20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

ありがとな

父の言葉につい取り乱してしまい
洗濯物を持って勢いのまま
2階へと駆け上がった僕。


洗濯物を干す部屋で
怒りに震える僕。


しかし次の瞬間
声を出して泣き始めた。


父に取った先程の自分の言動を
後悔して涙が止まらなかった。


(なんであんな態度を取ってしまったんだ…)


(はつみが悲しむことをしてしまった…)


いつもならどんなに自分が悪いと自覚していても
自分を正当化してしまうのだが
この時の僕は違った。


時間にして5分程度だっただろうか
僕は洗濯物を干さずにいた。


僕は父にすぐに謝ろうと思った。
泣くのを止め、自分の気持ちを落ち着かせて
父がいる1階へと向かった。


リビングのドアの手前で
大きく深呼吸をして
ドアを開けるとすぐに父と目が合った。


父は穏やか顔をしていた。
僕はその顔を見て
また涙が溢れた。


そしてヒクヒクと泣きながら



「信ちゃん…さっきはごめん…」



「おれが悪かった…信ちゃんに言われた通り、これからは襟の部分丁寧にやる」



自分でも驚くほど素直に謝れた。
だからこうして今でもはっきりと
覚えられているのかもしれない。



そして最後に僕は父に向かって
決意表明をした。



「おれ…はつみの分まで頑張るからさ…」



すると父は突然椅子から立ち上がって
ゆっくりと僕の所に来て



「ありがとな」



と一言だけ言って
下を向いて泣いている僕の頭を
ポンと叩いた。



21年間生きてきた中で
初めて父にこんな風に
頭をポンとされたのは
物心がついてからは
初めてだった。


こんな酷い言動を父に取ったのに
大きな愛情で包んで許してくれる父に
申し訳ない気持ちと


母が居なくなっても
自分にはこんなに優しい父が
そばに居てくれることに
嬉しくて暫く涙が止まらなかった。






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父に感情を爆発させた夜

僕は涙もろく
家族が大好きだ。


僕は怒ると
無口になる。


口論するのが嫌いだし
相手を傷つけたくないし
何より自分の心が傷つくのが怖いから。


僕は昔から家族と喧嘩をした時は
少し口論になると
すぐに無言になり
その場を離れ
ブツブツ言いながら
自分の部屋に逃げていた。


喧嘩をしても
時間が解決してくれるので
翌日になれば
元通り。


お互いに根に持ったりしないので
本当に良い環境だった。


僕は今回の母の入院から
亡くなるまでの間に
たくさん感情を爆発させ
たくさん泣いたけれど


決して情緒不安定
ではなかった。


目の前の事に
常に全身全霊で
向き合った。



悲しい事



辛い光景



受け入れられない現実



向き合えない現実



目を背けたい出来事



常に目の前で起きていることに対して
感じたままに、自分の感情に正直なまま
過ごしてきた。



悲しかったり
辛かったりして
パニックになって
たくさん泣いてけれど


決してパニックになって
怒りの感情を爆発させたことは
なかった。


前回の兄に苦言を言われた時も
普通に口喧嘩をした時のような
感覚だった。



しかしある晩の事。
僕は些細な事で
父に対して
怒りの感情を爆発をさせ
その後、号泣してしまった。


おそらく僕の30年の人生の中で
怒るつもりが無いのに
怒ってしまったのも


1人でいる時に声を荒げたことはあったが
相手に対して声を荒げて怒って
激しく取り乱したのも
これが未だに最初で最後だったと思う。


それほどまでに
今も印象に残っている。



ある晩の事。


今日も父が仕事から帰って来て
すぐに僕の夕食を作ってくれた。


出来立てのご飯を僕が食べている間に
父はお風呂に入った。


父がお風呂から出ると
僕は洗濯機を回した。


僕はご飯を食べ終わり
少しリビングのソファーで
休憩をしていた。


お風呂から出た父は
リビングでテレビを見ながら
1人で晩酌をし始めた。



父はビールが大好きだった。
しかし父いわく
ビールではなく発泡酒。


母が生前の頃は
350㍑の缶を2本だけ
飲んで良いと
決まっていたが

母が居なくなったことで
今は止める人がいない為
350㍑の缶2本+500㍑の缶を1本追加の
計3本飲むようになっていた。


父はハイペースで飲むため
すぐに酔う。


普段寡黙であまりしゃべらないのに
酔うとおしゃべりになる。


同じ事を何度も言ったりする。
我が家では酔った父のそれを
「演説」と言っていた。


僕は父の「演説」を聞くのが
めんどくさかったのもあり
隣の和室に逃げ込んだ。



そして新たな生活スタイルが始まった中で
僕の新たな日課となりつつあった
父のYシャツの
アイロンがけをし始めた。


今まではこれも母がやっていた。
母が元気な頃にアイロンがけの
やり方を教えてもらっていた。



母が家族の為にやってくれていた事は
‘自分ができることはやろう”
と決めていた僕は
下手くそなりにやっていた。


父はタバコをたくさん吸うため
タバコ嫌いの僕は
和室の襖を閉め
アイロンがけをしていた。


そしてYシャツのアイロンがけをし始めると
襖の向こうから、椅子を引く音が聞こえた。



僕は心の中で


(こっちに来るなよ~?)


と心の中で唱えながら
ビクビクしながら
アイロンをかけていた。


すると襖の向こう側から
冷蔵庫が開く音がした。


どうやらおかわりの
缶ビールを取りに行っただけのようだ。


胸を撫でおろした僕。


しかしまだ油断はできない。


すると足音がだんだん
近づいて来て…


次の瞬間、
襖が開いた。



ドキッとする僕。



少し父を睨みながら



「何?」




と聞くと
父は嬉しそうな顔で



「お!ゆうじくんありがとう」



父は酔っぱらって
上機嫌になると
僕の事を



くん付けで
呼んでくる。


僕が自分の為に下手くそなりにも
アイロンをかけている事が嬉しかったようで


本当にニコニコしていた。



そして父は何気なく


「ゆうじくん襟の所にいつもシワができているから、必ず裏側からかけるようにね^^」


とアドバイスをしてきた。
この当時も父の真意は
きちんと伝わっていた。


決して



もっと上手にやってくれ



とか




下手くそ




という意味ではなく



僕の行っている事に対して
きちんと感謝してくれているのは
十分伝わっていたし





もっとこうすれば
綺麗になるからお願いね



という意味で言っていたのに



この時の僕は
父の言葉で
完全に取り乱した。




何で自分がこんなことやらなければいけないんだ





はつみがいればこんなことしなくて良いのに



そんな風に考えてしまっていた。


母が居なくなった事で
必要以上に自分が母の代わりに
頑張ればいけないと
考えすぎていた。



そして僕は父に対してつい




「おれだって頑張っているんだよ!!」




と大きな声を出してしまった。




「もう良い!!!!!」




そう言うと僕は
和室から脱衣所に行き
洗濯機から洗濯物を
怒りのままカゴに入れて
大きな足音を立てながら
階段を上って2階へと向かった。





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僕が父と兄を「ちゃん」付で呼ぶようになった理由

はつみが生きた証を残したくて


洗濯物の干すタイミング


お風呂を入れる時間


母と同じタイミングや方法を取る事で
母を感じられて
僕の心の中にいつも
母がいた。



そして僕にはもうひとつ
母が亡くなってから
母の真似をして
ある習慣を変えた。


それは父と兄の呼び方だ。



このブログでも時折書いているので
いつも読んでくれている方は
ご存知かと思うが


僕は母が生前の頃
父と母と兄それぞれを
下の名前で呼び捨てにしていた。



信幸



はつみ



洋平



家族以外の人に
家族の事を話すときは



父、父親、父ちゃん


母、母親、母ちゃん


兄、兄ちゃん



などと言っていたが
普段呼び捨てにしているので
他人に家族の事を話す時には


わざわざ言い換えて
言わなければいけないので
未だに違和感があるというか
ぎこちない。



母は父と兄の事は
基本的に
「ちゃん」付で呼んでいた。


信ちゃん


洋ちゃん


といった風に。


僕はごく稀に


ゆうちゃんと呼ばれていたが


僕は



ゆうじ



と呼ばれるのが好きなので
小学生の高学年ぐらいに
母にその呼び方は止めてほしいと
頼んで以降は
ほとんどちゃん付では
呼ばれなくなった。




そこで僕は
母が亡くなった事で
ある決意をした。



それは僕も
母と同じ呼び方で父と兄の事を
呼ぶようにした。



最初のうちは
こんなことでも


僕がこうして母と同じ呼び方で
2人を呼ぶことで


2人に母のことを
感じてほしくて
呼んでいた。


父と兄は優しいので
僕がこうして呼ぶ事に対して
初めて呼んだ時から
今まで一度も


「気持ち悪い」





「その呼び方は止めろ」



などと言わずに
僕の好きなように
呼ばせてくれた。



母が亡くなって9年半


父は1年前に亡くなったものの
ずっとこの呼び方で呼んでいたから


元から家族の仲は良かったけれど
今まで以上に家族の距離感が近くなったと
感じた。


もっとも母が亡くなった事が
何よりもの理由だけれど。



やはりごく稀に口喧嘩などしても
「ちゃん」付するようになってからは
怒っている最中でも


「信ちゃんのヤロー」


とどこか迫力が無くなる為か
すぐに怒りが治まった。


ちなみに僕は両親の事をそれぞれ
「親父」「お袋」と呼んだことは
人生で一度も無い。



ちゃん付で呼ぶのはともかく
親しみのある呼び方で呼ぶのは
結構オススメです^^





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はつみの習慣だから

母が亡くなって
男3人での新しい生活が
少しずつ、そして確実に
スタートし始めた。


父と兄は仕事。
兄は土休日も仕事があるので
家族3人休みはほとんどない。


父が食事を担当してくれた。
朝はご飯と味噌汁と魚が準備してあり
僕はレンジでチンするだけで良かった。


そして仕事から帰ってくれば
すぐに僕の夕飯の食事を作ってくれ
本当に僕ら子供達の為に尽くしてくれた。


父は元々料理を作るのが好きで
母が居た頃も土日の仕事が休みの日は
父が担当していた。


ただ作るだけではなく
一品一品が美味しかった。


僕はというと
アルバイトには復帰したものの
アルバイトが無い日は


相変わらず家に
引きこもっていた。


朝起きて掃除機をかけ
父からのメモがあれば
その頼み事を行う。


夕方になれば
お風呂を沸かす。



夜になれば
洗濯機を回し
洗濯物を干す。



母が生きていた頃に


こんなことしていたな


あんなことしていたな


と一緒に居た時に
母が何をしていたかを
思い出しながら
母と同じ事をした。



母は夜に洗濯機を回し
夜に室内干しをする、
それが母のスタイルだった。



僕もそのスタイルを受け継ぎ
そのスタイルで洗濯物を担当した。



しかし新たな生活が始まり
夜僕が洗濯機を回しに行こうとすると



何気なく父が



「朝、洗濯機を回して日中干せば?」



と言ってきた。



僕はそんな父のアドバイスを
即座に否定した。



なぜならそれは
僕の中で譲れない事だったから。




「ううん。はつみがずっとやってきた習慣だから夜に干す」




父は僕のその言葉を聞いて
これ以降一度も
「朝干せば?」など
自分の意見を強要することもなかった。


僕の考えを
尊重してくれた。



はつみがずっとやってきたスタイル。
こんな些細な事でも
僕ははつみの習慣を受け継ぐ。


こんな些細な事でも
はつみの存在を
感じられる瞬間だから



僕は今でも
基本的に夜に干している。





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必ず今ここに

母が1か月半ぶりに我が家に帰って来た。
しかし冷たくなった状態で。


冷たくなった状態の母が寝ているのは
1階のリビングの隣の和室。


リビングで父と兄が居て
僕はその間ずっと冷たくなった母のそばに居た。


ただただ母のそばに居たかった。
母のそばから離れたくなかった。


いつもなら母が寝ていたら
こんなに部屋を明るくしていない。


もっといえばこの部屋での
母の寝顔を見た事が無い。


渦を巻いた線香から
独特の匂いがする。





今回の腹痛と入院は
母の事を大事にしてこなかった僕に対しての
神様からの警告で


母は大きな病気でなく
また元気な状態で
この家に帰って来て
この部屋で前と同じように
一日の疲れを取るために寝てほしかった。


もはや今この目の前の光景は
僕が望んだ
光景ではない。



【もう本当に全てが終わってしまった】


その喪失感と母に対しての恋しい気持ちが
交差して母の顔を見ているだけで
涙が止まらなかった。


襖の向こうには父と兄が居る。
鼻を摘まみながら隣の部屋に
鳴き声が漏れないようにと
必死に我慢した。



父から
「明後日には母ちゃんは火葬してしまう」
と聞かされていた僕は



何度も何度も
泣きながら母の顔を触った。



あの何とも表現しがたい
また経験した事のない
「冷たさ」「感触」は手だけではなく
心の奥底にまで


もっといえば
今でも忘れられないほど
脳を含めた全身に残っている。


それでも僕は何度も何度も
母に触った。


その「冷たさ」「感触」が
僕の心の奥底まで震わせた


とてつもない恐怖に襲われ
母の顔に数滴、
涙をこぼしてしまった。


僕は母の顔に垂らしてしまった
涙を拭きながら



「何だよ…涙を落としても生き返らないじゃないか…」



もちろんこんなのは空想の世界の話だと
わかっていたけれど


藁にも縋る思いというか
そんなことまで考えてしまうほど
この現実を受け止めきれなかった。


この現実が
「夢」であってほしいと
真剣に思ってしまった。



そして僕は
母のおでこにキスをした。


「はつみ何でだよ…いつもなら"気持ち悪い"って嫌がるじゃん…」



「起きてよ…はつみ…」



「こんな形で帰ってくるの嫌だよ俺…」



「せっかくはつみの大事さがわかったのに…」



すると唐突に襖があいた。


振り返ると
相手は父だった。


僕が母の部屋にこもる前
父は缶ビールを数本飲んでいた。


いつもなら酔っているのに
この時は酔っていなかった。


というか今にして思えば
酔えなかったのだと思う。


僕は泣いているのを隠そうと
無言になったものの
泣いた後がバレバレだったのだと思う。



父は



「母ちゃんが家で過ごせるのは今日が最後だ。必ず今ここにいるから好きなだけ母ちゃんの前で泣いてあげな」


というと襖を閉めた。


僕は父のその言葉を聞いて
顔をくしゃくしゃにして
泣きながら



「うん…」


と答えた。


そしてまた
母の前で泣いた。


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プロフィール

ゆうじ

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