母が緊急入院、緊急入院をして
余命3ヶ月を宣告されたあの日から



僕には母が亡くなるまでに
『絶対に伝えたい事』が
ひとつだけあった。


でもそれは母が亡くなる直前になったら
言おうと心に決めていた。


その伝えたい事とは










『はつみの子供で幸せだよ』










という言葉。





この言葉だけは
どうしても伝えたかった。




母が生きているうちに
母に感謝の思いを伝えたい。



ただの自己満足かもしれないけれど
これだけは伝えたいと思っていた。



そして母が亡くなる2日前。
僕は母との残りの時間を考えて
この事を伝えることにした。



この時の光景も鮮明に覚えている。


この日僕は病室に着くと


嬉しそうに母が



「昨日教えてくれた好きな子とは昨日も連絡したのか?」



と聞いてきた。


余程、初めて息子の口から
好きな異性の事を聞けたのが嬉しかったのだろう


母はニコニコしていた。



僕は照れくさく


「うん」


とだけ答えた。



しかしこの日の僕はもう
母に感謝の思いを伝える事しか
頭に無かった。



そして僕は唐突に立ち上がり
母が寝ているベットの両サイドについている
手すりを握り、母の顔を見て
いきなり号泣した。


いきなり泣き始めた僕を見て
母は



「どうした?」


と心配そうに
声をかけてくれた。



僕は泣きながら
深呼吸をして



「はつみ…おれ…」



母の顔を見て
涙が止まらない。


いざ感謝の思いを伝えようとしたら
様々な感情に襲われ、
言葉が出てこない。


ついにこの言葉を
言わなければいけない時が来てしまった。


でも生きているうちに言わなければ
絶対に後悔する。


そんなことを考えながら
しゃくり泣きをして


「はつみ…おれ…はつみと信幸の子供で…し、幸せだよ」


なんとか言い切れたものの
目を瞑って、声を出し
震えながら泣いた。



すると母が
ニコッと笑い


「ありがとう そう言ってもらえて母ちゃんも幸せだよ^^」



僕は母のその言葉を聞いて
さらに声を出し泣いた。



言えて良かった。



母の口から幸せと言ってもらえて嬉しかった。



これを伝える、イコール自分の中で
『最期』と位置付けていたので


うまく表現できないけれど



『これで母とお別れ』



というような感覚だった。






ただ当時も心の底では思っていたけれど
心を込めて『両親の子供で幸せ』と言えたものの


僕の言葉には『中身が無かった』


どこかモヤモヤした気持ちがあった。



でもそれは当然だった。


なにしろ突然一ヶ月前に突き付けられた


『母との残りの時間があとわずかしかない』


という現実に対し
流されるままに過ごし



これまで21年間しか
母と過ごしてこなかったから


この時の僕は
今まで過ごしてきた人生で
母に対して
心から感謝できていなかった
と自覚していた。



もっと言えば
言葉が正しいかはわからないが


母との残りの時間が少ないからと
慌てて感謝の思いを告げたような感覚だった。


この後、母を失ったことで
初めて、そして少しずつ
母の偉大さがわかってきて


ようやく本当の意味で
母に対する感謝の思いが芽生えてきたと
感じるからこそ



当時21歳だった自分の言葉には
中身が無かったように思えてならない。


でも生きているうちに
母に直接言えた事と
母の口から「幸せ」という言葉を聞けたことが


僕にとって
大きな財産でもあり
大切な宝物となった。



生きているうちに伝えられて
本当に良かったと心の底から思える。



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