20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

懇願

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

明日も生きてほしい

前日渡したはつみコレクションのMD。
昨日病院に行く前にこのMDNに


コブクロさんと綾香さんのコラボ曲
「あなたと」とという曲を1曲だけ追加しておいた。




この曲もまたJULEPSさんの「旅立つ日」同様に
母が癌が見つかった事で歌詞の捉え方が180度変わった。


この曲はまさに当時の僕の気持ちを
代弁してくれているような曲だった。


特に僕の気持ちだったのが
歌詞の中の


"君を傷つけたくない" この言葉に逃げていた
本当は誰より自分が一番 傷つくのが怖くて


まさにこれだった。
入院した時から今日まで
「はつみを傷つけたくない」という言葉に逃げていた。
本当は誰より自分が一番傷つくのが怖かっただけ…。


この言葉で都合よく
自分に言い聞かせていただけだった…。


僕は恐る恐る母に


「コブクロの曲聴いた?」と問いかけた。


母は
「聴いたよ^^なにか母ちゃんとゆうじのための曲だね^^」
とニコッと笑っていた。


僕は嬉しくて「うん^^」と目に涙を貯めながら答えた。


そして僕はこの曲の最後の歌詞にある
「明日も会いたい」と母に懇願した。


それはただ会いたいというわけではなく
"明日も生きていてほしい"という想いを込めて…。





歌詞はこちら
   ↓↓↓

さっきまで泣いてた君が 今隣で笑ってる
少し先に待ってたこの未来に たどり着けて良かった



"君を傷つけたくない" この言葉に逃げていた
本当は誰より自分が一番 傷つくのが怖くて



今夜 孤独と自由を羽にして あなたに会いにゆく
壊れそうな心の止まり木は あなたと架けた願い



出逢ったあの日の夢を見た 手もつなげないまま二人
笑い声が ただ時をつないだ 未来なんてまだ見えなかった



目が覚めて 君想えば 手のひらにこぼれ落ちた
あの日のぬくもり そっと握り返して 溢れた涙に目を閉じた



どんな 些細な痛みも分け合って あなたと歩けたら
途切れそうな心も抱きしめて あなたのそばにいたい



どんな 孤独も自由も羽にして あなたに会いにゆく
壊れそうな心の隣には あなたと描く未来



どんな 些細な痛みも分け合って あなたと歩けたら
途切れそうな心も抱きしめて あなたのそばにいたい



明日もそばにいたい













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病棟内に鳴り響く母の悲鳴

1月も後半に入り、
大学の冬休みが明けた。


当時僕は21歳、大学3年生。
後期のテストが行われたり
テストがない講義は
レポート提出が課せられていた。


僕は母のお見舞いや
家に帰ってから簡単な家事の傍ら
レポートを書いた。


ただ幸いな事にテストの講義は
記憶があいまいだが2科目しか
無かった気がする。


なので母のお見舞いが終わった後に
夜寝る前の時間を使って
平均2000字ぐらいのレポートを書いた。
3、4科目がレポート提出だったと思う。


なので大学が始始まっても
特に母のお見舞いに支障はそこまでなく
母のお見舞いに専念できた。


母に告知をしたあの日から
2、3日が過ぎて
この頃には母もようやく落ち着き始め

特別大きな問題も起きず
過ごせていた。


しかしそんな平穏な日々は
そう長くは続かない…。


母との別れの時間は
確実に、そして着実に迫ってきた…。


この日は兄が休み。
僕はテストを受けに大学へ。


兄はこの日
母のお見舞いに行ってくれていた。


テストが終わり、
兄と母の待つ病室へと向かった。


僕が病室に着いて
母の様子を見ると
大丈夫そうだった。


母に「テストを受けて来た」
などと報告して


兄と母から、
母の今日の様子を教えてもらったり
他愛のない会話をした。


僕が病室に着いて
この時点で3分も立っていなかった。





すると…




母の様子がしだいに…





呼吸が少しずつ荒くなってくる…



そして徐々に
呼吸困難のような状態になり



次の瞬間…



「わーーーーーーーーーーーーーーーー」



「ぎゃあーーーーーーーーーーーーーーーー」



突然苦しみだし
何と表現すれば良いかわからないぐらいの
大きな悲鳴を上げ始めた。



その母の大きな悲鳴は
病室のみならず、病棟にまで鳴り響いた…。



僕はそんな母の姿を見て
パニックになりいつものように
恐怖に震えその場で泣いた。



同じ病室の人、
またお見舞いに来ている家族が
一斉に自分たちのカーテンを開けたり、
僕らに視線を送ってくる。


そしてすぐに看護師の方達も
慌ててやって来る。


「どうしましたー?大丈夫ですかー?」


看護師の方達も慌てているのが
僕にでもわかる。


僕はその間もずっと
体が動かないというか
その場で立ち尽くし、
目の前で起きていることを
見ながら
ひたすら恐怖のあまり
泣き続けていた。


そして母がずっと
大きな悲鳴を上げているので
病棟内は騒然としていたが


少し時間が立って
真向いの個室へと母だけが
ベットのまま移動された。


今思い出しても当時のあの悲鳴と
あの光景が蘇ってきて心拍数が上がる…。


僕はこの時


(このままはつみは死んじゃうんじゃないか…)


(このまま別れるなんて嫌だよ…)


(まだ何もはつみに伝えられていないよ)


(神様お願い!!まだはつみを連れて行かないで)


(おれが来てまだ5分も立っていないのになんでだよ!)


(おれが来たせいか?)


などと
力いっぱい神様に懇願したり

自分に対して怒ったり
自分を責めたり混乱し続けた…。


僕は母が先程までいたこの病室で、
母がいなくなったにもかかわらず、
ひたすら体を震わせながら泣き続けた



この日が母が団体部屋で過ごしたのは
最後の日となった…。


この約1週間後
移動した先のあの部屋で
母を看取る事となる…。



僕の人生にとって
あの部屋は特別な部屋。




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ゆうじ

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