20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

母 はつみ 永眠 享年53歳

家族では僕だけが
母の最期を看取った


母には2回死亡時刻がある。
僕が看取った午前8時42分。


この時先生は父が来るまで
死亡時刻を待ちますと僕に告げた。


なので
2009年2月2日午前9時11分が
母の正式な死亡時刻となった。


父が来るまで約30分の間、
母が息を引き取ったにもかかわらず
僕は泣かなかった


というようより
泣けなかった



この母が亡くなったという現実が
理解できず、また受け止めきれず
実感が沸かなかったから。


それに先生と看護師の方もいたので
平静を装って
時折笑みも浮かべていた気がする。


覚えているのは
看護師の方が
目に涙を貯めながら


「朝の時点では普通に会話ができていたのですが…」


と僕に教えてくれた事。



そして看護師さんは
母の死を悲しんで悲痛な顔で
冷たくなった母の顔を
ずっと見てくれていたのが
僕は凄く嬉しかった。


そしてそうこうしていると
物凄い勢いで
病室の扉が開いた


父が来た。



父は今までに見た事のないような
表情で病室に入ってくるなり
母の顔を見つめた。



すると先生が父に
本当は8時42分に亡くなったが
父が来た時間を死亡時刻にするため
待っていたことを告げた。




そしてついに『その時』を
先生は僕と父に告げた。



「午前9時11分ご臨終です…」



その瞬間父は膝から崩れ落ち



母の両手を力強く握りしめ


「よく頑張った! よく頑張った!」


と泣きながら
母に呼び掛けた。



僕はそんな父の姿を見て
この目の前で起きている
残酷な光景が
「現実」であると実感が沸き



リミッターが外れ
一気に感情が爆発した



声を出して
ワンワン泣いた。



父がこんな風に泣いたところを見るのは
産まれて初めてだった。


父が母の事を本当に大切に大事に想って
愛していたのが改めてわかって
そこにも感動した。



あらゆる感情に襲われ
それが僕の心を震わせた。



2009年2月22日
午前9時11分


母 はつみ 永眠


享年53歳


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父からの一本の電話 「嫌だよ…はつみ…嫌だよ…」

《その時》は
突然やって来た。



何の前触れもなく
突然やってきた



忘れもしない。



2009年2月2日月曜日



朝8時28分頃。



この3分ぐらい前に
僕は目が覚めた。


ベットの上で
ウトウトしながら
左側に寝がえりを打ち


寝たまま手を伸ばし
その真正面に置いてあった
テレビを付けた。


TBSの朝のニュース
「みのもんたの朝ズバ」の
エンディング。


まもなく次の
「はなまるマーケット」が
始まろうとしていた矢先



ウトウトしていた
僕の頭は一本の電話で
一気に目が覚めた。



携帯電話が鳴り響く。
普段はマナーモードだが
寝ている間に



《その時》が
来るかもしれないと
覚悟をしていたので
鳴るようにしていた。



携帯に表示されているのは
父の名前。



僕はすぐに出た。



電話の先の父がいつもと少し様子が違う。
動揺しているのがわかった。





「今病院から電話があって母ちゃんが危ないと連絡が来た」




僕は胸が締め付けられるように
ドキッとして
一気に起き上がった




普段冷静な父が早口で



「今すぐに病院に向かってほしい」




僕はベットから飛び起きて




「わかった  信幸は今どこにいるの?」




「父ちゃんは兄ちゃんを今送り終わった所。急いで向かうからおまえも今すぐ母ちゃんの所に行ってくれ」



「わかった」



父は何故この月曜日に
仕事を休んでいたのかは覚えていない。



ただきっと母がもう
昨日今日のうちに亡くなる可能性が高いと
1人だけ先生に聞かされていたのだろう。



父は母が元気な頃から
休みの日は



アクセスが悪い兄の職場に
兄を車で送って行くのがほとんどだった。




話が逸れてしまったが
僕は父からの突然の電話で
飛び起き、




雨戸も開けず
寝ぐせも直さず
急いで病院に向かった。



母が緊急入院、緊急手術したあの日と同様
火事場の馬鹿力というか
ものすごい速さで病院に着いた。


普段なら自転車で10分ぐらいかかる所を
おそらく5分ぐらいで着いたと思う。



僕は病院に向かう途中



全力で自転車を漕ぎながら



「嫌だよ…はつみ…嫌だよ」



「間に合ってくれ…」



と何かに取りつかれたように
独り言を言いながら



そして泣きながら
病院に向かった。



あの時の病院に向かっている光景は
今でも忘れられない…。





病院に着き
急いで4階の母の元へと急ぐ僕。




(お願い!生きててくれ…)







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ゆうじがもう来てくれない

僕が取った不謹慎で
軽率な行動によって
僕と父は喧嘩をした。


母の病室でお互い
怒りで沈黙をする。


全ては僕がいけないのに…。


でも変に意地を張ってしまい
母にもそっけない態度を取ってしまった。


僕は


「誰も洗濯してくれないから家に帰って洗濯干してくる!」


と病院に来てまもないにもかかわらず
帰ろうとしてしまった。



そんな僕の態度を見て
母は僕が母の事を嫌いになってしまったのかと
不安を感じ始め


父の方を向かい、
泣きそうな声で



「どうしよう…ゆうじがもう来てくれない…」



僕は慌てて



「大丈夫だよはつみ。洗濯物を干したらまたすぐに来るよ」



と母に声をかけた。



そしてその瞬間、
自分の軽率な行動を
心の底から後悔した。


母にこんなことを言わせてしまった事に
ショックを受け、目に涙を貯めながら



「とりあえず一旦家に帰るね」



と言い残し家に帰った。




しかし父に対して
謝ることができなかった。



父が家に帰ってくると
僕は無言でまた自転車で病院に向かった。



母の病室に着くと
母は僕の顔を見て



これまた泣きそうな声で



「あ~ゆうじが来てくれた…」



とホッとした様子だった。



僕は本当にバカだった。



あんな軽率な行動を取らなければ
父にも母にも
こんな嫌な思いをさせなくて済んだのに…。



母との貴重な残りの時間を
僕は台無しにしてしまった。



でもこんなバカな僕には
どんな時でも味方でいてくれる両親がいた。



僕は自分のしたことを悔いていても
くだらないプライドが邪魔をして
父に謝ることができなかった。



そんな思いを持って
母のそばにいると



突然病室の扉が開いた。



そこには先程家に帰って来たはずの
父の姿があった。



動揺する僕。



そんな僕をよそに
父は椅子に腰を掛けた。



僕と父が喧嘩をしていることを
知らない母は父に



「あれ?もう帰ってきたの?」



と嬉しそうに話しかけた。



父は



「洋平は仕事でまだ来れないけれど、今日は家族でゆっくり過ごそうと思ってな」



僕は父の言葉を聞いて
泣き始めてしまった。



あんな酷い事をしたのに
父が僕の事を見放さないでいてくれた事や


僕を含めた
『家族で過ごす』
という言葉がたまらなく嬉しかった。


そして何より
父と母に対しての


『ごめんなさい』


という懺悔の気持ちが溢れ
涙が止まらなかった。



母は突然泣き始めた僕を
心配してくれて


「どうした?」



「ううん…なんでもない…。おれが悪かっただけ…」



どんな時でも
大きな心で、
たくさんの愛情で
僕の事を包み込んでくれる両親。



僕はつくづく

この両親の元に生まれて
本当に幸せだと思った。


そしてこの数時間後
僕は母と最後の会話をすることとなる。






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母が亡くなる前日~僕が取った不謹慎で軽率な行動~

僕には母に告知をした夜と
同じぐらい後悔している日がある。


それは母が亡くなる前日に取った
僕の不謹慎で軽率な行動によって


父を激怒させ、
母を不安にさせ、
そして悲しませてしまうこととなる。


これまで仲が良かった家族だったのに
家族全員で過ごせた『最後の日』
となったにも関わらず


僕のせいで父と軽い喧嘩をしたことで
微妙な距離感が生まれてしまった。


あんなことをしなければ良かったと
ずっと後悔している。




2009年2月1日日曜日
朝8時過ぎ。


今でも忘れない。


起きて父に「おはよう」と挨拶をして
父はこの日も僕が起きると
焼き魚を焼き始めてくれた。


そして出来立ての朝ご飯を用意してくれて
僕が食べ始めるのを見ると、
父は近所のコンビニにタバコを買いに行った。


父が出掛けてすぐ、
家の電話が鳴り響く。


(こんな朝早く誰だよ)


と若干の苛立ちを覚えながら
電話に出ると…。



電話の主は母だった。



母はすごく悲しそうな声で



「どうして来てくれないの…?」


と聞いてきた。


僕は


「ごめん すぐに行くから待ってて!」



と電話を切った。



寝たきりの母がどうやって
電話を掛けたのかは未だにわからない。


車椅子に乗る体力すら
残されていない状態だったのに
どうやって掛けたのか
多少の疑問を持ちながら
急いで着替えた。



そして僕はここで
不謹慎で軽はずみな行動を取る。


食べ始めたばかりの食事。


少し待っていれば
父は帰ってくる。


父が帰りを待ってからでも
良かったのに、


なんでこんなことを思ってしまったのか
この時の僕は


(信幸を驚かせてやろう)


と食べかけの食事と
食器を机の上にそのままにして、
置手紙もせず、
そのまま病院に向かった。


傍から見ればまるで母の容体が急変して
慌てて病院に向かったような状況


僕は考えなくてもわかるぐらい
やってはいけない冗談をしたまま
病院に向かってしまった。


自転車で急いで病院に向かい
母が待つ病室に行くと


母は僕の顔を見るなり


「あ~来てくれた」


と安堵した様子だった。



昨日まで僕の事を励ましてくれていたのに
母は凄く僕の事が恋しそうだった。


僕は一旦、母に顔を出して
母をホッとさせられたので
父を1階のロビーに迎えに行った。


案の定、父から着信が数件入っており
1階のロビーに着いて電話をかけると


父はちょうど病院の駐車場に
車を止め終わった所だった。



電話の先の父の声は怖かった。


先程の母との電話の経緯を話して
母の無事を伝え終わった頃には
入り口の方から父が歩いてくるのが見えた。


この日は日曜日。
病院はガラガラだった。


僕はネタバラシというか
父をからかった事に満足して
笑みを浮かべながら
父の元へ向かうと



父は怒りを噛み殺すように
凄く険しい顔で近づいてきた。


父のあんな怖い顔をしているのを見たのは
21年一緒に居たが初めてだった。



父は凄く温厚で
子供の時から
怒鳴られたり、
手を挙げられたことは一度もなく


僕が言うのも変だけど
父は人間ができていたので
とても優しい人だった。


そんな父を怒らせてしまった。


父は


「母ちゃんは本当に大丈夫なのか?」



「何度も電話したんだぞ」 



「赤信号も無視して来たんだ」



怒りを噛み殺しながら
父は僕に怒っていた。



僕は優しい父を怒らせてしまった事に
動揺して、また自分の非を認めようとせず



(な、なんだよ…そこまで怒る事ないじゃん…)



と自分を正当化しようとした。




そしてこの不謹慎で軽率な行動は
この後母を不安にさせて
そして母を悲しませてしまうこととなる…。





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母が負けを認めた日 ~悔し泣きした僕~

酸素が脳に行きにくくなり
次に眠ったらそのままかもしれないという
予断を許さない状況と言われたものの
特にそんなことはなかった。


脳に酸素が行きにくい事で
上の空になったり、ボケたりすることもなく
母は亡くなるまで普通に会話もでき
何も変わらなかった。


そしてある日の夜。
僕は母の前で悔し泣きをした。


僕と兄が知らない所で父と母は
まむなく訪れる今後の事を2人で話し合っていた。


僕と兄がその事を聞かされたのは
家族が全員揃ったある日の夜。


僕の記憶では先に父と母が病室にいて
僕と兄が後から合流した時の事だった。


家族4人しかいないものの
病室内には重苦しい空気が流れていた。


その日は特段、母の体調が悪化したなど
悪い事が起きたわけではなかったのに。


ベットに寝ている母を
僕らが立ったまま囲む。


母から見て右に父
真正面に兄、そして左側に僕が立っている。


母は僕ら3人の顔を見渡した後
口を開いた…。



「おまえたちには礼服が無い。明日父ちゃんと一緒に3人でAOKIに行って、礼服を作って来てほしい。」


僕はあまりに予期せぬ母からの言葉に動揺するとともに
母が死ぬことを受け入れた事、
生きる事を諦めた事、
負けを認めた事にショックを覚え
声を震わせながら


「なんだよそれ…」


「諦めるのかよ…」


どちらかというと、
消えいるように呟くように
僕は悔し泣きをした。


どこにこの怒りをぶつければ良いのかわからない。
かといって納得はできない。


僕は歯を食いしばり、拳を握りしめ
目をつぶりながら顔を下に向け泣いた。


もう99%この状況は変わらないほど
最悪な状況だとはわかっているけれど


母がもう死を受け入れた事が
とてつもなくショックで…。


しかも母から"自分の葬式の為に着る喪服を買って来て"
と言われたことが悲しかったし


母の気持ちを考えると、
やるせなくて…。


すると母がまた口を開いた。
今度は笑顔で


「大丈夫!礼服だから、将来友達の結婚式に出る時にも使えるから^^」


(なんでこんな状況でも笑っていられるんだよ…)


母は無理して笑っているようには見えなかった。
純粋に僕らに提案していた。


僕はそんな母の笑顔を見て


(無理だよ…。おれはその服を着る度にはつみを思い出すよ…。)


(とてもそれを着て結婚式になんて参加できないよ…。)


言葉にはしなかったけれど
僕は心の中でそう強く思った。


母が負けを認めた日
それは僕が悔し泣きをした夜だった。


結局翌日僕らは母に言われた通り
AOKIに礼服を買いに行った。


そして母はこの礼服が完成するまで
しっかりと生きてくれ


母の通夜、告別式に間に合った。


未だにこの礼服を見ると
当時のこの日の夜の事を思い出す…。


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プロフィール

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