20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

アルバイト

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

頑張っている姿を見てほしくて

母が亡くなった当日、
僕はアルバイト先に
母が亡くなった事と
今後のスケジュールを伝えに行った。


この時は泣いてしまうと
自分でもわかっていたので
タオルを片手に行った。



当時のアルバイト先は
家から歩いて5分。
走れば3分。


勤務時間は
早番10:45~16:00
遅番13:30~18:30


どちらの勤務時間でも
30分の休憩があった。


僕は休憩の時間は
家に帰っていた。


休憩時間に入る時間が決まっていたので
家に帰るといつも母がざるそばなど
軽食を用意してくれていた。


僕もそれが目的で
家に帰っていた。


僕が高校生の間は
アルバイト禁止であったが


大学受験が終わった頃に
母から


「大学生になったら社会勉強の為にアルバイトをしなさい」


「家に2万を入れて後は自分で好きなように使って良いから」


「大学生の間にお金の使い方を学ぶように」


と言われていた。
でも当時の僕は
自分のお小遣いの範囲内で
済ませられていたので
アルバイトに対する欲みたいのが無かった。


ただ母からプレッシャーをかけられたので
なんとかアルバイトをしなくてはと


好きな子が学校帰りに通る駅にあった
100円均一でアルバイトをした。


当時18歳。


年末年始の郵便局の短期の
アルバイトはしたことがあるものの


やはりこんな安易な理由&
生半可な気持ちでアルバイトとして
働き始めた僕は3日で辞めてしまった。


しかも「腰が痛くなった」と言って
バックレに近い状態で辞めた。


この時父と母は僕に対して
ガッカリしていたと思うが
怒りはしなかった。


それが僕にとっては
逆に堪えた。


でもこの3日で辞めた経験は
本当に僕にとって教訓となった。


(もう二度とこんな失礼な事はしない!)


と反省するとともに決意した。



そしてこの1年後、
僕は家のすぐ近くにある
鉄道関係のグッズショップで
アルバイトを始めた。


ここでの経験があったからこそ
今の自分がある!といえるほど
素晴らしい環境だった。


僕を含めてスタッフは6人だったが
店長や先輩スタッフ達が
本当に本当に素晴らしい方達で
人として凄く成長させてもらった。


ダメなものはダメと指摘してくれて
良かった事は褒めてくれて
仕事の楽しさを教えてもらった
僕の財産となっている。


また仕事だけではなく
雑談もしてくれて


母が元気だった頃から
母の愚痴を聞いてもらったり


母に癌が見つかってから
ずっと皆が僕の事を心配してくれて
たくさん助けてくれて
励ましてくれた。




そしてこの日、タオル片手に
母が亡くなった事を報告しに行った。


時間にして
5分ぐらいで帰ったと思う。


通常なら月曜日は定休日なのだが
この日は金・土・日と
某所で毎年恒例のイベントに出展していた為
イベントから帰って来ての
片付けなどがあり
お店は休業していたが
お店の中では作業が行われていた



僕はお店に入るなり
皆の顔を見たら
悲しみが込み上げてきて
涙がこぼれた。


椅子に座らせてもらって
皆が揃って報告をした


しゃくり泣きながら


「母が…今日の…朝…」


ヒクヒクしながら
言葉が出てこなかった



でもこの間ずっと
皆が黙ってくれていたのを覚えている



「亡くなりました…」



言い切った後
僕は震えながら泣いた。


タオルで拭いても拭いても
涙が止まらない


斜め前に立っていた
店長の表情が忘れられない



店長は


「そうか…」


とだけ言い、
それ以上は何も言わなかった。



こういう時
気休めの言葉をかけられるより
この時の店長の態度が
心に染みた。


あの一言とあの表情だけで
店長の僕に対する気持ちが十分伝わった。
凄く嬉しかったのを覚えている。


そして通夜、告別式の日時を伝え
落ち着いたら次回の出勤について
連絡しますと伝え、帰った。



僕はお店を出てすぐの所にある
電話ボックスに入って号泣した。


そして今でも覚えているが
その中で母との思い出がフラッシュバックした。



僕は時々、夕方の2時間程度
1人で営業することがあった。


それを休憩で家に帰った時に
母に報告していた。


「この後1人で営業するんだ!」


アルバイトといえ、僕という人間を信頼して
お店を任せてもらえていることに誇りと責任を感じ


どこか母に

「俺って凄いだろ^^」と

自慢していた。


そして照れくさくて一度も言わなったけれど
母に自分が働いている所を見に来てほしいと
心の中ではアピールしていた。


授業参観ではないけれど


(俺もちゃんと働いているんだよ)


正直に言えば


頑張っている姿を
見てほしかった。




すると母は僕が
「この後一人営業なんだ」
と言った日には
必ず来てくれた。



他にお客さんがいる時は
僕の働いている姿を見てくれて



お客さんがいない時に来てくれた時は


「これ最近売り始めた商品なんだ」


「これ人気商品なんだ」



などと僕が嬉しくてついつい
母に自分の仕事について
ベラベラと一方的に話してしまっても



母はいつも嬉しそうに
僕の話を聞いてくれた。



「がんばっているようですな」



「店長さんに雇ってもらえて本当に良かったね」




「緊張感を持って仕事しな」



とたくさん褒めてくれたり
励ましてくれた。



当時も母に自分が働いている所を見てもらえて
嬉しかったけれど



今にして思えば
生きているうちに
こういう姿を見せられて
本当に良かったと心の底から思える。



電話ボックスの中で
お店に母が来てくれた時の事を
思い出し涙がしばらく止まらなかった。







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お母さんが…お母さんが…

母に告知をした日から次の日の朝。
言葉は正しいかはわからないが


僕は母にもう嘘をつかなくて良い事に
嬉しくなり、久しぶりに目覚めの良い朝を迎えた。


そして朝10時からアルバイトへ向かった
アルバイト先は歩いて5分程度の所の
グッズショップ。



(病院着いたら母に何と言って今後に向けて励まそうかな^^)
など前向きな気分で仕事をしていた。


この時の僕は

本当におめでたい奴だった。


ただ僕の考えていた事は
浅はかで最低だった。



一番に考えなければいけない事
一番忘れてはいけない想い
一番大切にしてきた想い


それらを見失ってしまっていた。
自分の事だけを考えていた…。


アルバイトでの勤務が終わり
僕は母の元へと向かった。


この日は9階から4階の病室に
移動する事になっていた。


病院に着いて
4階のナースステーションで
母の新しい病室を聞き
意気揚々と母の待つ病室へ向かった。


6人部屋の入って左側の真ん中のベット。
その母がいるであろうベットの前には
親戚のおばさんが立っていた。


しかしなぜか神妙な顔をしている…。


(おばさんだ。どうしたんだろう…?)


廊下側のカーテンが閉まっているので
僕の存在には母は気づいていない。


何となく只事ではないと感じ
恐る恐る近づき、
親戚のおばさんに軽く会釈をして
カーテンをめくり母の顔を覗く僕…






すると…。








次の瞬間、一瞬にして
僕は前日に取った
自分の
母に対する心無い言動を
心の底から後悔することとなった。




母はその親戚のおばさんに向かって
取り乱したように


「お母さんが…お母さんが…」


とパニックを起こしたように

泣いていた。


母は僕に目もくれず

ひたすら泣き続けた。


叔母さんは
「はつみちゃんお母さんは大丈夫だから、ほら息子さんも来たわよ」
と言って気を紛らわせようとしてくれた。


でも母は取り乱したようにひたすら
泣いていた。



母は腹痛を訴え始めた12月上旬まで
老人ホームに入居していたおばあちゃんに
1週間に1回ぐらいのペースで会いに行っていた。


老人ホームにいるため、
おばあちゃんも母のお見舞いに来れないし
母もまたこんな状態だから
おばあちゃんに会いに行けない。


母は告知を受け、
自分の母親(=おばあちゃん)に対して


母親より先に亡くなってしまう事
母親に会いたくても会えない


などの様々な想いに襲われ、
感情が爆発したのろう…。



僕は前日とは打って変わった
母の姿を見て
ようやく前日に自分が取った言動が
大きな間違いだったことに気づいた…。


その瞬間母に対する
申し訳ない気持ちというか
罪悪感というか


胸をえぐられるような
自責の念に襲われ
僕も感情が一気に爆発して
その場で泣いてしまった。


(おれは…おれはなんて最低なことをしてしまったのだ…)



僕は独り言のように
消え入るような声で



「ごめん…はつみ…ごめん…本当にごめん…」


とだけ母に言い、また慌てて廊下へ
そしてロビーへと逃げた。


(かける言葉など見つからない)


(おれには、はつみに言葉をかける資格などない)



大粒の涙がとめどなく溢れた。
自責の念に心が耐えられなかった。



その後ロビーに叔母さんが来て
現在の母の様子を教えてもらい
励ましの言葉をもらって
僕は叔母さんを見送った。


そして何度も何度も深呼吸をして
気持ちを落ち着かせて母の待つ病室へと向かった。









今こうして約9年立って改めて考えると


自分が親より先に亡くなる事
親に会いたくても会いに行けない事
会いに行けないし、電話もできないから
感謝の思いも伝えられない事



怖くて恋しくて
会いたくて、でも会えなくて…。



健康でまだまだ人生が長くある僕ですら
漠然としているとはいえ
考えるだけで恐怖などを感じるのだから



突然余命を宣告されそれが3ヶ月しかないと
言われればパニックになるのは当然だと思う。


どうしてこんな大事な事に告知の日に
気づけなかったのか。


どんな状況であれ、
例え泣くことしかできなくても
告知の時は家族には
同席してほしいと強く思う。


僕は母の時のこの経験があったからこそ
この8年後に起きる
父の告知の時に自ら率先として同席した。


案の定、泣く事しかできなかったけれど
同席して本当に良かったと強く思う。





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