12月22日に入院し、
癌が見つかり、余命宣告を受け
人工肛門になり、鼻から管を入れて


我が家の2008年は11月までは
例年と変わらなかったが
12月に入り年末にかけて
一瞬にして絶望の年へと変わった。


この当時バイトしていた所で
毎年恒例の大掃除があったのだが、


お母さんのそばにいてあげて
と温かい言葉を貰い、休ませてもらった。


その事を当時、母に伝えると
「良い所で働かせてもらってるね、アルバイトだからって手を抜かずに一生懸命がんばりなさい」
とアドバイスをくれたのを覚えている。


この言葉は社会人になった今でも
大切にしている言葉のひとつでもある。


2008年の大みそかのお見舞いは家族全員が揃った。
仕事が終わり、職場から直接病院に来た父と兄。


1人ずつ母と年内の挨拶を済ませた。
僕は「今年もお世話になりました。」と言った後、


言葉に力を込めて
「今年はこんな感じで年を越すけれど、来年は体治して良い年にしようね!」
と伝えた。


それは僕の心からの願いでもあった。
心の底では、無理だとは諦めていたけれど、
それ以上に生き続けてほしいという願いを込めて...。


「今年SMAPは紅白で何を歌うのかな?」
と母に聞かれたので


「紅白もビデオに録画しておくから、家に帰って来たら篤姫と一緒に見な^^」
と励ました。


母は嬉しそうに「そうだね^^早く退院しないとね^^」とニコッと笑った。
その顔を見てまた目が真っ赤になった。


そして母とお別れをし、家に帰り紅白を見た。
いつもなら母と一緒に見ている紅白も今年は母がいない。


(寂しいな....)とまた母が恋しくなった。
一緒に見て感想を言い合う。


こんな些細な事が
どれだけ幸せな事なのかを痛感した。


そして年が明け、母のお見舞いに行き
新年のあいさつ。


「今年もよろしく。今年は思い出をいっぱい作ろうね」
と目を真っ赤にして伝えたら


「なにそれ?(笑)まずは一日でも早く元気になって、それからだね^^」
と母は言い、昨日の紅白などについて話したのを覚えている。


これが僕が母と過ごした最後の年末年始。


母が亡くなるまであと33日。
ここから一気にショッキングな出来事が連続で
起こる悪夢のような日々が始まる.....。






何も言えず泣くことしかできなかった母からの言葉


告知


母に嘘をつかなければならなかった日々から
解放されたことを喜び
自分のことしか考えなかった僕


今でも後悔している告知したあの夜


母にはすべてお見通しだった僕の嘘


生きるのを諦めた母の前で
一人悔し泣きをしたあの日の夜


誰よりも辛かった父の決断


泣きながら心を込めて「おれ幸せだよ」と伝えられたあの日


好きな人がいるんだと初めて伝えたあの日


なんであんなことをしてしまったのだと未だに後悔している亡くなる前日の行動


僕が来るのを待っていた母


永眠





振り返ってみても
この母が腹痛を訴えたあの日から
母が亡くなるあの日までの出来事は
僕にとって今になっても母の顔、病室内の風景などを
鮮明に覚えているほど死ぬまで忘れられない、
母とのかけがえのない大切な大切な時間となった。


これから母が亡くなるまでの
出来事を書いていきますので
これからもよろしくお願いします。


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