20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

2018年06月

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

家族と野球があったからこそ

僕は野球が大好きだ。
1995年母が当時オリックスにいた
イチローのファンとなり
我が家はあっという間に
野球好きな家族になった。


翌年の1996年の3月20日、
東京ドームで行われた
巨人対オリックス戦を
家族全員で見に行った。


これが家族全員初めて
生でプロ野球の試合を見に行った日だ。


なぜこんなに鮮明に覚えているかというと
今も住んでいる実家に
この日撮ったイチローの写真がずっと
貼られているからだ。


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その後も両親にたくさん
プロ野球の試合に連れて行ってもらい
僕ら兄弟はあっという間に
兄は巨人、僕は西武ファンとなった。


母はもちろん亡くなるまで
ずっとイチローのファンだった。


当時の僕は小学校3年生。
両親に初めて野球に連れてってもらってから
野球の虜になった。


見るだけではなく
自分もやりたい!


そんな僕ら兄弟を見て
グローブやバットやボールを
両親は用意してくれた。


当時小学3年生だった僕は
3歳上の兄と兄の友達達に混ぜてもらい
一緒に野球をやって遊ぶことが多かった。


家から自転車で15分ぐらいの所にある
グランドでよくやっていて
一度大雨が降った時、


当時の僕は兄と一緒だったのもあり
門限は夕方の5時まで大丈夫だったのだが


その日は突然の夕立で
傘も無く、ずぶ濡れの状態で
思うようにすんなりと帰れなかった。


いつもより帰りが遅くなってしまったのだが
僕の記憶では10分ぐらい遅くなったのだが
心配性な母は傘を差しながら
家のまでずっと僕らの帰りを待ってくれていて
僕らを見るなり凄い勢いで怒ってきた。


母は怒りが頂点に達すると
ヒステリックになりパニック状態になって
僕らを怒る。


僕は母に怒られるのが怖くて
門限は絶対に守らなければと
母と一緒に暮らしていた時は
ずっと肝に銘じていた。


話が逸れたが
僕は小学生の間は
市のチームには入らず


中学生になって親友もいたこともあり
野球部に入って3年間やり遂げた。

僕の中学校では
自分の所で試合が出来ないため
土日などは他校で試合をしていた。


ごく稀に市内の中学校と
試合をしたときは父と母と兄が
見に来てくれた。


ただグランドの保護者席には入らず
外野の奥のフェンスの向こう側から
そっと見てくれていた。


僕の記憶では兄が腕組みをしながら
グランドを見ていた時があり
1人で笑っていた。


(なんで怒っているんだよ(笑))


と。



幸い、顧問の先生にも恵まれ
下手くそでも元気に声を出してくれたら
試合に使ってくれる先生だったので
毎日が楽しかった。


先生のおかげで野球が
ますます好きになることができた。


でも高校に行くと野球部に入ったが
弱小校だったものの
僕は下手くそで体力が無い為
練習にすら付いて行けず
野球が嫌いになりそうになり
3ヶ月で退部した。


その当時、両親に野球部を辞めたいと
相談したところ


「野球が嫌いになる前に辞めた方が良いと思う」


「おまえがそう決めたなら応援する」


と言ってくれ
僕の決断を支持してくれた。


今にして思えば


この部活を3ヶ月で辞めた時も


大学生になって
初めてのアルバイトを3日で辞めた時も


転職を決めた時も



驚かれたりはされたものの
怒られたり、
ガッカリされた事は無かった。


転職の時はもう母がいなかったけれど
僕の決断した事に対して
きちんと僕の考えを尊重してくれた。


本当に両親と兄には
伸び伸びと育ててもらった。


僕には家族と野球があったからこそ
泣きながら前に進めた。


そして僕には心の支えになったくれた
2人のプロ野球選手がいる。


次回とその次はその選手について
書こうと思う。


野球に興味ない方も
ぜひ読んでいただければと思う。









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あなたは心が綺麗ですね

母と別れて2ヶ月が立ったこの頃
僕は大学4年生になった。


大学4年生ということは
何といっても今年は
「就職活動」を
しなければならない。


絶対にフリーターにはならない。
なぜならそれは母との
最後の約束だったから…。


でも正直この時の僕は
「就職活動」の意味をはき違えていた。


決して来年以降の就職した自分の姿を想像したり
その会社で何をしたくて、
どう自分の長所を生かせるか
どう成長できるか


など就職後の自分を考えはせず


(とりあえず内定をもらって安心したい)


(内定をもらって家族や周りの人を安心させたい)



「就職」より
「内定をもらうこと」
に目を向けてしまっていた。



また引っ込み思案であったり
自分に自信が無いために


「集団面接が無い所」


「グループディスカッションのない所」


「内定後に研修合宿がない所」


など仕事内容より
そういった面接や研修内容にだけ
目を向け、エントリーするかしないかを考えていた。


一種の無気力感ではないけれど
大学3年生までに
卒業に必要な単位は取れていたのもあり


早く内定をもらって家に居たい
好きな野球の事だけを考えていたい
出来る限り誰とも話したくない


などと当時は考えていた。


記憶が正しければ
僕は4月下旬から
本格的に就職活動を始めた。


5月下旬までに
何社か受けた。


言葉は悪いが
興味のない会社にも行き
自分の中で「面接の練習」と
位置づけ、面接を受けた。


そして6月上旬、大学の友人が
母を亡くして落ち込んでいた
僕の事を気にかけてくれ
なんとかその友人から教えてもらった
スーパーマーケットを展開する
会社の最終面接にこぎつけた。


今にして思えば当時の僕は汚かった。
この会社の他にも面接を何社か受けたが
どの面接官も母の話題を出すことで
僕に同情してくれて
僕の話に耳を傾けてくれた。


当時の僕はその事に甘えて
母の死を武器にしていたように思う。


自分の人柄を知ってもらうために
母の死を利用していたのだ。


このスーパーマーケットの
最終面接の時もそうだった。


母が2月に亡くなり
自分もスーパーに行くようになり
自分もこういった場所で働きたいと
思いましたなどと言った覚えがある。


もちろんマニュアル通りの言葉もたくさん言ったけれど
自分の言葉でも話さなければ意味が無いと
面接の時に心がけていた。


そんな思いが通じたのか
その時の面接官の方がくれた言葉は嬉しかった。


「あなたは心が綺麗ですね」


嬉しくてまっ赤になったのを
覚えている。


そしてこの1週間後ぐらいに
この会社から内定を貰えた。



そして僕の就職活動は
ここで一旦終了する。



だがこの数ヶ月後
僕はこの会社の内定を辞退する。


だがそれはあまりにも
無謀な決断であった。


それはまた後日。





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母のありがたみが身に染みて

男3人の新たな生活が始まって
約2ヶ月ぐらい立った。


そんなある日、僕はある事で
母のありがたみが身に染みて
涙が出た。



母は専業主婦で
心配性な性格だった。



そんな母の性格を表しているのが
日用品のストックの多さ。


我が家には
ティッシュやトイレットペーパーなどが
常に豊富に在庫があった。


その為、母が生前の頃は
薬局でよくある
「お1人様2点限り」
などの安売りの日に
僕が家にいると
僕にも買いに行ってと
よく頼まれたのを覚えている。



当時の僕はめんどくさいなと言いつつ
母が喜んでくれるからと
素直にはなれなかったものの
母に頼まれた通り
買いに行っていた。


だが母が体調を崩し
入院し他界して
約4か月。


生前母が大量に購入してくれていた
日用品の在庫も少しずつ無くなってきた。


その為、学生で時間のある僕が
父が作ってくれた購入リストを元に
買いに行くことになった



母が居た頃はそれこそ
ティッシュやトイレットペーパーなど
それだけを買いに行っていたので
歩きの場合は両手で、
自転車で行った時は買った物をカゴに入れ、
カゴに入りきらなければもうひとつは
ハンドルにひっかけて運転していた。


いずれにしてもティッシュもトイレットペーパーも
軽いので、母から頼まれたおつかいの時は
特に何も感じられなかった。


だけど母が亡くなり、いざ自分が担当になったことで
ティッシュやトイレットペーパーだけではなく
洗剤やシャンプーなど、ちょっとプラスして
他の物を買っただけで自転車のカゴに乗り切らず、
ハンドルの所にひっかけたとしても
重くて、ハンドル操作がうまく行かない。


そして何より日用品は字のごとく
日常に必要な物の為
消費が早い。


至るものがあっという間に
無くなる。






「はつみはこんなにいつも大変な思いをしていたのか」



母が居た頃には気にもしなかったし
気づくことすらできなかった。


そんな自分が恥ずかしくて
情けないと思った。


(こういった日用品が)家にあって
当たり前ではないけれど
僕にこういった事を感じさせないぐらい
母がきちんと身の回りの世話をしてくれていた事や


そんな母に対して感謝の気持ちを持てていなかった事



母に対して直接感謝の思いを伝えられなかった事


失ってから初めて大切な事に気づいた自分に


悔しくて


腹が立って


母に会いたくなって


母に直接伝えたかったと
恋しくなって


たくさん泣いた。




ごめんねはつみ



ありがとうはつみ









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僕が今でも許せない人

僕にはどうしても
許せない人がいた。


母が亡くなり49日が過ぎた
この日僕はその人と1対1で
会わなければいけなかった。


その人物とは葬儀屋の人間だ。
白髪交じりの50代後半の男性。


母が亡くなったあの日、
家に冷たくなった母が帰って来て
数時間後、そこには


父と兄と僕と叔父と
そしてその葬儀屋の男性がいた。


忘れもしない。


母の葬儀について
話し合いが行われる直前


叔父が何気なく
葬儀屋の男性に
仕事について


「最近どうですか?」


と聞いたところ


葬儀屋の男性は


舌をペロっと出し


「おかげさまで最近(亡くなる人が多くて)忙しいんですよ」


と笑顔で叔父に応えていた。


その言動に僕は
唖然とした。


そしてすぐに憤りを感じた。


兄もこの時の
この言動を見ていた。



たしかにこの人にとっては
僕らは客であり、
何の繋がりもないので
悲しくも何ともないのはわかっているけれど


亡くなった当日に
悲しんでいる遺族の前で
なんでこんな態度を取れるんだ


よく心の傷に塩を塗るような

こんな態度が取れるな


学生ながらに
50代のしかもこれを仕事にしている
人間が取る言動ではない!


と憎しみの感情が
湧いてきてしまった。


そして49日が過ぎたこの日
この人がまた我が家にやって来る。



僕の記憶では
この49日の時点で仏壇が
まだ我が家には無くて


この葬儀屋が仏壇に代わる
簡易的なテーブルの上に
49日までに必要なものを置いていた。


そして49日が終わった為
何点か回収に我が家に来ることになっていた。


兄から今日この日に
この葬儀屋の男性が来たら
塩を撒いておいてと頼まれていた。


普段優しい兄がこんな事を言うなんて
兄もこの人を憎んでいるのだとわかった。


そして約束の時間に
この人が来た。


僕は素っ気なく、
いや内に激しい憎しみを持っていた為


僕はずっと酷い応対をしていた。


近況を聞かれ
冷たく応え


母に線香を上げてくれた時も
その背中を見ながら
ずっと睨んでいた。


そしてこの人が帰った後
兄に言われた通り、塩を撒いた。


しかし徐々に自分の取った行動に
罪悪感が生まれ、母の遺影の前で
また泣いた。



でも僕は未だに
あの人の事は許せないでいる…。


憎むことでしか
前に進めない
自分が情けない。





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ありがとな

父の言葉につい取り乱してしまい
洗濯物を持って勢いのまま
2階へと駆け上がった僕。


洗濯物を干す部屋で
怒りに震える僕。


しかし次の瞬間
声を出して泣き始めた。


父に取った先程の自分の言動を
後悔して涙が止まらなかった。


(なんであんな態度を取ってしまったんだ…)


(はつみが悲しむことをしてしまった…)


いつもならどんなに自分が悪いと自覚していても
自分を正当化してしまうのだが
この時の僕は違った。


時間にして5分程度だっただろうか
僕は洗濯物を干さずにいた。


僕は父にすぐに謝ろうと思った。
泣くのを止め、自分の気持ちを落ち着かせて
父がいる1階へと向かった。


リビングのドアの手前で
大きく深呼吸をして
ドアを開けるとすぐに父と目が合った。


父は穏やか顔をしていた。
僕はその顔を見て
また涙が溢れた。


そしてヒクヒクと泣きながら



「信ちゃん…さっきはごめん…」



「おれが悪かった…信ちゃんに言われた通り、これからは襟の部分丁寧にやる」



自分でも驚くほど素直に謝れた。
だからこうして今でもはっきりと
覚えられているのかもしれない。



そして最後に僕は父に向かって
決意表明をした。



「おれ…はつみの分まで頑張るからさ…」



すると父は突然椅子から立ち上がって
ゆっくりと僕の所に来て



「ありがとな」



と一言だけ言って
下を向いて泣いている僕の頭を
ポンと叩いた。



21年間生きてきた中で
初めて父にこんな風に
頭をポンとされたのは
物心がついてからは
初めてだった。


こんな酷い言動を父に取ったのに
大きな愛情で包んで許してくれる父に
申し訳ない気持ちと


母が居なくなっても
自分にはこんなに優しい父が
そばに居てくれることに
嬉しくて暫く涙が止まらなかった。






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