20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

後悔

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

お母さんが…お母さんが…

母に告知をした日から次の日の朝。
言葉は正しいかはわからないが


僕は母にもう嘘をつかなくて良い事に
嬉しくなり、久しぶりに目覚めの良い朝を迎えた。


そして朝10時からアルバイトへ向かった
アルバイト先は歩いて5分程度の所の
グッズショップ。



(病院着いたら母に何と言って今後に向けて励まそうかな^^)
など前向きな気分で仕事をしていた。


この時の僕は

本当におめでたい奴だった。


ただ僕の考えていた事は
浅はかで最低だった。



一番に考えなければいけない事
一番忘れてはいけない想い
一番大切にしてきた想い


それらを見失ってしまっていた。
自分の事だけを考えていた…。


アルバイトでの勤務が終わり
僕は母の元へと向かった。


この日は9階から4階の病室に
移動する事になっていた。


病院に着いて
4階のナースステーションで
母の新しい病室を聞き
意気揚々と母の待つ病室へ向かった。


6人部屋の入って左側の真ん中のベット。
その母がいるであろうベットの前には
親戚のおばさんが立っていた。


しかしなぜか神妙な顔をしている…。


(おばさんだ。どうしたんだろう…?)


廊下側のカーテンが閉まっているので
僕の存在には母は気づいていない。


何となく只事ではないと感じ
恐る恐る近づき、
親戚のおばさんに軽く会釈をして
カーテンをめくり母の顔を覗く僕…






すると…。








次の瞬間、一瞬にして
僕は前日に取った
自分の
母に対する心無い言動を
心の底から後悔することとなった。




母はその親戚のおばさんに向かって
取り乱したように


「お母さんが…お母さんが…」


とパニックを起こしたように

泣いていた。


母は僕に目もくれず

ひたすら泣き続けた。


叔母さんは
「はつみちゃんお母さんは大丈夫だから、ほら息子さんも来たわよ」
と言って気を紛らわせようとしてくれた。


でも母は取り乱したようにひたすら
泣いていた。



母は腹痛を訴え始めた12月上旬まで
老人ホームに入居していたおばあちゃんに
1週間に1回ぐらいのペースで会いに行っていた。


老人ホームにいるため、
おばあちゃんも母のお見舞いに来れないし
母もまたこんな状態だから
おばあちゃんに会いに行けない。


母は告知を受け、
自分の母親(=おばあちゃん)に対して


母親より先に亡くなってしまう事
母親に会いたくても会えない


などの様々な想いに襲われ、
感情が爆発したのろう…。



僕は前日とは打って変わった
母の姿を見て
ようやく前日に自分が取った言動が
大きな間違いだったことに気づいた…。


その瞬間母に対する
申し訳ない気持ちというか
罪悪感というか


胸をえぐられるような
自責の念に襲われ
僕も感情が一気に爆発して
その場で泣いてしまった。


(おれは…おれはなんて最低なことをしてしまったのだ…)



僕は独り言のように
消え入るような声で



「ごめん…はつみ…ごめん…本当にごめん…」


とだけ母に言い、また慌てて廊下へ
そしてロビーへと逃げた。


(かける言葉など見つからない)


(おれには、はつみに言葉をかける資格などない)



大粒の涙がとめどなく溢れた。
自責の念に心が耐えられなかった。



その後ロビーに叔母さんが来て
現在の母の様子を教えてもらい
励ましの言葉をもらって
僕は叔母さんを見送った。


そして何度も何度も深呼吸をして
気持ちを落ち着かせて母の待つ病室へと向かった。









今こうして約9年立って改めて考えると


自分が親より先に亡くなる事
親に会いたくても会いに行けない事
会いに行けないし、電話もできないから
感謝の思いも伝えられない事



怖くて恋しくて
会いたくて、でも会えなくて…。



健康でまだまだ人生が長くある僕ですら
漠然としているとはいえ
考えるだけで恐怖などを感じるのだから



突然余命を宣告されそれが3ヶ月しかないと
言われればパニックになるのは当然だと思う。


どうしてこんな大事な事に告知の日に
気づけなかったのか。


どんな状況であれ、
例え泣くことしかできなくても
告知の時は家族には
同席してほしいと強く思う。


僕は母の時のこの経験があったからこそ
この8年後に起きる
父の告知の時に自ら率先として同席した。


案の定、泣く事しかできなかったけれど
同席して本当に良かったと強く思う。





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【番外編】もしタイムマシーンがあったら

もしタイムマシーンがあって
人生の中で1日だけ戻れるとしたら
僕は即答で、はつみの余命宣告の日を選ぶ。


もっと前に戻れば、癌が発症する前に
はつみに伝えられれば
今も生きれているかもしれない。


でも僕はそれはルール違反だと思う。
人にはそれぞれ生まれた時から
寿命が決まっているのではないかと思うから。


それに仮にはつみに癌が発症がする前に伝えて
生き延びたとして、
僕だけが幸せになるのはずるいと思う。


はつみには申し訳ないけれど
自殺や交通事故や急な病に倒れ、
お別れの時間がないまま、
何も伝えられず
大切な人と別れてしまった人にこそ
タイムマシーンを使って
大切な人の命を救ってほしい。


僕ははつみの命は救えないけれど
出来る事ならタイムマシーンで
あの日に戻って
あの日のはつみの[心]を救いたい。


ただ泣くことしかできないけれど
告知の席に同席したい。


放心状態だったはつみの心に寄り添いたい。
一緒に悲しんで、
一緒に思う存分泣きたい。


「今日は傍に居てほしいな」という
はつみの心の叫びをしっかりと受け止めて
一晩中、はつみのそばに居たい。


今の自分でも、かけられる言葉など
見つからないし、かけられないけれど
あの日気づけなかった心の叫びを
はつみと共有したい。


そして思う存分2人で泣きたいなあ。
そして大好きだよってもう一度伝えたい。


はつみと信ちゃんの子供で
おれ本当に幸せだよ


ってこの9年分の想いを込めて
改めて伝えられたなあ。



いかん…書きながら涙が止まらなくなってしまった。
ここまで読んで頂いたということは
僕の妄想にお付き合い頂けたようで嬉しいです^^
ありがとうございました。


おかげさまでブログを開設して約3ヶ月。
ついに先日初めて、1日で403名の方に
お越し頂きました。


誰かの役立ちたい
その一心で書き続けて約3ヶ月。


LINE読者も15名の方に^^
僕の書く記事を気にかけてくださって
それだけで僕の励みになっています。


温かい心のこもったコメントも頂けて
このブログを書いていて良かったなと
実感しております。


拙い文章ではありますが、
これからも当ブログを引き続きご覧いただければ幸いです。




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告知(下) ~今も消えぬ、人生で一番後悔した夜~

余命宣告を受けてから
数時間が立った。


僕はもう母に嘘をつかなくて良い事に
解放感を覚え、一番大事な母の想いに
目を向けられずに一緒にいた。


この日に貰った巨人の大田選手の
サインボールを見せ、貰った時の感想などを
母に話したのを覚えている。


父は夕食の準備などをしに
一旦家に帰った。


父は元々料理が好きで、仕事がある日も
だいたい19時には病院に来てくれていた。


だから母が入院中も
外食やコンビニ弁当ではなく
ほぼ夕飯は手作りのご飯を用意してくれた。


今にして思えば凄い事である。
仕事しながら、看病しながら、
僕ら子供達のごはんも用意してくれて。


少し話が逸れたが、
気がつくと夜になっていた。


告知の日ということもあり、
兄も心配で夜お見舞いに来てくれた。


そして夕飯を準備をし終わった父も
再び病室に来た。


病室には家族4人が揃った。
時間にして30分ぐらいだったけれど。


そしていよいよ帰りの時が来た。
「じゃあそろそろ今日は帰るわ」
という流れになった時


母が僕に向かって
なんとも言えない表情で


「今日は帰らないでほしいな…」


「ずっとそばにいてほしいな…」


と頼んできた。


あの時の母の顔と声のトーンは
未だに脳裏に焼き付いている。


でも僕が出した答えは…。。


「明日は朝からバイトだから無理だよ^^]


「他の人の迷惑になるしさ。」


「明日はバイト終わったらすぐ来るから^^」


と母の頼みを断った。
それが母の心からの叫び
だったにもかかわらず…。
しかしこの時の僕は
その事に気づいていない。


夜中まで起きていたことがない。
明日はバイトがある。
急に誰かにシフト代わってもらうのは申し訳ない。
4人部屋だし他の人にも病院にも迷惑がかかる。


などと理由をつけ、
この時の僕は迷うこともなく、
即答で断ってしまった。


父でも兄でもなく、
僕にそばに居てほしいと
言ってくれたのに…。


もちろん父と兄は
仕事があるから頼みづらかったのも
あるかもしれないが


告知という、言葉では表せられないほどの
深い悲しみやショックを受け
放心状態だった母の気持ちを
見抜けず、僕は最低だった…。


何度も言うがこの時は
本当に解放感に包まれていた。


大事な事に目も向けられずに。
そして翌日僕は母の取り乱した姿を
目の当たりにする。


そしてこの告知の日に
自分が取った言動を
心の底から後悔することとなる。






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告知(中) ~母の想いに目を向けられなったあの日~

告知の日。
僕はジャイアンツ球場にいた。


ジャイアンツ球場で大田選手に
サインを貰おうと待っている。


でも母の事が頭から離れない。
今この瞬間にも母はどうしているのだろう。


(もう終わったかな…?)


(はつみは大丈夫かな…?)


(おれは最低だ…何してんだよ…)


考えることは母の事と
そして父と母に対する罪悪感。


自分で選んだ決断だが
次第に増していく罪悪感。


かと言ってあの場に同席する
覚悟も勇気も僕にはない…。


一番傍に居てあげなければいけないのに
僕は本当に最低な行動を取った。


そしてそうこうしているうちに
無事に大田選手にサインを貰えた。


(よし!これではつみも喜んでくれるぞ)
などと自分の都合の良いように
気持ちを振るい立たせ、
僕は父と母が待つ病院へと
急いで向かった。


病院に着くなり
1階のロビーで父にメールをした。


いきなり母に会う勇気は僕にはなかった。
ここでも僕の弱い気持ちが出てくる。


父と1階のロビーで待ち合わせをした。
ジャイアンツ球場に居た時から
ずっとこの日は心拍数が上がっていたけれど


病院に着いて父にメールをして
父を待っていたあの時が一番心拍数が上がった。
あの時の光景は今でも覚えている。


そして未だにこうして思い出すと
あの当時の鼓動が蘇るというかドキドキする。


父が下りてきた。
駆け足で父の元へと向かう僕。


「どうだった?はつみの様子はどうだった?」


僕ははやる気持ちが抑えきれず、
父を質問攻めした。


「大丈夫だ。聞いたときはショックを受けていたけれど今は落ち着いている。」


「良かった~。じゃあ今は話せる状態ってこと?」


僕は父からの言葉を聞いて安心した。


(余命を宣告されたのだし、ショックを受けるのは当然だ)


(でも思ったより動揺していないみたいで良かった)


などと自分の都合の良いように勝手に解釈した。


僕はこの時点で
大きな間違いをしてしまった。


そしてその大きな間違いに気づかず、
母に対して最低な言葉を投げかける。


もちろんこの時の僕は
母の気持ちを考えていたつもりだった。
でもそれは本当に「つもり」だった。


僕は父からの「大丈夫だ」という言葉を真に受けた。
父が僕の事を想って、
心がボロボロだった僕へとくれた
精一杯の優しさの言葉だったのに…。


僕は


(これでもうはつみに嘘をつかなくて良いんだ!)


(これで今日からはつみと同じ方向を向いていける!)


と、この1ヶ月はつみに対して
嘘をつかなければならなかった毎日から
解放された事に、不謹慎ではあるが
一種の高揚感のようなものがあり


告知という残酷な現実を突きつけられた
はつみの気持ちを考えるよりも
自分が得られた解放感が勝ってしまった。


そしてその一番に考えなければいけなかった
「はつみの想い」を考えもせず、
はつみの元へと向かった…。


忘れもしないあの光景。
僕がはつみの病室へ向かうと
ちょうどはつみがトイレに向かうため
看護師の方に付き添われながら
病室から出てきた。


僕の顔を見るなり一言。


「大変だったね…。」


今にして思えば
この時のはつみは放心状態だった…。


けれど僕は母の異変に気づかず…。
解放されたことへの反動からか
笑顔でこう返してしまった。


「ううん。これではつみに嘘をつかなくて良いから嬉しいよ!」


はつみは「そうか。」とだけ
弱々しく返事をして
トイレへと向かった。


あの時の、あのはつみの背中は
今でも忘れられない。


はつみは大丈夫などではなく、
放心状態だった。


放心状態になるのは当たり前だなと
年を重ねるにつれ、強く思う。


でもこの時の僕は違った。
はつみの事を考えて毎日毎日泣いていたのに
僕は自分のことしか考えていなかったのだ…。


そして僕はこの日の夜も
はつみの想いを踏みにじる…。


今も消えぬ後悔…。





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もう限界

「私がんばったよね!?もう死んでも良いよね?」


この母からのショックな言葉から
数時間が立った。


だがこの母からのショックな言葉は
僕の脳裏に焼き付き
必死に別の事を考えようとしても
頭の中で何回もフラッシュバックした。


母はこの日、ずっと怒りを噛み殺したような怖い顔で
声をかけられるような雰囲気ではなかったのを覚えている。


普段は優しい母だったので
余計に怖かった。


でも僕は母の横にずっといた。
会話は一切なかったし、
できる雰囲気ではなかったけれど


僕の想いは


ただただ母の傍に居たい....。


その一心だった。


そして夜になり、仕事から帰って来た父がお見舞いに来た。
何も知らない父。


僕は父の顔を見ると、
張り詰めた緊張がほどけたように
涙がドッと溢れた。


そんな僕の様子を見て、
驚いた父は
何かあったと感じ取り
僕を病棟内のロビーに連れ出した。


そしてまもなくすると
主治医の先生も現れた。


おそらく看護師の人から
父がお見舞いに来たと連絡が入ったのだろう。


主治医の先生から父に
今日起きた経緯を説明した。


僕はその横で
また今日の母からの言葉を思い出して
ずっと泣いていた。


そして主治医の先生から
「このあたりが限界ですね..。奥様も息子さんも精神的にもう限界だと思います。
これ以上奥様に、残りの時間が残されていない事を隠すのは難しい、というのが私の見解です。
明日奥様に告知をしましょう.....。よろしいでしょうか.....?」


僕は先生からの言葉を聞き


(とうとうこの時が来てしまったか…)


とショック受け、さらに泣いた。


それでも父は神妙な顔をしたものの
取り乱すこともなく
「はい」とだけ先生に返事をした。


そして父は泣きじゃくっている僕の肩を
力強くさすりながら、


そして僕の目を
しっかりと見つめながら


「いいな?ゆうじ」
と聞いてきた。



涙でぼやけて父の目をしっかりと見れなかったけれど
僕はむせび泣きながら「うん..」と答えた。


そしてついに
母に告知をする時を迎える...。


それは僕が人生の中で
一番やり直したい、
一番後悔する日にもなった。





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