久しぶりの投稿です。
最近ではこのブログも
ほぼ放置になってしまい、
番外編ばかりである。
なぜ母の時の事は定期的に
スラスラと書いていたのに
父の事になったら書かなくなってしまったのか…。
それは僕が父と母と過ごした残りの時間の過ごし方が
大きく影響していると自分では思っている。
母の病気発覚、余命宣告、別れの時は
僕はまだ21歳。大学生。
病気が発覚してから
1ヶ月ちょっとで看取った…。
過保護でずっと実家暮らし。
僕も母もお互いが大好きだった。
しかし当時の僕は完全にマザコンだったのに
マザコンが恥ずかしいと思っていた。
どんな時も味方で居てくれる事に甘えて
わざと母が嫌がる言動を取っていた。
「いずれは一人暮らしする」
父と兄の休みが揃った時は
家族全員でご飯を食べるのが
我が家のルールだったのに
それが嫌でわざとリビングのベットの上で
朝刊を読んで、皆が食べ終わるのを待っていた。
今にして思えば、
なんて子供じみた言動だったか。
どんなにケンカしても
いつも味方でいてくれて許してくれる母に
僕は完全に甘えていた。
そんな矢先に母が腹痛訴え
緊急入院、緊急手術、余命宣告。
そしてわずか1ヶ月ちょっとで
看取る事となった。
突然突きつけられた余命宣告は
僕にとって毎日がとても辛く、
常に気を張っていた。
回復なんて見られない、
日に日に悪化していく母の姿に
ただただ涙を流した。毎日毎日…。
だから一瞬一瞬が
心に残っている。
心残りばかりで母が亡くなってから
このブログを書くまでは
母が亡くなった現実に向き合えず、受け入れられなかった。
でもこのブログを書き続けた事で
母と過ごした残りの時間を思い出し、
文字に起こし、過去と向き合う事で
ひとつひとつの事を浄化できた気がする。
だからこそ母の時の事柄は
スラスラと書けたのだと思う。
そして母が亡くなってから7年後、
今度は父に癌が見つかった。
父は病気発見から
1年ちょっと頑張ってくれた。
手遅れで抗がん剤治療ができなった母とは違い、
父は抗がん剤治療ができた事で入退院を繰り返したものの、
母の時に叶わなかった、また一緒に暮らす事が何度もできた。
そんな日常に感謝して、
父との残りの時間を大事に大切に過ごす事ができたからこそ、
父と過ごした残りの時間にはとても満足している。
父が闘病中から現実と向き合い、受け入れながら
過ごす事ができたから、なかなか書けないのだと思う。
言葉は正しいのかはわからないが、
「もっと○○しておけば良かった…」
と後悔ばかりの母に対する想い。
「しっかりと送り出せた」
と満足ばかりの父に対する想い。
僕は両極端の死別を経験したと
思っている。
個人的にはこれが父の闘病に対して
書けない大きな理由だと思う。
母と過ごした時間を振り返って
前に進みたい。
前に進みながら父との時間を過ごしたから
振り返ろうとしないのだと思う。
何だか自分の想いを支離滅裂に書いたせいか
文章がめちゃくちゃになってしまった^^;
また少しずつブログを書いていければなあと思う。
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もっと〇〇しておけばよかった…」と後悔した母との残り時間。
「しっかりと送り出せた」と満足できた父との残り時間
僕は両親と両極端な残り時間を過ごしました。
コメント
コメント一覧 (8)
母が入院していたベットの傍らでこちらのブログを読み始め『後悔しないようにがんばろう』と思えることができました。
私の場合、父の方が先だったのですが、父とは色々と事前に話し合っていたので、突然亡くなってもあまり後悔せずブログにも淡々とスラスラ書けました。
母のときは、yuujiさんのブログのお陰で、できる限りがんばれました・・・が、父の時とは比べられない程、辛かったです。
不思議ですよね。
父親と母親の違いもあるのかなと思います。
お忙しいと思いますがお時間ができましたら、近況など何でもいいので書いていただけると嬉しいです。
みんぽぽさんお久しぶりです!
久しぶりの投稿にかかわらず、すぐにコメント下さり凄く嬉しいです。
冒頭のコメントを拝見して、目が真っ赤になりました。
このブログを書き続けてきた理由の一つに、僕の経験が誰かの役に立つのではないか、立ってほしいという想いがあります。こうして実際にみんぽぽさんのお役に立てた事がとても嬉しいです。
お母様の時の「できる限りがんばれました・・・」この一言は僕にとってとても心に突き刺さります。同じ経験をした者として、みんぽぽさんの心中お察しします。言葉は正しいのかはわかりませんが、本当にお疲れ様でした。
僕もそうでしたが、やはり生前にきちんと色々と話し合っておくのはとてもとても大事だと思います。声を大にして言いたいです。
生前中に亡くなる事を想定しての話は本人からすれば不快だったり、悲しくなってしまうでしょうが、(あくまで僕の見解ですが)きちんと心を込めて話し合えれば死別してから、残された側の人は確実に前を向いて生きていけると思います。
最後になりますが久しぶりの投稿にもかかわらず、「お忙しいと思いますがお時間ができましたら、近況など何でもいいので書いていただけると嬉しいです。」と僕なんかのブログ更新を楽しみにしてくれる人がいるのだと改めて熱い気持ちが込み上げてきました。自分のペースで書きたくなったら自分の心に任せて書いていきたいと思います。
素敵なコメントを下さり、本当にありがとうございました。
久しぶりの投稿待っていました。
自分のペースで書けるときに書きたいことを綴ってくださいね。
私は、父に対して後悔することばかりです。父の最期に言った言葉は
亡くなる前々日の「ゆみぞうちゃん、怒らないで」という言葉でした。
怖い思い、悲しい思いをさせたまま逝かせてしまいました。
なぜその言葉を言ったのかというと、父が入院していたのは大学病院でした。
家族の宿泊は、基本的にはダメなので、消灯時間まで毎日付き添っていたのですが、あの日は
私が帰ろうとすると「帰らないで」という父に「消灯時間過ぎてるし、ここには泊まれないのだからパパ困らせないでちょうだい。」
といった私に返ってきた言葉が、怒らないででした。
その後看護師さんが父のところに来た隙に帰ってきたのですが、
父は翌日からはモルヒネで眠らせ、その翌日に亡くなりました。
相思相愛の父娘でしたが、最後にすごく寂しい思いをさせたことが、今でも一番の後悔です。
あの世で父に逢ったら、もう謝罪しかありません。
幸い母は生存していますが、どうしてもきついこと言っちゃうんですよねー。
優しくしないとまた後悔するのに・・・。
ゆみぞうさんお久しぶりです^^ 僕なんかのブログを待っていて下さったなんて凄く嬉しいです。自分のペースで書きたいと思った時に書かせて頂きます^^
今回頂戴した、ゆみぞうさんのお父様との最期のやりとり。僕も似た経験があったので、凄くゆみぞうさんの気持ちがわかります。そして自分も経験者なので、その場面が事細かに想像が出来て、またゆみぞうさんの気持ちやお父様の気持ちが手に取るようにわかり、泣きました。凄く辛い心残りの出来事ですね…。
僕もそうでしたが、残ってあげたい気持ちはもちろんあるけれど、病院の方や周りの患者さん達の事を考えると自分勝手な行動はできないと抑制がかかり、帰る選択肢を選んでしまいます。
「相思相愛の父娘でしたが、最後にすごく寂しい思いをさせたことが、今でも一番の後悔」とても胸に刺さりました。別れの時が近いとわかっていても、必ず来る「明日」を、また今日と同じように会える「明日」を信じて行動してしまうのですよね…。僕はまさにそうでした…。でもきっとお父様はあの世でゆみぞうさんと逢った時は笑って許してくれると思います。だって生前は相思相愛で居たわけですし、離れてしまった後もこうしてお父様を考えていますもの^^
僕は思うのです。生前どれだけ大きな事をしたかではなく、自分が亡くなった後に、自分の事を考えてくれて、自分に逢いたいと思ってくれたり、自分が亡くなった後も必要としてくれている人が居てくれる方が幸せなのではないのかと。
だからお父様は笑って許してくれて、むしろ喜んでくれると思います。「ずっと想っていてくれてありがとう」って。
わたしの母も、今年の春に癌でなくなっています。
日が経つに連れて、悲しみが増していき
どうしようもなくいた時に、
このブログに辿り着きました。
わたしは25歳で、
周りの同世代の子たちにとって命とは
生まれてくるものなのに、
すみません。
わたしだけ、どうして
大切な人の死なんだろう。
と悲劇を気取ってしまう、毎日です。
わたしにとってこのブログの内容は
まだ鮮明すぎて、見ていて辛く、
息苦しさを感じてしまう部分もあります。
ただ、このブログを読むことで、
辛さと向き合い、自分の感情を
整理できるのではないかとも感じました。
時間はかかると思いますが、少しづつ
読み進めていこう思います。
ありがとございます。
りほさんへ
コメントありがとうございます。
頂いたコメント大事に何度も読ませて頂きました。
同じような辛い経験をした者として、りほさん頂いた言葉、一言一言が胸に響き、深く共感する事ばかりでした。
僕も母がもう手遅れな状態と突き付けられた当時は、何度も何度も「こんなに生きたがったいる母が死ななければいけいないのに、どうしてまだ生きられる人が簡単に命を捨てたり、他の人の命を奪うんだ!」とやり場のない怒りを持っていました。
これから先、僕のブログを読み進めていく中で、大切なお母様を亡くされたりほさんの心の傷をさらにえぐってしまう事が多々起きてしまうかもしれません。それはこのブログを書いた者として本意ではありません。ですがその一方で、僕がこうしてブログに記した事で僕は自分の気持ちを整理できました。きっと、りほさんの力になれるのではないかとも思います。
僕も父の余命が告げられた時は(この若さで両親を失う可哀想な人と)周りに自分は悲劇の人間だと思われたい、同情されたいと考えてしまった事があります。でも当時はそのぐらい思わないと、とてもじゃないけれど、精神状態を保てないと思ったからというのが正直な気持ちです。
僕は母の死からこのブログを書き始める約8年間は母の死に向き合う事、受け入れる事ができませんでした。先程も言いましたが僕はこのブログを書くようになり、母の死別に向き合えて受け入れる事ができ、自分の気持ちを整理することができました。
同じ辛い経験をした者として、すぐにとは言いません。ただの戯言として聞き流してもらってもかまいません。僕のようにブログに書いて不特定多数の人に発信しましょうとは言いません。りほさんご自身だけが見られるパソコンのWordだったり、ノートに書き記すでも構いません。自分の気持ちを吐き出して、書き記す事で自分の気持ちを整理する事ができると僕はこのブログを書くようになって心から実感しました。
だからいつの日か、りほさんにもそういう日が訪れてほしいなと感じます。
ただし無理はせず、ゆっくりと……。