20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

番外編

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

【番外編】こんな些細な事でも

今回は久しぶりの番外編です。
なぜ番外編かというと
水曜日あたりから体調を崩してしまい
3年ぶりの風邪を引いてしまいました。



せっかく続きを楽しみにしてくれていた方達には
期待を裏切る形となり申し訳ありません…。



今は37,5℃まで下がったものの
昨日の昼頃から熱が38,7℃まで上がったり
と上がったり、下がったりの状態で
頭がボーっとしています。


普段記事を書くときは
自分の当時の記憶を思い出しながら
かなり集中をして書いています。


なので今の状態だと
そこまで集中が出来ないため
母の事を書くのは見送りました。


それだけ大事に書いていますし
書きたいので。


また体調が戻ったら再開します。
今回はどうかご勘弁を…。




さて冒頭にも言いましたが
今回3年ぶりに風邪を引いてしまいました。


父が亡くなったから初めてです。
元々父が亡くなるまでは
しょっちゅう風邪を引いていました。



でも父が異変を訴えて
癌が見つかり、亡くなり
そして亡くなってからも
ずっと気が張っていた為
風邪を引きませんでした。



父の傍に居たい、居るためには
風邪なんて引いてられない


父がいなくなった今
自分が風邪を引いたら
誰も看病してくれない


などとずっと
気が張っていました。


よく「病は気から」
と耳にしますが
本当その通りだなと
ここ2年ぐらいは思っていました。


父が亡くなり1年と2ヶ月。
気が緩んだのかもしれません(笑)



情けない事に僕は
30歳でありながら
未だに実家暮らし。


今までなら
風邪を引いたら
体調が少し落ち着いた時に
1階に下りれば


父がうどんを作ってくれたり
頼んでもいないのに
コンビニでおにぎりを買って来てくれていました。


だから僕はただ安静にすることだけに
専念出来ていました。



でも父がいなくなってから
初めて風邪を引いた事で
こんな些細なことでも
父のありがたみが身に染みました。



久しぶりに
(信ちゃん(父)がいてくれたらなあ…)
と父の事が恋しくなりました。


また父の遺影に向かって
このお礼の気持ちを伝えました。


でも僕は大事な事を忘れていました。
僕には兄がいる。


僕は何故かしてほしいことがあっても
なかなか兄には頼みづらい事があって
今日も兄は夜勤から昼前に帰って来たのですが


何回かメールで
「帰りにおにぎり買って来て」
と頼もうと思ったのですが


(夜勤明けだし、お風呂入ってすぐ寝たいだろうし)



(自分の時間を取らせるのは悪いな…)


などと躊躇し、後で
自分でコンビニにでも
買いに行こうと思っていました。



すると…。
兄が帰ってくるなり
2階に上がって来て
僕の部屋の扉越しに



「熱下がった?」



「うん。でもまた37.5まで上がってしまった」



と言うと
兄の口から



「コンビニ行って何か買って来てあげようか?」



「え…?」




予想だにしなかった
兄からの言葉を聞いて
僕はこみ上げてくるものがあり
目を真っ赤にしながら


「じゃあおにぎり買って来て^^]



とお願いしました。




亡くなった父のありがたみと
僕には自慢の兄がいる



改めて家族って良いな


としみじみと感じました。




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好きなだけ泣きたくて

母が一命を取り止めた
その日の夜。


どんなに願っても
どんなに一緒にいたくても


母と一緒に過ごせる時間は
もう限られている。


母が入院してから初めて
本当に母が死ぬかもしれないと
目のあたりにしたことで


家に帰って自分の部屋に入った時
心が震えた。その震えは止まらなかった。


好きなだけ泣きたくて
僕は禁断のCDに手を伸ばした。


それは僕が大好きだった曲のCD。


しかしそれは母が腹痛を訴えた
あの日から、あえて避けていたCD。



でも母との時間がもう本当に
限られた時間しか残されていないと覚悟した時、
無性に聴きたくなった。


その曲とは
JULEPSジュレップス) さん達の
「旅立つ日」という曲。


この曲を好きになったきっかけは
母が亡くなる1年前の2007年11月15日に
めざましテレビでたまたま
歌っている姿を見て
心にとても響いたから。


でもこの曲を好きになった当時と
この日の夜の自分とでは
この曲に対しての捉え方が180度違う。


一つ一つの歌詞の意味が
大きく違って感じられ
一つ一つの歌詞と映像が心に突き刺さり
涙が止まらなかった。


僕の中でこの夜を境に
「大好きな曲」から
「人生の中で大事な曲」に
変わった。


自分がその歌詞に出てくる当事者になった気がして
そう思って聞くと本当に
一つ一つの詞が心に突き刺さる。


CDで聴くだけでも涙が出るが
感情移入ができるDVDで
アニメを見ながら聴きたかった。


思う存分、母の事を考えながら泣きたい。
その思い通りに
体中から涙が出てくるような感覚になるほど
涙が止まらなかった。


この日の夜はただただ
泣いていた。


思う存分泣けたことで
少しだけスッキリした。


そして次の日、母の闘病生活の中でも
告知の時と同じぐらい
忘れられない濃い1日を迎える。



【番外編】
どうか皆さんにも
ご覧いただきたいです。


完全版は7分と長いです。
4分頃、一旦終わったような感じがしますが
続くのでご覧いただける場合は
最後までぜひご覧ください><








母が亡くなってからは
この曲を聴きながら
色々な事を考える。


最初の夜だけなど無理
今も両親のことを真剣に考えるだけで
簡単に涙が出てくる。


でも「幸せだったよ」とは
迷いなく言える。
一点の曇りもない。


遺影の写真を撮った時の
私になにかあったらこの写真を遺影にしてね」
(詳しくは http://yuuji16.site/archives/3861082.html ご覧ください)


あの時すでに母は神に会って
「命に終わりが来るとそっと知らされていたのだろうか?」



日差しになって僕を見守ってくれている
と信じられるよ


そう感じながら
つい聴いてしまう。


この記事を書こうとして
久しぶりにDVDを見たが
やはり涙が止まらない。





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【番外編】幸先の良いスタート ~父からの激励~

番外編ばかりで
すみません><


新年早々、幸先の良い
スタートが切れました^^


昨年の両親がいなくなってから
初めて迎えた僕の誕生日の時のように
母が亡くなってから
何度か不思議な出来事を経験した。


母とはお互い恋しいまま別れたので
そういった不思議な出来事は多々あるが、


父が亡くなってからは父からの
そういった何か不思議な事は無かった。


でもそれは母の時と違って
父の事をしっかりと送り出せたと
心の底から思えているから
そういった不思議な事は起こらないのかなと
思っていた。


でも父が亡くなったから初めて
父からのメッセージかなと思える事が起きた。


僕は今年の元旦も仕事だった。
サービス業だから元旦はなかなか休めない。


かと言って、結婚もしていなければ
彼女もいないので、元旦に
仕事でも特に不満もない。


年末ということもあり
職場ではここ最近
大掃除がてら
保管期限が切れた資料を
シュレッダーにかけて処分していた。


僕はいつもその仕事を同僚に任せ
他の仕事をしていた。


でも元旦ということもあってか
いつもより仕事量が少なく手が空いたので、
僕も資料をシュレッダーにかけることにした。


(どれどれ、ささっとやりますかな)


と大雑把に取って資料を
シュレッダーにかけていく僕。


シュレッダーが紙を切断している最中に
次にかける資料を手に取る。


その繰り返し。
そして不意にこれから
シュレッダーにかける資料に目を通した。


(いつの頃の資料だろう?)


(うわ~懐かしい書式だな~)


(前はこんな書式の紙だったな~)


と手を止め、資料に見入った。
そして次に日付に目をやると…。


僕はドキッとした。


(え?2014年8月1日って!?)


(おれがこの会社に転職した日じゃん!!)


僕が手にした資料は
僕が今の会社に転職して
初めて働いた日の資料だったのだ。


僕は今の会社が2つ目の会社。
つまりこの日は人生で初めて転職をした日。


僕は4年制の大学を卒業して
飲食チェーン店の会社に就職した。


そこで約4年と3ヶ月働いたのだが、
当時僕は入社して1ヶ月後から
ずっと夜勤の担当だった。


当時から父は僕の体の事を
心配してくれていて


日勤の勤務のみの
今の会社に転職が決まった時は
凄い喜んでくれたのを覚えている。


父が亡くなり
初めて迎えた年のお正月。


色んな意味で新しい年が
スタートしたこの日。


たまたま手が空いたから
普段はやらないシュレッダーをかける仕事をしたこと。


たまたま取った紙が
自分が転職した初日の資料。


僕はまた都合の良い解釈をした。


新年最初の仕事。


何だかこれは父からの


「ゆうじ、初心を忘れるなよ!」
というメッセージだと解釈した。


こんな偶然なんてありえない。
これは間違いなく
「父からの激励」だと。


何だか新年早々良いスタートが切れました^^
僕も皆さんも今年は今まで以上に
良い年にしましょうね^^


改めまして今年もよろしくお願いします^^


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【番外編】ブログタイトルを変更しました

「20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~」



ブログタイトルを変更しました。



「両親を癌で亡くした僕が伝えたいこと」
このタイトルでブログを書き続けて来ました。



ブログを書き始める頃は
まさかこんなに多くの方に
読んで頂けて、かつ応援して頂けるとは
思っていませんでした。



僕は両親を癌で亡くしました。
最初は癌で親を亡くした方や
現在癌で闘病中の方や
そのご家族の方に
僕の経験が役に立ってくれればという想いがあり、
このようなタイトルをつけました。



ですが、ブログを書き続けた中で
皆さんから頂いたこれまでの心温まるコメントを
読む中で気づいたことがあります。



それは「若くして両親を亡くした」ということが
語弊はありますが相手の心に響きやすいということ。
僕は21で母を、29で父を亡くしました。



僕は若くして絶望を知りました。
でも逆を言えばそれは僕の武器でもある。



20代で両親を亡くした僕。
友人や職場の方など周りを見渡しても
なかなかいない。



ブログを書き続け、多くの方に読んで頂けている中で
僕の想いは次第に変化してきました。



僕の想いはただひとつ。
僕の経験を一人でも多くの方の心に届けたい。



そのためには多くの方の目に留まるような
興味を引けるタイトルにしたい。



また以前、XYZさんから頂いた
「あなたのブログが、様々な方の宿り木になるよう願っております。」
という素敵なコメントが
とても心に響き、心に残っています。



僕の目指すところはそこだと強く思いました。
この「宿り木」という素敵な言葉と
僕が大切にしている「心」をセットにして
「心の宿り木」という言葉を
サブタイトルに付けさせて頂きました。


両親がいなくなって初めて迎えた
新しい年ということもあり、
ブログタイトルを変更しました。



恥ずかしながらこのブログが
1人でも多くの方の心の宿り木に
なってくれたら良いなあと思っています。



これからも頑張っていきます。
よろしくお願いします。



次回も「番外編」です。
母の話は来週から再開します><



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【番外編】パソコンの向こう側から

新年となりました。
皆さん昨年はお世話になりました。
本年もよろしくお願い致します。



両親がいなくなって
初めて迎える元旦。


昨年までは父と
紅白やガキの使いを見ながら
年越しそばを食べて
新年を迎えていたのに…
なんだか不思議な感覚です。


さて新年最初のブログは
番外編として音楽について書きます^^


このブログはパソコンから書いているのですが
その際、集中力を高めるために
パソコン版のYouTubeで
その時の気分で好きな曲を検索をして
音楽を流しながら書くことがあります。


曲が終わると
履歴や過去の再生傾向から
自動再生で次の曲が流れてきます。


バラードが大好きなので
そういった曲が多いです。


ブログに集中しているので
普段は音楽には集中していないのですが


先日いつものように
音楽を流しながら書いていると…


パソコンの向こう側から
流れてくる曲に
思わず心を奪われてしまいました。


失礼ながらタイトルも知らない、
初めて聞く曲でした。


父と母を思いながら聞いて
涙が溢れて来ました。





ここ数日ずっとこの曲を聞いています。


音楽にまつわる話で
母との思い出の曲が数曲あります。
皆さんに聞いてほしいので近々書きますね^^


それでは改めまして
本年もよろしくお願いします^^









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プロフィール

ゆうじ

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