「告知」
ついにこの日が来てしまった。


癌が見つかり、見つかった時には
すでに手遅れな状態。


「母が動揺するから」
と綺麗事を言って先延ばしにして
自分達が傷つくのが怖くて
先延ばしにしていたように思う。


それと同時に
どんなに辛くても
どんなに目を背けたくても
いつか伝えなければならない、
避けては通れない道だとも覚悟していた。

母に告知をする事となり、
父は休みを取った。

兄は仕事に向かった。


僕は大学が補講期間の為、休み。
告知の朝、父は僕に「告知に同席するか?」
と問いかけてきた。


この当時の僕は
もう限界だった。


緊急入院
緊急手術
癌発見
余命宣告
母との残り時間があとわずかしか残されていない事
人生で初めて死にたいと思った事
大好きな母から「死にたい。死んでも良いよね?」と言われた事


21歳の僕にはもう毎日が辛い事ばかりで
しかも目の前で起きる怒涛の悪夢に対して
その都度100%受け止めてしまっていた為


僕の心はもう限界だった。
だから当時の僕が出した答えは…。


「おれは良いよ。信幸が一緒に居てあげて。」
といった趣旨の事を言ったのを覚えている。


はっきりと覚えているのは
こうして言葉を濁した事。


本当は


おれにはもう限界。
これ以上傷つきたくない。
告知を聞いて動揺する、はつみを見るのが怖い。
受け止められる覚悟がない…。


これが僕の心の声、
心の叫びだった…。



要するに僕は逃げたんです…。
怖くて、傷つきたくなくて…。


さらに僕はこれから
不謹慎な行動を取る事を
父に告げた。


父はそれほどではないけれど
1995年頃からイチロー選手のファンとなった
母の影響で我が家は野球が大好きになった。


兄は巨人ファン、僕は西武ファン。
僕が高校生になったぐらいから
選手に直接サインを貰いに行くのが
僕らの楽しみになっていた。

大ファンの涌井選手や松坂選手に
サインを貰えた時は嬉しくて貰えた直後に
その都度母に電話をしていた。


電話の先で母も一緒に喜んでくれて
凄く嬉しかった。


そしてこの日僕は
これからジャイアンツ球場に
この年鳴り物入りで巨人に入団した
ルーキー大田選手にサインを貰いに行くと
父に告げた。


普通なら
「おまえも母ちゃんの傍にいてやれ!」

などと怒っても良いはず。


僕が父の立場なら、間違いなくそう言う。
でも父は違った。


僕の言葉を濁した、
あっさりとした無責任な返事、


そして母への告知という
とてもとても大事な事案に
同席しないうえに
あろうことか
サインを貰いに行くなどと
不謹慎極まりない行動に対して

父はすんなりと了承してくれた。


父は最後まで僕に同席を促すようなこともなく、
呆れた感じでも、突き放すわけでもなく
僕の意志を尊重してくれたというか


僕はその言葉に甘えて
ジャイアンツ球場へと向かった。


僕はこの日、告知という
辛い現実から逃げたのだ…。



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