年末年始が終わり、
1月の2週目に入った。


その頃には鼻の中から入れていた
チューブも取れていた。


しかし徐々に母の意欲が無くなってくる。
鼻のチューブは取れたものの、
体力をつけるためにも引き続き、
病棟内を歩いてほしいと先生から頼まれていた。


僕は先生に言われた通り、母を歩かせようと
「はつみ散歩しようよ」と声をかけても
「今日は疲れているから良いや」と
歩くことを拒むようになった。


僕は(体力が落ちてきたのかな)ぐらいにしか思わず
深く母の事を考えなかった。


年明けに先生から改めて説明があり、
もう抗がん剤ができる体力が無いと言われた。


なので母は抗がん剤を使用することは
亡くなるまで無かった。


当時の僕の中では抗がん剤に対して
「髪が抜ける」
「激しい吐き気に襲われる」
「痩せる」
などの悪いイメージしか無かったので、
どこか安堵していた部分があった。


怖がりの母が、もし抗がん剤を使うと聞いたら
ショックを受け精神的に耐えられないのではないか


抗がん剤を使うことで痩せて髪が抜けて
別人のような母になってしまうのではないか


などと心配した一方、本音を言えば
そんな母の姿を見るのは耐えられない、
そんな母の姿を見たくないといった、
自分が傷つきたくない、傷つくのが怖った....
というのが正直なところだった。


そして抗がん剤を使えず、打つ手がない状態だったため
当然母の体は治るどころか日に日に悪くなる一方だった。


最初の頃は治ると思って頑張っていた母も
一向に良くならない自分の体に少しずつ疑問を持ち始めてきた...。


そして僕は母からショックな事を言われる。
それに対し、僕は何も言えず泣くことしかできなかった..。





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