20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

おにぎり

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

告別式の朝~母から届いたメッセージ~

告別式の日の朝。


不思議で奇妙な体験をした。


それは単なる偶然という言葉では
片付けられない出来事だった。


そしてそれは間違いなく
母からのメッセージだと
僕は信じている。




母は昔から機械音痴であり、
また専業主婦で家にずっと居たので
あまり必要性が無いこともあり
携帯電話を持っていなかった。


でも母が亡くなる半年ぐらい前に
母がどうしても携帯電話が欲しいとのことで


年配の方でも使いやすいというのがウリな
「かんたんケータイ」を購入した。


購入した当時
母はすごく嬉しそうで
夜家事が終わってから
よく僕に「使い方を教えてほしい」と
2人で勉強会をしていた。


そんな母が特に気に入ったのが
メールとメールの絵文字。


老眼鏡をかけながら
人差し指でゆっくり、ゆっくり
文字を入力していた。


僕はそんな母をからかいながら
一生懸命入力している姿が
可愛く見えた。


そして母はなぜか絵文字が大好きで
メールにはいつも絵文字を入力していた。


しかも同じ絵文字を語尾に
必ず大量に入れてメールを送ってきた。


例えば


「今日はとんかつでーす◎◎◎◎◎◎◎◎」


といった風に。
(◎は全てピースの同じ絵文字)


特に母が好きだった絵文字は
カエルの絵文字。


僕の記憶ではほぼ必ず
この絵文字が入っていた。



そして告別式の朝。
父がコンビニで
おにぎりを買ってきてくれていた。


僕は喪服に着替え
父が買って来てくれた
おにぎりを食べながら


ふと


(そうだ!はつみのメールを保護しよう!)


と思い立ち
自分の携帯を持ってきて
母から貰った受信メールを
保護しようとした。


当時僕が使っていたのは
折りたたみ式の携帯電話。
今でいうガラケーを使っていた。


僕は母と過去に
どんなやりとりしていたのか


メールとは言え
「母を感じられる」
瞬間でもあったので
はやる気持ちを抑えながら
自分の携帯を持ってきた。


受信ボックスを開くと
よくメールのやりとりをしていた人には
その人専用の個人フォルダを作っていて
その中に


「はつみ」
もあった。


僕はその
「はつみ」フォルダを開いて
母と過去にやりとりしたメールを
一通一通大事に大切に読んだ。



そして当時を振り返りながら



「今日はとんかつでーす◎◎◎◎◎◎◎◎」



(この日の夕飯はとんかつだったんだな)



「楽しんできてね◎◎◎◎◎◎」



(これは西武ドームに行った日だな)



などと当時の光景が走馬灯のように蘇り
込み上げてくるものがあったり、
心が和んだりした。



そしてなおも



次はどんなメールかな♪



と楽しみな気持ちで







次のメールを開くと…







僕はドキッとした







言葉が出なかった








絶句するとは
こういうことを言うのだろう





そのメールの文面とは…





















「ほなさいなら」














あまりにも予想にもしなかった
文面に絶句し
その文面を理解するのに
時間が掛かった。



そしてようやく
そのメールの文面に
心を向けると
鳥肌が立ち


あまりにも
今のこの状況に
ピッタリ過ぎて


僕はすぐに
これは



母からのメッセージだと
思った。



あれだけ絵文字が好きで
必ずメールには絵文字が入っていた。
しかもクドイぐらいに。



しかしこのメールには
絵文字が入っていない。



偶然とは思えなった。
というか疑うことすらしなかった。



そして次第に
涙が込み上げてきた。





「ほなさいなら」って…。




母が「さいなら」って
僕らの所から
さよならしようとしている事に
ショックを受け
涙が溢れた。




「さよならなんてずるいよ…はつみ…」




これが告別式の日の朝
僕が体験した不思議な出来事。



ちなみにこれには
後日談がある。


僕はこの不思議な体験を
母が亡くなってから
友達や知り合いに
このメールを見せながら
話した。


そして半年後ぐらいに立ったある日
この話しをまた新たな友達にした。



そしていつものように証拠として
このメールを見せようと
受信ボックスから探し
見せようとすると



このメールは
消えていた。



しかもこのメールだけ…。



いつ消えたのかは
わからない。




間違いなく
保護していたのに…。



そしてこの数年後
この携帯本体自体が
壊れてしまいその後
母とのメールはもう見れなくなってしまった…。




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【番外編】こんな些細な事でも

今回は久しぶりの番外編です。
なぜ番外編かというと
水曜日あたりから体調を崩してしまい
3年ぶりの風邪を引いてしまいました。



せっかく続きを楽しみにしてくれていた方達には
期待を裏切る形となり申し訳ありません…。



今は37,5℃まで下がったものの
昨日の昼頃から熱が38,7℃まで上がったり
と上がったり、下がったりの状態で
頭がボーっとしています。


普段記事を書くときは
自分の当時の記憶を思い出しながら
かなり集中をして書いています。


なので今の状態だと
そこまで集中が出来ないため
母の事を書くのは見送りました。


それだけ大事に書いていますし
書きたいので。


また体調が戻ったら再開します。
今回はどうかご勘弁を…。




さて冒頭にも言いましたが
今回3年ぶりに風邪を引いてしまいました。


父が亡くなったから初めてです。
元々父が亡くなるまでは
しょっちゅう風邪を引いていました。



でも父が異変を訴えて
癌が見つかり、亡くなり
そして亡くなってからも
ずっと気が張っていた為
風邪を引きませんでした。



父の傍に居たい、居るためには
風邪なんて引いてられない


父がいなくなった今
自分が風邪を引いたら
誰も看病してくれない


などとずっと
気が張っていました。


よく「病は気から」
と耳にしますが
本当その通りだなと
ここ2年ぐらいは思っていました。


父が亡くなり1年と2ヶ月。
気が緩んだのかもしれません(笑)



情けない事に僕は
30歳でありながら
未だに実家暮らし。


今までなら
風邪を引いたら
体調が少し落ち着いた時に
1階に下りれば


父がうどんを作ってくれたり
頼んでもいないのに
コンビニでおにぎりを買って来てくれていました。


だから僕はただ安静にすることだけに
専念出来ていました。



でも父がいなくなってから
初めて風邪を引いた事で
こんな些細なことでも
父のありがたみが身に染みました。



久しぶりに
(信ちゃん(父)がいてくれたらなあ…)
と父の事が恋しくなりました。


また父の遺影に向かって
このお礼の気持ちを伝えました。


でも僕は大事な事を忘れていました。
僕には兄がいる。


僕は何故かしてほしいことがあっても
なかなか兄には頼みづらい事があって
今日も兄は夜勤から昼前に帰って来たのですが


何回かメールで
「帰りにおにぎり買って来て」
と頼もうと思ったのですが


(夜勤明けだし、お風呂入ってすぐ寝たいだろうし)



(自分の時間を取らせるのは悪いな…)


などと躊躇し、後で
自分でコンビニにでも
買いに行こうと思っていました。



すると…。
兄が帰ってくるなり
2階に上がって来て
僕の部屋の扉越しに



「熱下がった?」



「うん。でもまた37.5まで上がってしまった」



と言うと
兄の口から



「コンビニ行って何か買って来てあげようか?」



「え…?」




予想だにしなかった
兄からの言葉を聞いて
僕はこみ上げてくるものがあり
目を真っ赤にしながら


「じゃあおにぎり買って来て^^]



とお願いしました。




亡くなった父のありがたみと
僕には自慢の兄がいる



改めて家族って良いな


としみじみと感じました。




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ゆうじ

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