目が覚めると悪夢の前日から
次の日の朝になっていた。

涙のせいで枕が湿っていて
なんだか気持ち悪かった。

僕はベットの上でこれからのことを
自分なりに色々と考えた。

母が入院している病院は
家から自転車で10分以内の所にある。

面会の時間までまだ時間はたくさんある。
そこで僕はさらに考えた。



まだ死ぬと決まったわけじゃない



何か治る方法があるはず



先生は3ヶ月と言ったけれど
まだなにか手はあるはずだ



この時の僕は母の為に何かできることがあるはずだ
と思い、無我夢中だった。


もっとも「末期癌」という意味や「残された時間があとわずか」
という現実が理解できていなかった。



無我夢中で癌についてインターネットで調べていると


「笑うと癌細胞は死ぬ」という説を発見した。
「これだ!病院に行ったら母をたくさん笑わそう!」
と純粋に喜んだのを今でも覚えている。


そしてもう一つ。


日本最大のがん専門病院
公益財団法人がん研究会 有明病院



の存在を知り、僕のテンションは上がった。



しかも同じ東京にあることを知り、



「ここならきっと、はつみの癌を治してもらえる!!!」



その時の僕は本気でそう思った。


家からお見舞いに行くのは大変だけれど、
はつみの命がかかっているから背に腹は代えられない。


「父と兄が仕事から帰って来たら提案しよう」
と真剣に考えた。


また癌にはステージと呼ばれるものがあること。
ステージがⅣまであり、数字が上がるにつれ進行していることを指すこと。


この時僕は癌にステージがあること
初めて知った。


それほどまでにこれまでの僕の21年間の人生には
無縁のワードだったから。


ただ末期癌がどれに該当するのかは
この時点ではわかっていなかった。


そうこうしているうちに気がつくと
面会開始時間を過ぎていた。


大学生で冬休みだった僕は
すぐに母の病院へ向かった。


病室に着くと早速、
僕はたくさん母を笑わせようとした。


本人にはまだ癌であることを隠さなければならなかったので
がん専門の病院の事は言えなかったけれど、たくさん笑わせようと
明るく振舞った。


そして母に水が飲みたいと言われ、
1階にある無料の水を取りに向かった。


すると奥の方から、主治医の先生が歩いてきた。
僕は早速調べたことを先生に聞こうと
エレベーターに乗ろうとする先生に声をかけた。


僕は朝調べた事を期待や恐れを抑えながら
先生に問いかけた。


「インターネットで調べていたら、癌の専門の病院があるとわかりました!
そこでなら母の癌は治りますよね?」


「母のステージはいくつなのでしょうか?ステージⅠかステージⅡですか?」


など今考えると主治医に対して失礼な事ばかり聞いてしまった。


それほどまでに僕はまだ治ると確信していた。


一通り僕の質問が終わると先生は悲しげなというか、
なんて声を掛けたらよいのか、困ったような顔をしながら



「残念ながら昨日もお伝えしましたとおり、お母様の癌はもう末期なのです。」


「私達にはお母さんの残りの時間少しでも長く延ばしてあげることしかできないのです。」


「お辛いでしょうが、残りの時間を少しでも長くお母様の傍にいてあげてください」


と言い、先生は僕にお辞儀をして、
そのままエレベーターへと乗っていった。


1人で勝手に舞い上がっていたから余計に
現実の希望のなさに打ちのめされた。


僕の浅はかな考えは
いとも簡単に砕け散った…。



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