20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

想い

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

兄から聞かされた母の想い

あれが母との最期の会話になったとは
この時の僕は知る由もなかった。


兄は病院に残り、
先に帰った僕はお風呂を沸かした。
父は夕飯の準備をしていた。


お風呂が沸き1番風呂に入った。


いつもなら兄が
母と何を話しているのか気にならなかったが


この時は湯船に浸かりながら



ただ純粋に兄と母の会話の内容が
とても気になった。


そんなことを考えていると
門の開く音が聞こえ
玄関のドアが閉まった振動が伝わった。


兄が帰って来た。


兄は手洗いうがいをしに
脱衣室にやって来た。


湯船に浸かっている僕。
扉越しに兄の姿がボヤけて見える。



「おかえり」



「ただいま」



「ねえ母ちゃんと何を話したの?」



僕は唐突に兄に問いかけた。



すると兄は扉越しに



「今日はおまえの様子が最初おかしかったと心配していたよ」



「あ~ちょっと朝、父ちゃんを怒らせちゃってね…」



僕がそう答えて
一旦会話が終わったと思ったら


「今湯船?」


と聞いてきたので


「うん」


と答えると



兄がいきなり
浴室の扉を開けてきた。


僕は普段眼鏡をかけているため
お風呂に入る時は当然メガネを外している。


兄の顔がボヤけて
全然見えなかった。



「母ちゃんね、入院してから『ゆうじが心配』『ゆうじが心配』ってずっと言っていたよ」



「え?」



あまりにも突然で
思いがけない事を
兄から言われ、


僕は兄の言葉を理解するのに
少し時間がかかった。


そして兄は



「今日も帰る時、ゆうじが心配。だからゆうじの事頼むね、って言っていた。」




とさらに僕に語り掛け
兄は扉を閉め、
脱衣室から出て行った。



あっけにとられていた僕は
ようやく兄から言われた言葉に目を向けた。



僕の知らない所で
「ゆうじが心配」と
母が心配をしていてくれたこと



もちろん母が僕の事を
心配してくれていたのは
言葉にしなくても
母から伝わって来ていたけれど


入院した時から
ずっと僕のことを
心配していたという事実を知り


兄から聞かされた母の想いを聞いて
僕は改めて母が
僕の事を考えてくれていた事に
感情が爆発して
声を出しながら泣いた。


そして考えてみれば
母が入院してから、より兄が
僕にコミュニケーションを取ってくれたり
気を紛らわせてくれたりした事がわかり
兄に対しても感謝の思いが芽生え涙が溢れた。



僕は父にも兄にも
そして何より母にも
たくさんの心配をかけたり
たくさん気を遣わせてしまっていたのだと
自分に腹が立った。


父と兄には
母の事だけを考えてあげる事に
時間を使わせてあげたかった。


そして母には自分の体の事、
残りの時間を考える事に
目を向けさせる事が
僕にはできなかった。


現に僕は父と兄の事を心配などしてこなかった。
入院してからずっと母の事だけを考えてきた。


結局僕は皆に
余計な心配をかけてばかりだった。




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諦めきれない想い ~無駄な抵抗だとしても~

高山病のような症状で
酸素が脳に行きにくい状態。
いつ亡くなってもおかしくない状態。


もう本当に追い込まれている状態だと
僕も重々承知していたが


やはり諦める事などできなかった。
それが無駄な抵抗だとしても
僕はまだまだはつみに生きてほしい。


インターネットで酸素について調べた。
そして酸素をたくさん体内に取り込むためには
呼吸の仕方が重要であると発見した。


僕は母に


「大きくゆっくりと息を吸って、ゆっくりと吐いて」


と懇願した。


母はめんどくさがったり、嫌がったりせず
僕の言う通りにやってくれた。


僕は母が大きくゆっくりと息を吸って
ゆっくりと吐いてくれている姿を見て


(脳に酸素よ行ってくれ!)


と自分の両手を力一杯
握りしめながら祈った。


また今にして思えば安易だと思うが
その当時は必死で、自分なりに一生懸命考えたのが
酸素水を飲んでもらう事。


「酸素水」のペットボトルを購入し
母が水を飲む時用に準備した。


「今はつみの脳には酸素が行きにくい状態らしい…。まずいかもしれないけれどこれ飲んでくれない…?」


と断られるのを覚悟で母にお願いした。


すると母は笑いながら


「そんなの効くか(笑)でもゆうじが母ちゃんの為に買って来てくれたものだから、飲ませてほしいな^^」


と言ってくれた。


僕は嬉しくて号泣した。



「ありがとう…絶対にこれ飲めば脳に酸素が行くよ…」


何の根拠もないけれど
母に自信満々に伝えた。


なぜならこの酸素水には
僕の母に対する想いが込められていたから…。


そして母は早速飲みたいと言ってくれ
手伝いながら母の口に
ゆっくりと少量だけ飲ませた。


母はニコッと笑い
「よしこれで脳に酸素が行くね^^」
と僕の目を見てくれた。


僕は泣きながら笑顔を浮かべ
「うん…」とだけ答えた。


そして母は


「最近眠れないからリラックスできる音楽が聴きたいな」


「久しぶりにAIのStory聴きたいから持ってきて^^」


と僕に頼んできた。


僕は涙を拭き
「うん」と答え一度家に帰った。




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【番外編】ブログタイトルを変更しました

「20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~」



ブログタイトルを変更しました。



「両親を癌で亡くした僕が伝えたいこと」
このタイトルでブログを書き続けて来ました。



ブログを書き始める頃は
まさかこんなに多くの方に
読んで頂けて、かつ応援して頂けるとは
思っていませんでした。



僕は両親を癌で亡くしました。
最初は癌で親を亡くした方や
現在癌で闘病中の方や
そのご家族の方に
僕の経験が役に立ってくれればという想いがあり、
このようなタイトルをつけました。



ですが、ブログを書き続けた中で
皆さんから頂いたこれまでの心温まるコメントを
読む中で気づいたことがあります。



それは「若くして両親を亡くした」ということが
語弊はありますが相手の心に響きやすいということ。
僕は21で母を、29で父を亡くしました。



僕は若くして絶望を知りました。
でも逆を言えばそれは僕の武器でもある。



20代で両親を亡くした僕。
友人や職場の方など周りを見渡しても
なかなかいない。



ブログを書き続け、多くの方に読んで頂けている中で
僕の想いは次第に変化してきました。



僕の想いはただひとつ。
僕の経験を一人でも多くの方の心に届けたい。



そのためには多くの方の目に留まるような
興味を引けるタイトルにしたい。



また以前、XYZさんから頂いた
「あなたのブログが、様々な方の宿り木になるよう願っております。」
という素敵なコメントが
とても心に響き、心に残っています。



僕の目指すところはそこだと強く思いました。
この「宿り木」という素敵な言葉と
僕が大切にしている「心」をセットにして
「心の宿り木」という言葉を
サブタイトルに付けさせて頂きました。


両親がいなくなって初めて迎えた
新しい年ということもあり、
ブログタイトルを変更しました。



恥ずかしながらこのブログが
1人でも多くの方の心の宿り木に
なってくれたら良いなあと思っています。



これからも頑張っていきます。
よろしくお願いします。



次回も「番外編」です。
母の話は来週から再開します><



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【番外編】もしタイムマシーンがあったら

もしタイムマシーンがあって
人生の中で1日だけ戻れるとしたら
僕は即答で、はつみの余命宣告の日を選ぶ。


もっと前に戻れば、癌が発症する前に
はつみに伝えられれば
今も生きれているかもしれない。


でも僕はそれはルール違反だと思う。
人にはそれぞれ生まれた時から
寿命が決まっているのではないかと思うから。


それに仮にはつみに癌が発症がする前に伝えて
生き延びたとして、
僕だけが幸せになるのはずるいと思う。


はつみには申し訳ないけれど
自殺や交通事故や急な病に倒れ、
お別れの時間がないまま、
何も伝えられず
大切な人と別れてしまった人にこそ
タイムマシーンを使って
大切な人の命を救ってほしい。


僕ははつみの命は救えないけれど
出来る事ならタイムマシーンで
あの日に戻って
あの日のはつみの[心]を救いたい。


ただ泣くことしかできないけれど
告知の席に同席したい。


放心状態だったはつみの心に寄り添いたい。
一緒に悲しんで、
一緒に思う存分泣きたい。


「今日は傍に居てほしいな」という
はつみの心の叫びをしっかりと受け止めて
一晩中、はつみのそばに居たい。


今の自分でも、かけられる言葉など
見つからないし、かけられないけれど
あの日気づけなかった心の叫びを
はつみと共有したい。


そして思う存分2人で泣きたいなあ。
そして大好きだよってもう一度伝えたい。


はつみと信ちゃんの子供で
おれ本当に幸せだよ


ってこの9年分の想いを込めて
改めて伝えられたなあ。



いかん…書きながら涙が止まらなくなってしまった。
ここまで読んで頂いたということは
僕の妄想にお付き合い頂けたようで嬉しいです^^
ありがとうございました。


おかげさまでブログを開設して約3ヶ月。
ついに先日初めて、1日で403名の方に
お越し頂きました。


誰かの役立ちたい
その一心で書き続けて約3ヶ月。


LINE読者も15名の方に^^
僕の書く記事を気にかけてくださって
それだけで僕の励みになっています。


温かい心のこもったコメントも頂けて
このブログを書いていて良かったなと
実感しております。


拙い文章ではありますが、
これからも当ブログを引き続きご覧いただければ幸いです。




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告知(中) ~母の想いに目を向けられなったあの日~

告知の日。
僕はジャイアンツ球場にいた。


ジャイアンツ球場で大田選手に
サインを貰おうと待っている。


でも母の事が頭から離れない。
今この瞬間にも母はどうしているのだろう。


(もう終わったかな…?)


(はつみは大丈夫かな…?)


(おれは最低だ…何してんだよ…)


考えることは母の事と
そして父と母に対する罪悪感。


自分で選んだ決断だが
次第に増していく罪悪感。


かと言ってあの場に同席する
覚悟も勇気も僕にはない…。


一番傍に居てあげなければいけないのに
僕は本当に最低な行動を取った。


そしてそうこうしているうちに
無事に大田選手にサインを貰えた。


(よし!これではつみも喜んでくれるぞ)
などと自分の都合の良いように
気持ちを振るい立たせ、
僕は父と母が待つ病院へと
急いで向かった。


病院に着くなり
1階のロビーで父にメールをした。


いきなり母に会う勇気は僕にはなかった。
ここでも僕の弱い気持ちが出てくる。


父と1階のロビーで待ち合わせをした。
ジャイアンツ球場に居た時から
ずっとこの日は心拍数が上がっていたけれど


病院に着いて父にメールをして
父を待っていたあの時が一番心拍数が上がった。
あの時の光景は今でも覚えている。


そして未だにこうして思い出すと
あの当時の鼓動が蘇るというかドキドキする。


父が下りてきた。
駆け足で父の元へと向かう僕。


「どうだった?はつみの様子はどうだった?」


僕ははやる気持ちが抑えきれず、
父を質問攻めした。


「大丈夫だ。聞いたときはショックを受けていたけれど今は落ち着いている。」


「良かった~。じゃあ今は話せる状態ってこと?」


僕は父からの言葉を聞いて安心した。


(余命を宣告されたのだし、ショックを受けるのは当然だ)


(でも思ったより動揺していないみたいで良かった)


などと自分の都合の良いように勝手に解釈した。


僕はこの時点で
大きな間違いをしてしまった。


そしてその大きな間違いに気づかず、
母に対して最低な言葉を投げかける。


もちろんこの時の僕は
母の気持ちを考えていたつもりだった。
でもそれは本当に「つもり」だった。


僕は父からの「大丈夫だ」という言葉を真に受けた。
父が僕の事を想って、
心がボロボロだった僕へとくれた
精一杯の優しさの言葉だったのに…。


僕は


(これでもうはつみに嘘をつかなくて良いんだ!)


(これで今日からはつみと同じ方向を向いていける!)


と、この1ヶ月はつみに対して
嘘をつかなければならなかった毎日から
解放された事に、不謹慎ではあるが
一種の高揚感のようなものがあり


告知という残酷な現実を突きつけられた
はつみの気持ちを考えるよりも
自分が得られた解放感が勝ってしまった。


そしてその一番に考えなければいけなかった
「はつみの想い」を考えもせず、
はつみの元へと向かった…。


忘れもしないあの光景。
僕がはつみの病室へ向かうと
ちょうどはつみがトイレに向かうため
看護師の方に付き添われながら
病室から出てきた。


僕の顔を見るなり一言。


「大変だったね…。」


今にして思えば
この時のはつみは放心状態だった…。


けれど僕は母の異変に気づかず…。
解放されたことへの反動からか
笑顔でこう返してしまった。


「ううん。これではつみに嘘をつかなくて良いから嬉しいよ!」


はつみは「そうか。」とだけ
弱々しく返事をして
トイレへと向かった。


あの時の、あのはつみの背中は
今でも忘れられない。


はつみは大丈夫などではなく、
放心状態だった。


放心状態になるのは当たり前だなと
年を重ねるにつれ、強く思う。


でもこの時の僕は違った。
はつみの事を考えて毎日毎日泣いていたのに
僕は自分のことしか考えていなかったのだ…。


そして僕はこの日の夜も
はつみの想いを踏みにじる…。


今も消えぬ後悔…。





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