20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

家族

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

大丈夫!必ず連絡が行くから

次の朝になっても
(次に眠ったら…そのままかもしれません…)
という言葉が頭から離れない。


考えれば考えるほど
不安と恐怖で涙が止まらない。



母が死ぬのを認めてしまった僕。
負けを認めた僕が願う事はただ一つ。





「もうこれ以上はつみには苦しまないでほしい…」



「死ぬのなら、せめて楽に死んでほしい…」



どこか放心状態で
母のお見舞いに今日も行く。


病室に着くと母は
今日も笑顔で迎えてくれる。


その笑顔を見るだけで
簡単に涙が出てくる。


最初どんな会話をしたのか
覚えていない。


ただこの頃の母には
もう声のハリが無く
ずっと寝たきりだった。


それでも声のハリは無いのに
母の方から積極的に話しかけてくれる。


きっと僕の事が心配でならなかったのだと思う。
その無償の愛が僕の心を癒してくれる。


そして少しすると母は目を閉じた。


僕はその瞬間、声に出さないように
噛みしめるように歯を食いしばりながら
号泣した。


(このまま死んでしまうのかもしれない。)



(でもはつみが苦しまなくて済むなら…おれは…)


そして僕は母に気づかれないように


「はつみ今までありがとう…」


と泣きながら小さな声で
母に向かって言った…。



しかし5分程度すると
母は目を開け、
目を見開き天井を見つめていた。



その瞬間僕は
心の底から安堵して


(良かった…まだ生きている…本当に良かった…)


と下を見つめながら
嬉し泣きをした。


するとそんな僕の姿を見て


「どうした泣いて?」


といつものように僕を
心配して声をかけてくれた。


その時は
「ごめん…大丈夫だから^^」
と泣きながら作り笑顔を浮かべて
母に答えた。


母は


「母ちゃんは生きているから安心しな^^」


と天井に向かって呟くように言った。



僕は「うん…」とだけ答え
また涙が溢れた。


そして母はまた目を閉じた。


僕は母を見つめながら


(はつみ…もうはつみはこのまま死んでしまうのかもしれないんだよ…)


と声に出せない代わりに
またひょっとすると
このまま母が死んでしまうのかもしれないと
とてつもない恐怖を感じながら
母を見つめて、声を出さないように泣いた。


僕の心は張り裂けそうなほど
激しい恐怖、悲しみに襲われていた。


母が目を閉じる度に
このまま死んでしまうのではないか、と…。


そしてまた母が目を開けた。
先程と全く同じシチュエーション。


しかしもう僕の心は限界だった。
母の手を握り
好きなだけ泣かせてもらった。


母はまた僕に対して


「ゆうじ何があった?母ちゃんに話してごらん」


本当の事は言えないけれど


僕はとっさに


「昨日の夢で…は、はつみが…冷たくなっている…夢を…見た…」


としゃくり泣きながら
話してしまった。



すると母は僕の目を見つめ
今持てる力で僕の手をギュッと握りしめ



「大丈夫!もしそうなった時は冷たくなる前に必ず連絡が行くから」



「先生達もみんな『家族全員仲が良くて、素敵ですね』って言ってくれているよ^^
 だから最期の時は必ず、先生達が母ちゃん達を会わせてくれるから大丈夫^^」


と母は泣くどころか嬉しそうに
僕の事を励ましてくれた。


(はつみ…その笑顔は反則だよ…)


僕はむせび泣いた。



「はつみ約束だよ。俺が来るまで死なないでね…」



「任せとけ^^」



とまた笑顔を浮かべ
返してくれた。


この時から母の口から
死ぬことを受け入れているような言葉が
多く聞かれた。


今振り返ってみると
母が取り乱したのは
告知の翌日以降、無かったように思える。
それ以降はむしろずっと明るかった気がする。


母は無理して明るく振舞ったり、
カラ元気という感じではなく
自然体だった。




「はつみ約束だよ。俺が来るまで死なないでね…」




「任せとけ^^」


この時は願望として伝えたけれど
母はこの約束を守ってくれることとなる…。





闘病記ランキング
↑↑ ポチっとそれぞれクリックお願いします 



僕らは「家族」

告知を受け、ショックを受け
計り知れない恐怖と戦う母。


一方、ようやく自分の過ちに気づいた僕。
かける言葉は見つからないが、
母の病室へと戻った僕。


僕も気が動転していたので
この時、母とどんな会話をしたか
覚えていない。


ただ覚えているのは半日、
ほとんど会話は無く、
母は険しい顔、僕はひたすら下を向いて
泣いていた。


でもこんな状況でも
こういった時間は長くは続かなかった。


元々僕ら家族は、凄く仲が良くて
どんな問題にぶつかっても
些細な事で喧嘩をしても
いつも時間が解決してくれた。


お互いがお互いを放っておけないというか
深い所で強い絆で結ばれていたから。


この時もそうだった。
翌日には徐々に母との会話が増え、
母にも僕にも少しずつ笑顔が増えてきた。


改めて
僕らは「家族」なのだと
心の底から実感した。


改めて自分の中で
「家族」という存在が
自分には無くてはならないもの、
失いたくないものだと
再認識できた。



そしてようやく本当の意味で
この日になって初めて
ココから母と同じ方向を
向いていくことができた。


もう隠すことなど何もない
思う存分、母との残りの時間を
大切に、大事に過ごしたい。


家族の思い出を
ひとつでも多く残して
この「心」に焼き付けたい。


僕はそう決意した。
その一方でこれから今まで以上に


目を覆いたくなる事


目を背けたくなる事


心が折れるような事


僕が想像もできないような
出来事が起こるのだろうと
漠然としたイメージではあったけれど、
僕は強い気持ちを持って
来たるその時を覚悟をした。


しかしその時は
僕が想像していたより
早く訪れた。


ここから怒涛の勢いで
母の容体は悪化する。


母との別れの時が
こく一刻と迫ってきた…。


いよいよ母との別れの
カウントダウンが始まる…。


母が亡くなるまで
あと約10日…。






闘病記ランキング
↑↑ ポチっとそれぞれクリックお願いします 



打ち砕かれた浅はかな考え

目が覚めると悪夢の前日から
次の日の朝になっていた。

涙のせいで枕が湿っていて
なんだか気持ち悪かった。

僕はベットの上でこれからのことを
自分なりに色々と考えた。

母が入院している病院は
家から自転車で10分以内の所にある。

面会の時間までまだ時間はたくさんある。
そこで僕はさらに考えた。



まだ死ぬと決まったわけじゃない



何か治る方法があるはず



先生は3ヶ月と言ったけれど
まだなにか手はあるはずだ



この時の僕は母の為に何かできることがあるはずだ
と思い、無我夢中だった。


もっとも「末期癌」という意味や「残された時間があとわずか」
という現実が理解できていなかった。



無我夢中で癌についてインターネットで調べていると


「笑うと癌細胞は死ぬ」という説を発見した。
「これだ!病院に行ったら母をたくさん笑わそう!」
と純粋に喜んだのを今でも覚えている。


そしてもう一つ。


日本最大のがん専門病院
公益財団法人がん研究会 有明病院



の存在を知り、僕のテンションは上がった。



しかも同じ東京にあることを知り、



「ここならきっと、はつみの癌を治してもらえる!!!」



その時の僕は本気でそう思った。


家からお見舞いに行くのは大変だけれど、
はつみの命がかかっているから背に腹は代えられない。


「父と兄が仕事から帰って来たら提案しよう」
と真剣に考えた。


また癌にはステージと呼ばれるものがあること。
ステージがⅣまであり、数字が上がるにつれ進行していることを指すこと。


この時僕は癌にステージがあること
初めて知った。


それほどまでにこれまでの僕の21年間の人生には
無縁のワードだったから。


ただ末期癌がどれに該当するのかは
この時点ではわかっていなかった。


そうこうしているうちに気がつくと
面会開始時間を過ぎていた。


大学生で冬休みだった僕は
すぐに母の病院へ向かった。


病室に着くと早速、
僕はたくさん母を笑わせようとした。


本人にはまだ癌であることを隠さなければならなかったので
がん専門の病院の事は言えなかったけれど、たくさん笑わせようと
明るく振舞った。


そして母に水が飲みたいと言われ、
1階にある無料の水を取りに向かった。


すると奥の方から、主治医の先生が歩いてきた。
僕は早速調べたことを先生に聞こうと
エレベーターに乗ろうとする先生に声をかけた。


僕は朝調べた事を期待や恐れを抑えながら
先生に問いかけた。


「インターネットで調べていたら、癌の専門の病院があるとわかりました!
そこでなら母の癌は治りますよね?」


「母のステージはいくつなのでしょうか?ステージⅠかステージⅡですか?」


など今考えると主治医に対して失礼な事ばかり聞いてしまった。


それほどまでに僕はまだ治ると確信していた。


一通り僕の質問が終わると先生は悲しげなというか、
なんて声を掛けたらよいのか、困ったような顔をしながら



「残念ながら昨日もお伝えしましたとおり、お母様の癌はもう末期なのです。」


「私達にはお母さんの残りの時間少しでも長く延ばしてあげることしかできないのです。」


「お辛いでしょうが、残りの時間を少しでも長くお母様の傍にいてあげてください」


と言い、先生は僕にお辞儀をして、
そのままエレベーターへと乗っていった。


1人で勝手に舞い上がっていたから余計に
現実の希望のなさに打ちのめされた。


僕の浅はかな考えは
いとも簡単に砕け散った…。



闘病記ランキング ↑↑ 良かったらポチっとそれぞれクリックお願いします
livedoor プロフィール
お問い合わせ
お問い合わせはこちらへまで
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク