20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

僕が今でも許せない人

僕にはどうしても
許せない人がいた。


母が亡くなり49日が過ぎた
この日僕はその人と1対1で
会わなければいけなかった。


その人物とは葬儀屋の人間だ。
白髪交じりの50代後半の男性。


母が亡くなったあの日、
家に冷たくなった母が帰って来て
数時間後、そこには


父と兄と僕と叔父と
そしてその葬儀屋の男性がいた。


忘れもしない。


母の葬儀について
話し合いが行われる直前


叔父が何気なく
葬儀屋の男性に
仕事について


「最近どうですか?」


と聞いたところ


葬儀屋の男性は


舌をペロっと出し


「おかげさまで最近(亡くなる人が多くて)忙しいんですよ」


と笑顔で叔父に応えていた。


その言動に僕は
唖然とした。


そしてすぐに憤りを感じた。


兄もこの時の
この言動を見ていた。



たしかにこの人にとっては
僕らは客であり、
何の繋がりもないので
悲しくも何ともないのはわかっているけれど


亡くなった当日に
悲しんでいる遺族の前で
なんでこんな態度を取れるんだ


よく心の傷に塩を塗るような

こんな態度が取れるな


学生ながらに
50代のしかもこれを仕事にしている
人間が取る言動ではない!


と憎しみの感情が
湧いてきてしまった。


そして49日が過ぎたこの日
この人がまた我が家にやって来る。



僕の記憶では
この49日の時点で仏壇が
まだ我が家には無くて


この葬儀屋が仏壇に代わる
簡易的なテーブルの上に
49日までに必要なものを置いていた。


そして49日が終わった為
何点か回収に我が家に来ることになっていた。


兄から今日この日に
この葬儀屋の男性が来たら
塩を撒いておいてと頼まれていた。


普段優しい兄がこんな事を言うなんて
兄もこの人を憎んでいるのだとわかった。


そして約束の時間に
この人が来た。


僕は素っ気なく、
いや内に激しい憎しみを持っていた為


僕はずっと酷い応対をしていた。


近況を聞かれ
冷たく応え


母に線香を上げてくれた時も
その背中を見ながら
ずっと睨んでいた。


そしてこの人が帰った後
兄に言われた通り、塩を撒いた。


しかし徐々に自分の取った行動に
罪悪感が生まれ、母の遺影の前で
また泣いた。



でも僕は未だに
あの人の事は許せないでいる…。


憎むことでしか
前に進めない
自分が情けない。





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自分の感情に

兄から言われた言葉に
最初は怒りを覚えたものの
時間が立つにつれ
ショックに変わった。


たしかに兄は僕の前で
一度も大泣きしなかった。


自分は凄く感情に正直で
ワンワン泣いていて
過ごしてきたので


兄と父は凄いなと
改めて思ったのと同時に



確かにいつまでも
自分だけ泣いているのは
2人に申し訳ない。


‘泣くのは1人の時だけにしよう'



と決意した。



そして携帯を使って
自分の気持ちを相手に
見せないためには
どう振舞えば良いのかなどについて
調べ始めた。



するといくつか
心に刺さる言葉が見つかり


座右の銘はないけれど
肝に銘じようと決意した。



それがこれだ。



『自分の感情に何重にも何重にも蓋をして【日常】という仮面を被って過ごす』



これはこの日から
今日まで一日も忘れた事が無い。



蓋が外れたり
仮面を外せば
未だに簡単に涙が溢れる。



無理して笑って
感情に蓋をして


考えないように


考えないように


して



泣いちゃいけないんだ




日常という仮面を被って
この母がいない
新しい生活を日常にするのだと
決意した。



こう決意してからは
父の前では何度か泣いてしまったけれど
兄の前ではピタリと泣かないようになった。


しかしこの決意をした翌日
また不思議な体験をする。


それはまた母からのメッセージだと
今でも思っている。







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泣いて何が悪い!!

僕は母が入院した日から
ずーっと毎日
何回も何回も泣いていた。


21歳で母を亡くした
当時の僕は本当に
自分の感情に正直だった。


母が亡くなってからも
僕は事あるごとに泣いていた。


家族以外の人の前では
泣かないようにと
気が張れていたこともあり
大丈夫であったが


父と兄の前では遠慮なく
泣いていた。


父は家の中で泣いている僕を見ても
イライラしたり、
言葉をかけるわけでもなく
そっとしておいてくれた。




しかし一方で冷静沈着で優しい兄が
一度だけ僕に爆発した。



僕と兄は3歳差で
小中高大とずっと
同じ学校に通っていた。


小中高は3歳違いの為
兄が3月に卒業し
4月から弟の僕が入学するという流れ。


大学は4年制の為
僕が1年生で兄が4年制の為
何科目か一緒の授業を取り


一緒に受けたり
休み時間はグランドで
キャッチボールをよくやっていた。


それほどまでに
僕ら兄弟は仲が良かった。


喧嘩も無ければ
口論することすら
ほとんどなかった。


母が入院してからも
母が亡くなり
通夜、告別式の時も
兄はずっと僕を支えてくれた。


そして
母が亡くなり
葬儀も終わり
家族3人の新たな生活が
始まった。


兄は母が入院してから
告別式の時までで
目を真っ赤にしていたのは
通夜の時などに記憶にあるが


大泣きしたり
取り乱したりしたことは
一度も無かった。


ずっと気になっていたので
聞いてみると


兄は誰もいない
職場のロッカーで泣いていた
と兄から聞かされた。


しかし一方で
仕事が終わり

家に帰ってくると
弟の僕が相変わらず
ピーピー泣いている。


そんな僕を見て
我慢の限界にきたのだろう。


兄が怒り口調で早口で
こう言ってきた。




「職場の人に弟が未だにピーピー泣いていて腹が立つって言ったんだ」




「そしたら先輩が『よく我慢できるね、俺ならそんな弟、殴るけどね』って言われた」



と言ってきた。



僕は兄からそう言われ
つい感情的になり



「21年間しか一緒に入れなかったんだ」



「泣いて何が悪い!!」



などと兄に言い返し
怒りに震え
さらに泣いた。


そして自分の部屋に駆け込み
枕に顔をうずめ
泣き続けた。


そしてこの日は兄と
口を聞かないまま
兄が寝るまで部屋に籠った。



そして僕は自分の部屋の中で
ある決意をする。








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【番外編】こんな些細な事でも

今回は久しぶりの番外編です。
なぜ番外編かというと
水曜日あたりから体調を崩してしまい
3年ぶりの風邪を引いてしまいました。



せっかく続きを楽しみにしてくれていた方達には
期待を裏切る形となり申し訳ありません…。



今は37,5℃まで下がったものの
昨日の昼頃から熱が38,7℃まで上がったり
と上がったり、下がったりの状態で
頭がボーっとしています。


普段記事を書くときは
自分の当時の記憶を思い出しながら
かなり集中をして書いています。


なので今の状態だと
そこまで集中が出来ないため
母の事を書くのは見送りました。


それだけ大事に書いていますし
書きたいので。


また体調が戻ったら再開します。
今回はどうかご勘弁を…。




さて冒頭にも言いましたが
今回3年ぶりに風邪を引いてしまいました。


父が亡くなったから初めてです。
元々父が亡くなるまでは
しょっちゅう風邪を引いていました。



でも父が異変を訴えて
癌が見つかり、亡くなり
そして亡くなってからも
ずっと気が張っていた為
風邪を引きませんでした。



父の傍に居たい、居るためには
風邪なんて引いてられない


父がいなくなった今
自分が風邪を引いたら
誰も看病してくれない


などとずっと
気が張っていました。


よく「病は気から」
と耳にしますが
本当その通りだなと
ここ2年ぐらいは思っていました。


父が亡くなり1年と2ヶ月。
気が緩んだのかもしれません(笑)



情けない事に僕は
30歳でありながら
未だに実家暮らし。


今までなら
風邪を引いたら
体調が少し落ち着いた時に
1階に下りれば


父がうどんを作ってくれたり
頼んでもいないのに
コンビニでおにぎりを買って来てくれていました。


だから僕はただ安静にすることだけに
専念出来ていました。



でも父がいなくなってから
初めて風邪を引いた事で
こんな些細なことでも
父のありがたみが身に染みました。



久しぶりに
(信ちゃん(父)がいてくれたらなあ…)
と父の事が恋しくなりました。


また父の遺影に向かって
このお礼の気持ちを伝えました。


でも僕は大事な事を忘れていました。
僕には兄がいる。


僕は何故かしてほしいことがあっても
なかなか兄には頼みづらい事があって
今日も兄は夜勤から昼前に帰って来たのですが


何回かメールで
「帰りにおにぎり買って来て」
と頼もうと思ったのですが


(夜勤明けだし、お風呂入ってすぐ寝たいだろうし)



(自分の時間を取らせるのは悪いな…)


などと躊躇し、後で
自分でコンビニにでも
買いに行こうと思っていました。



すると…。
兄が帰ってくるなり
2階に上がって来て
僕の部屋の扉越しに



「熱下がった?」



「うん。でもまた37.5まで上がってしまった」



と言うと
兄の口から



「コンビニ行って何か買って来てあげようか?」



「え…?」




予想だにしなかった
兄からの言葉を聞いて
僕はこみ上げてくるものがあり
目を真っ赤にしながら


「じゃあおにぎり買って来て^^]



とお願いしました。




亡くなった父のありがたみと
僕には自慢の兄がいる



改めて家族って良いな


としみじみと感じました。




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兄から聞かされた母の想い

あれが母との最期の会話になったとは
この時の僕は知る由もなかった。


兄は病院に残り、
先に帰った僕はお風呂を沸かした。
父は夕飯の準備をしていた。


お風呂が沸き1番風呂に入った。


いつもなら兄が
母と何を話しているのか気にならなかったが


この時は湯船に浸かりながら



ただ純粋に兄と母の会話の内容が
とても気になった。


そんなことを考えていると
門の開く音が聞こえ
玄関のドアが閉まった振動が伝わった。


兄が帰って来た。


兄は手洗いうがいをしに
脱衣室にやって来た。


湯船に浸かっている僕。
扉越しに兄の姿がボヤけて見える。



「おかえり」



「ただいま」



「ねえ母ちゃんと何を話したの?」



僕は唐突に兄に問いかけた。



すると兄は扉越しに



「今日はおまえの様子が最初おかしかったと心配していたよ」



「あ~ちょっと朝、父ちゃんを怒らせちゃってね…」



僕がそう答えて
一旦会話が終わったと思ったら


「今湯船?」


と聞いてきたので


「うん」


と答えると



兄がいきなり
浴室の扉を開けてきた。


僕は普段眼鏡をかけているため
お風呂に入る時は当然メガネを外している。


兄の顔がボヤけて
全然見えなかった。



「母ちゃんね、入院してから『ゆうじが心配』『ゆうじが心配』ってずっと言っていたよ」



「え?」



あまりにも突然で
思いがけない事を
兄から言われ、


僕は兄の言葉を理解するのに
少し時間がかかった。


そして兄は



「今日も帰る時、ゆうじが心配。だからゆうじの事頼むね、って言っていた。」




とさらに僕に語り掛け
兄は扉を閉め、
脱衣室から出て行った。



あっけにとられていた僕は
ようやく兄から言われた言葉に目を向けた。



僕の知らない所で
「ゆうじが心配」と
母が心配をしていてくれたこと



もちろん母が僕の事を
心配してくれていたのは
言葉にしなくても
母から伝わって来ていたけれど


入院した時から
ずっと僕のことを
心配していたという事実を知り


兄から聞かされた母の想いを聞いて
僕は改めて母が
僕の事を考えてくれていた事に
感情が爆発して
声を出しながら泣いた。


そして考えてみれば
母が入院してから、より兄が
僕にコミュニケーションを取ってくれたり
気を紛らわせてくれたりした事がわかり
兄に対しても感謝の思いが芽生え涙が溢れた。



僕は父にも兄にも
そして何より母にも
たくさんの心配をかけたり
たくさん気を遣わせてしまっていたのだと
自分に腹が立った。


父と兄には
母の事だけを考えてあげる事に
時間を使わせてあげたかった。


そして母には自分の体の事、
残りの時間を考える事に
目を向けさせる事が
僕にはできなかった。


現に僕は父と兄の事を心配などしてこなかった。
入院してからずっと母の事だけを考えてきた。


結局僕は皆に
余計な心配をかけてばかりだった。




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