20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

人生

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

おまえには無理だ^^

いよいよ母と過ごせる
残りの時間もあとわずか


母の口から死を受け入れた発言を聞くようになり
このあたりから本当の意味で
僕も『その時』を真剣に考えるようになった。


だから僕は母が生きているうちに
伝えたいことを伝えなければと決心した。


この日僕は母に会う前から緊張していた。


それは母の体調に関してではなく、
自分の事でだった。


それは母にこれまで一度もしたことのなかった
『好きな人がいる』というのを伝えること。


僕は30歳になる今でも
人生で彼女ができたことがない。


この当時(21歳時点で)も
彼女はいなかった。


これまでの21年間、
彼女ができた事がなかったこともあり
母と好きな人の事や
女性の話をしたことは皆無だった。


しかしこの当時、
こんな僕にも
2歳下の高校の後輩の好きな子がいた。


その子とは知り合った当時から
毎日のようにメールをして
時には電話をしたりして、
付き合ってはいなかったけれど
母が入院した時からも
ずっと支えてもらっていた。


僕にもそんな人がいる。


母が亡くなる前に
『自分にも好きな人がいること』
をきちんと伝えたいと思った。


それはノロケでも自慢でも何でもない。
ただ純粋にこれまでの人生で
そういった恋愛の話などしてこなかった僕にも
『好きな人がいるんだ、だから心配しないでね』
と安心させてあげたかったから。


そしていよいよその時を迎える。
僕は母の前で深呼吸をして



「はつみ、今日は大事な話があるんだ。2人だけの秘密にしてくれる…?」



「ん?なにかな?^^」



心拍数が上がり、
心臓がバクバクしているのが
自分でもわかった。


再度深呼吸をして


「実はオレ、好きな人がいるんだ」


「高校の後輩の子で、はつみが入院した時からもずっと支えてもらっていて」


「付き合ってはいないから誤解しないでね」


「ただの片想いだからさ」


僕は勢いに任せ、
聞かれてもいないことまで
母に話した。


すると母は驚いた感じではなく
嬉しそうに


「へ~ゆうじにも好きな人がいたのか^^」



とニタニタしながら僕を見てきた。



この時の光景は今でも覚えている。


僕は携帯を取り出し
母にその子の写真を見せた。



すると母は



「かわいい子だね^^」



そしていたずらっぽく笑いながら



「おまえには無理だ^^」



とからかってきた。



僕も笑いながら



「なんだよそれ^^」



と言い返した。




母は凄く嬉しそうだった。



僕の勝手な解釈かもしれないけれど
僕の口からこれまで一度たりともしてこなかった
恋愛の話を聞けたことが嬉しかったのだと思う。



僕もまた嬉しかった。
母とこういった照れくさい話ができて。


そして同時に元気な時にも
しておけばよかったと。


何とか母が亡くなる前に
話せてよかった。


そして僕には母にもうひとつ
伝えておきたいことがあった。



でもそれは照れくさくて
また『できればまだ言いたくない事』
でもあった。


なのでこの日は言わず
明日にしようと決めた。


これは母が亡くなる3日前の話。


母が亡くなるまであと2日。


翌日、僕は泣きながら母にある想いを伝える。









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好きなだけ泣きたくて

母が一命を取り止めた
その日の夜。


どんなに願っても
どんなに一緒にいたくても


母と一緒に過ごせる時間は
もう限られている。


母が入院してから初めて
本当に母が死ぬかもしれないと
目のあたりにしたことで


家に帰って自分の部屋に入った時
心が震えた。その震えは止まらなかった。


好きなだけ泣きたくて
僕は禁断のCDに手を伸ばした。


それは僕が大好きだった曲のCD。


しかしそれは母が腹痛を訴えた
あの日から、あえて避けていたCD。



でも母との時間がもう本当に
限られた時間しか残されていないと覚悟した時、
無性に聴きたくなった。


その曲とは
JULEPSジュレップス) さん達の
「旅立つ日」という曲。


この曲を好きになったきっかけは
母が亡くなる1年前の2007年11月15日に
めざましテレビでたまたま
歌っている姿を見て
心にとても響いたから。


でもこの曲を好きになった当時と
この日の夜の自分とでは
この曲に対しての捉え方が180度違う。


一つ一つの歌詞の意味が
大きく違って感じられ
一つ一つの歌詞と映像が心に突き刺さり
涙が止まらなかった。


僕の中でこの夜を境に
「大好きな曲」から
「人生の中で大事な曲」に
変わった。


自分がその歌詞に出てくる当事者になった気がして
そう思って聞くと本当に
一つ一つの詞が心に突き刺さる。


CDで聴くだけでも涙が出るが
感情移入ができるDVDで
アニメを見ながら聴きたかった。


思う存分、母の事を考えながら泣きたい。
その思い通りに
体中から涙が出てくるような感覚になるほど
涙が止まらなかった。


この日の夜はただただ
泣いていた。


思う存分泣けたことで
少しだけスッキリした。


そして次の日、母の闘病生活の中でも
告知の時と同じぐらい
忘れられない濃い1日を迎える。



【番外編】
どうか皆さんにも
ご覧いただきたいです。


完全版は7分と長いです。
4分頃、一旦終わったような感じがしますが
続くのでご覧いただける場合は
最後までぜひご覧ください><








母が亡くなってからは
この曲を聴きながら
色々な事を考える。


最初の夜だけなど無理
今も両親のことを真剣に考えるだけで
簡単に涙が出てくる。


でも「幸せだったよ」とは
迷いなく言える。
一点の曇りもない。


遺影の写真を撮った時の
私になにかあったらこの写真を遺影にしてね」
(詳しくは http://yuuji16.site/archives/3861082.html ご覧ください)


あの時すでに母は神に会って
「命に終わりが来るとそっと知らされていたのだろうか?」



日差しになって僕を見守ってくれている
と信じられるよ


そう感じながら
つい聴いてしまう。


この記事を書こうとして
久しぶりにDVDを見たが
やはり涙が止まらない。





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ゆうじ

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