20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

恐怖

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

納得できるわけ…ねぇだろ…

「次に眠ったらそのまま…かもしれません…。」


その言葉が頭から離れない。


しかしあまりにも突然で
自分の想像を遥かに超える宣告だったからか
どこか他人事のような感じで
時間が立つにつれ
母と普通に雑談ができるような状態だった。


しばらくすると
仕事を早退して来た
父から「病院に着いた」と
メールが来た。


僕は母を病室に残し、急いで
4階のエレベーター前に向かった。


エレベーターから父が降りて来た。
父と目が合った瞬間、
緊張の糸がほどけたのか
僕はその場で泣き始めてしまった。


父はそんな僕を見て、心配してくれ
向かいのロビーに誘導してくれた。


僕はしゃくり泣きながら
先生から言われたことを伝えた。


しゃくり泣きながら父に伝えたため
言葉の端々で詰まり
話がうまく伝えられなかったにもかかわらず


父はメソメソしている僕に対して
「もっとはっきり言え!」などと怒ったり、
せかすわけでもなく、
僕のペースに合わせ、
僕の顔を覗き込むように
大事に大事に耳を傾けてくれた。


そして父は僕を慰めてくれ
「先生と話をしてくる。おまえは落ち着くまでここにいろ」
と優しく声をかけてくれた。


父は立ち上がり
僕の右肩を無言で
ポンポンと叩いて
先生の元へと向かった。


僕は顔を上げ
父の背中を見ながら
さらに泣いた。


父が先生の所に向かって
再び僕の前に帰ってくるまで
時間にしてどのくらいだっただろうか


覚えているのはこの間
1人で泣いていたのと
母の所に行かなかったこと、
最終的にロビーから
携帯電話が使用できる携帯エリアに移動して
その椅子に座っていたこと。


父がロビーに姿を現した。
キョロキョロしている。


僕はしゃくり泣きながら
黙って父を見つめる。


父は僕の姿を見つけると
穏やかな顔をして僕の元へと歩いてきた。


父は主治医の先生と話した内容を
丁寧に教えてくれた。


そして最終的に先生との話の中で
まむなく訪れる
"母の最期について家族の意思を聞かれた"
と僕に教えてくれた。


そして父は僕に尋ねた。



「もし母ちゃんがそんな状態になったら延命を望むか?それとも何もせず時の流れに任せるか?どうする?」


「もし延命をしたとしても母ちゃんは植物状態になって眠ったままで会話はもうできない…。」


「でもお前と兄ちゃんがそれを望むなら父ちゃんは先生に反対されようとも、先生にお願いするよ」


僕は父からの言葉を聞き
人目をはばからず、
ひたすら泣いて泣いて泣いた。


答えは出ているのに
それを言葉にしてしまったら、
はつみが死ぬことを認めてしまう気がして
なかなか父に伝えることができなかった…。


でも父はその間何も言わず
ずっと隣にいてくれた。


そして僕はしゃくり泣きながら
ゆっくり、ゆっくりと自分の答えを伝えた。


「時の流れに…任せるよ…。」


「はつみが…これ以上…苦しまないで…済むように…」


すると父は


「わかった。それで納得できるな?」


と僕の気持ちを悟ったように
どこか穏やかな顔で僕の目を
しっかりと見てくれた。


あの時の父の顔は
今でも忘れられない。


僕は目を反らしながら



「納得できるわけ…ねぇだろ…」


と悔し泣きながら
父に怒りをぶつけてしまった…。


まもなく亡くなってしまう最愛の人と
僕ら子供達の間で


誰よりも辛く、残酷な決断を迫られ
それでも決断をしなればならなかった父。


涙を見せるわけでもなく
取り乱すこともなく
決断した父。


そんな父を僕は
誇りに思う。



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おまえの顔を見れば

(次に眠ったらそのまま…かもしません…。)


その言葉に
僕はとてつもない
恐怖を感じた。


(もう本当にもうすぐはつみが死んでしまう)


その残酷な未来がもう目の前に迫っている。
その未来はもう近い…。
計り知れない恐怖が僕の心を苦しめた。


母の病室の前に着いた。
何度も何度も気持ちを落ち着かせようと
深呼吸を繰り返す。


母には忘れ物を確認しに
行っていることになっている。


時間が立てば立つほど
母に怪しまれる。


(早くはつみのところに戻らなきゃ…)


何度もドアの取っ手を握ろうとするが
握ることができない…。


まるでドラマのワンシーンのように
それを2、3回繰り返した。


母の前で何もなかったように
振舞う自信がない.


母の前で笑える自信がない


ようやく母に嘘をつかなくて良くなったのに
また嘘をつかなければいけない


この扉の向こう側にいる母の顔見たら
僕はまたすぐに泣いて母を不安がらせてしまう。


僕はしばらく扉の前で葛藤していた。
しかしやはり扉を開ける
「覚悟」が決まらない。


息を吐き、目が真っ赤になっているのがわかったので
一旦気持ちを整えなければと
トイレに行って顔を洗った。


鏡越しの自分に向かって


(落ち着け、落ち着くんだ)


と僕は自分で自分を鼓舞した。
そしてようやく覚悟を決めて
母の病室の扉の前に戻った。


今できる最高の作り笑顔を浮かべて
「よし!」と気合を入れて
扉を勢い良く開けた。


この時の僕は勢いで乗り切ろうと
というか、母に口を挟まれないように


「何も忘れていなかったよ」


「ちょっと1階の売店に行ってジャンプを立ち読みしてた」


「遅くなってごめん」


などとまくしたてるように早口で
聞かれてもいないことまで
母に報告をした。


すべては母に怪しまれないために…。



すると母は…
微笑みながら僕に向かって







「先生に何て言われた?」




「え…?」




動揺する僕。





「え?だから忘れ物はなかったって…」


しかし必死にそう否定しながらも
僕の声は震えていた。


母は穏やかな顔で


「あたしを誰だと思ってるの?^^」



「おまえの顔を見れば何かあったな、ってすぐにわかるさ^^」



僕は母からのその言葉を聞いて
その場で膝から崩れ落ち
ベットに寝ている母のちょうど
太もも部分の布団に顔をうずめて
泣き崩れた…。


母には僕の考えていることはお見通しだったのだ。

僕の心は母に見透かされていた。


僕が泣き続けている間、母はゆっくりと
僕の頭をポンポンと優しく何度も叩いてくれた。
無言でずっと。母からの愛情が凄い伝わってきた。


僕はその母からの愛情と
母が僕の事を本当に理解してくれていることが
たまらなく嬉しかった。


それと同時に母と一緒にまだまだいたいのに
母との別れの時間が迫っているこの現実を
受け入れられずに、母を失いたくないと
泣き続けた。


そして思わず


「はつみ…怖いよ…離れたくないよ…」


と泣きながら弱音を吐いてしまった。


母は


「大丈夫、これからもずっと一緒さ」


と優しい声で僕を慰めてくれた。


母の優しさが本当に心に染みて
ずっと泣いていた…。


母は結局、亡くなるまで
僕が病室に戻った時に
「先生に何て言われた?」
と聞いてきただけで
それ以降は追及してこなかった。



おそらく僕の顔を見て
深刻な事を言われたのだろうと思い
また取り乱す僕をこれ以上
傷つけないようにとそれ以上のことは
聞いて来なかったのだろうと思う。


母は本当に優しい人だった。


そしてこの夜、
僕は父にやり場のない怒りを
ぶつけてしまうこととなる…


それは僕が
母の死を認めたこと、
負けを認めたことを
意味することとなる…。




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避けられない現実へと

母が病棟に響き渡る悲鳴を上げてから
数時間が立った。


その頃には僕ら兄弟は
病棟のロビーで待機をしていた。


生きた心地がしないとは
まさにこういうことを言うのだと思う。


僕はこの時、本当に母が
このまま死んでしまうのでないか
と思っていた。


もっと言えば7割は諦めていた…。
それが正直な気持ちだった。


自分で勝手に悪い方へ悪い方へと
考えてしまい、考える度に恐怖や悲しみで
涙が止まらなかった。


自分で自分を追い込んでしまっていた。
そしてそうこうしているうちに
仕事を早退して来た父が
エレベーターから降りて来た。


どうやら兄が連絡をしたらしい。
こういう時、不思議なもので
言葉を交わしたり、
父から励まされたりしなくても
父の顔を見るだけで、
泣いているのに心がホッとした。


置かれている状況に変わりはないのに
家族全員揃って、
家族が一致団結をして
この目の前の最悪な状況に
全員が同じ方向を向いて、
同じ想いでいれたことが
僕の消えかかった想いを
奮い立たせてくれた。


この後も少しだけ、
祈る時間が続いたそんな折、
ロビーに先生が現れた。


そして家族全員が揃っていたので
全員で小さな部屋に通された。


先生から今日の原因と今後について
説明を受けた。


先生は終始、
神妙な顔で


「癌の影響で腹水が貯まり、それによって息切れなどが起こりました」


「今は落ち着いて眠っています。」


「しかし腹水を抜いたことで、奥様の体は今後ますます弱っていくだろうと考えられます…」


「こんな事を言うのは御家族にとって酷ではありますが、
 奥様と一緒に過ごせる時間はもうあまり残されていないと…お考え下さい…」



先生からの説明を受けて僕は


「母が生き延びたことに安堵した」


ホッとした気持ちと


先生の口からはっきりと告げられた


‘別れの時間が近い”という
‘もうこれは避けられない現実"へと
向かってしまっているのだと
ショックを受け


あらゆる感情に襲われ
しだいに激しい恐怖に変わり
目の前が真っ暗になった。


しかしそんな心境でも
僕の体を突き動かしてくれる"想い"があった。


そうそれは


「母の顔が見たい」


「母のそばにいたい」


という想い。


例え寝ていても良い。


母の声を聞けなくても良い。


寝ていたとしても
母のそばにいるだけで
泣くことしかできないのは
わかっているけれど


母を感じられるだけで
この張り裂けそうな
胸の痛みは治まる気がした



母の存在が
僕にとって何よりも良薬だった。


先生の話が終わり
寝ている母が待つ病室へと
僕ら家族は向かった。






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病棟内に鳴り響く母の悲鳴

1月も後半に入り、
大学の冬休みが明けた。


当時僕は21歳、大学3年生。
後期のテストが行われたり
テストがない講義は
レポート提出が課せられていた。


僕は母のお見舞いや
家に帰ってから簡単な家事の傍ら
レポートを書いた。


ただ幸いな事にテストの講義は
記憶があいまいだが2科目しか
無かった気がする。


なので母のお見舞いが終わった後に
夜寝る前の時間を使って
平均2000字ぐらいのレポートを書いた。
3、4科目がレポート提出だったと思う。


なので大学が始始まっても
特に母のお見舞いに支障はそこまでなく
母のお見舞いに専念できた。


母に告知をしたあの日から
2、3日が過ぎて
この頃には母もようやく落ち着き始め

特別大きな問題も起きず
過ごせていた。


しかしそんな平穏な日々は
そう長くは続かない…。


母との別れの時間は
確実に、そして着実に迫ってきた…。


この日は兄が休み。
僕はテストを受けに大学へ。


兄はこの日
母のお見舞いに行ってくれていた。


テストが終わり、
兄と母の待つ病室へと向かった。


僕が病室に着いて
母の様子を見ると
大丈夫そうだった。


母に「テストを受けて来た」
などと報告して


兄と母から、
母の今日の様子を教えてもらったり
他愛のない会話をした。


僕が病室に着いて
この時点で3分も立っていなかった。





すると…




母の様子がしだいに…





呼吸が少しずつ荒くなってくる…



そして徐々に
呼吸困難のような状態になり



次の瞬間…



「わーーーーーーーーーーーーーーーー」



「ぎゃあーーーーーーーーーーーーーーーー」



突然苦しみだし
何と表現すれば良いかわからないぐらいの
大きな悲鳴を上げ始めた。



その母の大きな悲鳴は
病室のみならず、病棟にまで鳴り響いた…。



僕はそんな母の姿を見て
パニックになりいつものように
恐怖に震えその場で泣いた。



同じ病室の人、
またお見舞いに来ている家族が
一斉に自分たちのカーテンを開けたり、
僕らに視線を送ってくる。


そしてすぐに看護師の方達も
慌ててやって来る。


「どうしましたー?大丈夫ですかー?」


看護師の方達も慌てているのが
僕にでもわかる。


僕はその間もずっと
体が動かないというか
その場で立ち尽くし、
目の前で起きていることを
見ながら
ひたすら恐怖のあまり
泣き続けていた。


そして母がずっと
大きな悲鳴を上げているので
病棟内は騒然としていたが


少し時間が立って
真向いの個室へと母だけが
ベットのまま移動された。


今思い出しても当時のあの悲鳴と
あの光景が蘇ってきて心拍数が上がる…。


僕はこの時


(このままはつみは死んじゃうんじゃないか…)


(このまま別れるなんて嫌だよ…)


(まだ何もはつみに伝えられていないよ)


(神様お願い!!まだはつみを連れて行かないで)


(おれが来てまだ5分も立っていないのになんでだよ!)


(おれが来たせいか?)


などと
力いっぱい神様に懇願したり

自分に対して怒ったり
自分を責めたり混乱し続けた…。


僕は母が先程までいたこの病室で、
母がいなくなったにもかかわらず、
ひたすら体を震わせながら泣き続けた



この日が母が団体部屋で過ごしたのは
最後の日となった…。


この約1週間後
移動した先のあの部屋で
母を看取る事となる…。



僕の人生にとって
あの部屋は特別な部屋。




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僕らは「家族」

告知を受け、ショックを受け
計り知れない恐怖と戦う母。


一方、ようやく自分の過ちに気づいた僕。
かける言葉は見つからないが、
母の病室へと戻った僕。


僕も気が動転していたので
この時、母とどんな会話をしたか
覚えていない。


ただ覚えているのは半日、
ほとんど会話は無く、
母は険しい顔、僕はひたすら下を向いて
泣いていた。


でもこんな状況でも
こういった時間は長くは続かなかった。


元々僕ら家族は、凄く仲が良くて
どんな問題にぶつかっても
些細な事で喧嘩をしても
いつも時間が解決してくれた。


お互いがお互いを放っておけないというか
深い所で強い絆で結ばれていたから。


この時もそうだった。
翌日には徐々に母との会話が増え、
母にも僕にも少しずつ笑顔が増えてきた。


改めて
僕らは「家族」なのだと
心の底から実感した。


改めて自分の中で
「家族」という存在が
自分には無くてはならないもの、
失いたくないものだと
再認識できた。



そしてようやく本当の意味で
この日になって初めて
ココから母と同じ方向を
向いていくことができた。


もう隠すことなど何もない
思う存分、母との残りの時間を
大切に、大事に過ごしたい。


家族の思い出を
ひとつでも多く残して
この「心」に焼き付けたい。


僕はそう決意した。
その一方でこれから今まで以上に


目を覆いたくなる事


目を背けたくなる事


心が折れるような事


僕が想像もできないような
出来事が起こるのだろうと
漠然としたイメージではあったけれど、
僕は強い気持ちを持って
来たるその時を覚悟をした。


しかしその時は
僕が想像していたより
早く訪れた。


ここから怒涛の勢いで
母の容体は悪化する。


母との別れの時が
こく一刻と迫ってきた…。


いよいよ母との別れの
カウントダウンが始まる…。


母が亡くなるまで
あと約10日…。






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