りしめ
泣き崩れた。


そして少し時間が立ち
顔を上げると母は


「ゆうじありがとうね^^ この先のゆうじの人生、一杯傷つくことがあると思う。」


「でも下を向くんじゃなくて、前を見て歩いていってね^^」


「母ちゃんずっとそばにいるから^^」



僕は母の言葉を聞いて
声を出して泣いた。


以前の僕なら


「何言っているんだよ。死ぬと決まったわけではないのに」


などと、はぐらかしたり、
気休めの言葉をかけたりしていたが


この時の僕は母の言葉を素直に聞けた。




もう本当に母が死ぬことを認めて
死んだ後の事を考えて
僕にエールをくれて
遺言のような言葉を
母の口から直接聞けて、


時間が立てば立つほど
生前の母からこんな素敵な言葉をもらえて
本当に僕は幸せだと感じる。



だから僕はどんなに嫌な事があっても
前を向いて歩いて行ける。
それは『母から託された想い』でもあるから。


仕事やプライベートで嫌な事があって
落ち込んだりした時、道を歩いていると
つい下を見て歩いてしまうことがあるけれど


未だにちょっと下を向いて歩いただけで


(そうだ!前を見て歩かなければ!)


と心の支えとなっている。



この言葉はたしかドラえもんの中で
出てきた言葉で少しアレンジをして
母が元気な頃に、言った言葉。


何気ない時に言った
僕の言葉を覚えていてくれた事が
とても嬉しかったのを覚えている。


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明日も生きてほしい

前日渡したはつみコレクションのMD。
昨日病院に行く前にこのMDNに


コブクロさんと綾香さんのコラボ曲
「あなたと」とという曲を1曲だけ追加しておいた。




この曲もまたJULEPSさんの「旅立つ日」同様に
母が癌が見つかった事で歌詞の捉え方が180度変わった。


この曲はまさに当時の僕の気持ちを
代弁してくれているような曲だった。


特に僕の気持ちだったのが
歌詞の中の


"君を傷つけたくない" この言葉に逃げていた
本当は誰より自分が一番 傷つくのが怖くて


まさにこれだった。
入院した時から今日まで
「はつみを傷つけたくない」という言葉に逃げていた。
本当は誰より自分が一番傷つくのが怖かっただけ…。


この言葉で都合よく
自分に言い聞かせていただけだった…。


僕は恐る恐る母に


「コブクロの曲聴いた?」と問いかけた。


母は
「聴いたよ^^なにか母ちゃんとゆうじのための曲だね^^」
とニコッと笑っていた。


僕は嬉しくて「うん^^」と目に涙を貯めながら答えた。


そして僕はこの曲の最後の歌詞にある
「明日も会いたい」と母に懇願した。


それはただ会いたいというわけではなく
"明日も生きていてほしい"という想いを込めて…。





歌詞はこちら
   ↓↓↓

さっきまで泣いてた君が 今隣で笑ってる
少し先に待ってたこの未来に たどり着けて良かった



"君を傷つけたくない" この言葉に逃げていた
本当は誰より自分が一番 傷つくのが怖くて



今夜 孤独と自由を羽にして あなたに会いにゆく
壊れそうな心の止まり木は あなたと架けた願い



出逢ったあの日の夢を見た 手もつなげないまま二人
笑い声が ただ時をつないだ 未来なんてまだ見えなかった



目が覚めて 君想えば 手のひらにこぼれ落ちた
あの日のぬくもり そっと握り返して 溢れた涙に目を閉じた



どんな 些細な痛みも分け合って あなたと歩けたら
途切れそうな心も抱きしめて あなたのそばにいたい



どんな 孤独も自由も羽にして あなたに会いにゆく
壊れそうな心の隣には あなたと描く未来



どんな 些細な痛みも分け合って あなたと歩けたら
途切れそうな心も抱きしめて あなたのそばにいたい



明日もそばにいたい













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