20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

2018年04月

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

頑張っている姿を見てほしくて

母が亡くなった当日、
僕はアルバイト先に
母が亡くなった事と
今後のスケジュールを伝えに行った。


この時は泣いてしまうと
自分でもわかっていたので
タオルを片手に行った。



当時のアルバイト先は
家から歩いて5分。
走れば3分。


勤務時間は
早番10:45~16:00
遅番13:30~18:30


どちらの勤務時間でも
30分の休憩があった。


僕は休憩の時間は
家に帰っていた。


休憩時間に入る時間が決まっていたので
家に帰るといつも母がざるそばなど
軽食を用意してくれていた。


僕もそれが目的で
家に帰っていた。


僕が高校生の間は
アルバイト禁止であったが


大学受験が終わった頃に
母から


「大学生になったら社会勉強の為にアルバイトをしなさい」


「家に2万を入れて後は自分で好きなように使って良いから」


「大学生の間にお金の使い方を学ぶように」


と言われていた。
でも当時の僕は
自分のお小遣いの範囲内で
済ませられていたので
アルバイトに対する欲みたいのが無かった。


ただ母からプレッシャーをかけられたので
なんとかアルバイトをしなくてはと


好きな子が学校帰りに通る駅にあった
100円均一でアルバイトをした。


当時18歳。


年末年始の郵便局の短期の
アルバイトはしたことがあるものの


やはりこんな安易な理由&
生半可な気持ちでアルバイトとして
働き始めた僕は3日で辞めてしまった。


しかも「腰が痛くなった」と言って
バックレに近い状態で辞めた。


この時父と母は僕に対して
ガッカリしていたと思うが
怒りはしなかった。


それが僕にとっては
逆に堪えた。


でもこの3日で辞めた経験は
本当に僕にとって教訓となった。


(もう二度とこんな失礼な事はしない!)


と反省するとともに決意した。



そしてこの1年後、
僕は家のすぐ近くにある
鉄道関係のグッズショップで
アルバイトを始めた。


ここでの経験があったからこそ
今の自分がある!といえるほど
素晴らしい環境だった。


僕を含めてスタッフは6人だったが
店長や先輩スタッフ達が
本当に本当に素晴らしい方達で
人として凄く成長させてもらった。


ダメなものはダメと指摘してくれて
良かった事は褒めてくれて
仕事の楽しさを教えてもらった
僕の財産となっている。


また仕事だけではなく
雑談もしてくれて


母が元気だった頃から
母の愚痴を聞いてもらったり


母に癌が見つかってから
ずっと皆が僕の事を心配してくれて
たくさん助けてくれて
励ましてくれた。




そしてこの日、タオル片手に
母が亡くなった事を報告しに行った。


時間にして
5分ぐらいで帰ったと思う。


通常なら月曜日は定休日なのだが
この日は金・土・日と
某所で毎年恒例のイベントに出展していた為
イベントから帰って来ての
片付けなどがあり
お店は休業していたが
お店の中では作業が行われていた



僕はお店に入るなり
皆の顔を見たら
悲しみが込み上げてきて
涙がこぼれた。


椅子に座らせてもらって
皆が揃って報告をした


しゃくり泣きながら


「母が…今日の…朝…」


ヒクヒクしながら
言葉が出てこなかった



でもこの間ずっと
皆が黙ってくれていたのを覚えている



「亡くなりました…」



言い切った後
僕は震えながら泣いた。


タオルで拭いても拭いても
涙が止まらない


斜め前に立っていた
店長の表情が忘れられない



店長は


「そうか…」


とだけ言い、
それ以上は何も言わなかった。



こういう時
気休めの言葉をかけられるより
この時の店長の態度が
心に染みた。


あの一言とあの表情だけで
店長の僕に対する気持ちが十分伝わった。
凄く嬉しかったのを覚えている。


そして通夜、告別式の日時を伝え
落ち着いたら次回の出勤について
連絡しますと伝え、帰った。



僕はお店を出てすぐの所にある
電話ボックスに入って号泣した。


そして今でも覚えているが
その中で母との思い出がフラッシュバックした。



僕は時々、夕方の2時間程度
1人で営業することがあった。


それを休憩で家に帰った時に
母に報告していた。


「この後1人で営業するんだ!」


アルバイトといえ、僕という人間を信頼して
お店を任せてもらえていることに誇りと責任を感じ


どこか母に

「俺って凄いだろ^^」と

自慢していた。


そして照れくさくて一度も言わなったけれど
母に自分が働いている所を見に来てほしいと
心の中ではアピールしていた。


授業参観ではないけれど


(俺もちゃんと働いているんだよ)


正直に言えば


頑張っている姿を
見てほしかった。




すると母は僕が
「この後一人営業なんだ」
と言った日には
必ず来てくれた。



他にお客さんがいる時は
僕の働いている姿を見てくれて



お客さんがいない時に来てくれた時は


「これ最近売り始めた商品なんだ」


「これ人気商品なんだ」



などと僕が嬉しくてついつい
母に自分の仕事について
ベラベラと一方的に話してしまっても



母はいつも嬉しそうに
僕の話を聞いてくれた。



「がんばっているようですな」



「店長さんに雇ってもらえて本当に良かったね」




「緊張感を持って仕事しな」



とたくさん褒めてくれたり
励ましてくれた。



当時も母に自分が働いている所を見てもらえて
嬉しかったけれど



今にして思えば
生きているうちに
こういう姿を見せられて
本当に良かったと心の底から思える。



電話ボックスの中で
お店に母が来てくれた時の事を
思い出し涙がしばらく止まらなかった。







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必ず今ここに

母が1か月半ぶりに我が家に帰って来た。
しかし冷たくなった状態で。


冷たくなった状態の母が寝ているのは
1階のリビングの隣の和室。


リビングで父と兄が居て
僕はその間ずっと冷たくなった母のそばに居た。


ただただ母のそばに居たかった。
母のそばから離れたくなかった。


いつもなら母が寝ていたら
こんなに部屋を明るくしていない。


もっといえばこの部屋での
母の寝顔を見た事が無い。


渦を巻いた線香から
独特の匂いがする。





今回の腹痛と入院は
母の事を大事にしてこなかった僕に対しての
神様からの警告で


母は大きな病気でなく
また元気な状態で
この家に帰って来て
この部屋で前と同じように
一日の疲れを取るために寝てほしかった。


もはや今この目の前の光景は
僕が望んだ
光景ではない。



【もう本当に全てが終わってしまった】


その喪失感と母に対しての恋しい気持ちが
交差して母の顔を見ているだけで
涙が止まらなかった。


襖の向こうには父と兄が居る。
鼻を摘まみながら隣の部屋に
鳴き声が漏れないようにと
必死に我慢した。



父から
「明後日には母ちゃんは火葬してしまう」
と聞かされていた僕は



何度も何度も
泣きながら母の顔を触った。



あの何とも表現しがたい
また経験した事のない
「冷たさ」「感触」は手だけではなく
心の奥底にまで


もっといえば
今でも忘れられないほど
脳を含めた全身に残っている。


それでも僕は何度も何度も
母に触った。


その「冷たさ」「感触」が
僕の心の奥底まで震わせた


とてつもない恐怖に襲われ
母の顔に数滴、
涙をこぼしてしまった。


僕は母の顔に垂らしてしまった
涙を拭きながら



「何だよ…涙を落としても生き返らないじゃないか…」



もちろんこんなのは空想の世界の話だと
わかっていたけれど


藁にも縋る思いというか
そんなことまで考えてしまうほど
この現実を受け止めきれなかった。


この現実が
「夢」であってほしいと
真剣に思ってしまった。



そして僕は
母のおでこにキスをした。


「はつみ何でだよ…いつもなら"気持ち悪い"って嫌がるじゃん…」



「起きてよ…はつみ…」



「こんな形で帰ってくるの嫌だよ俺…」



「せっかくはつみの大事さがわかったのに…」



すると唐突に襖があいた。


振り返ると
相手は父だった。


僕が母の部屋にこもる前
父は缶ビールを数本飲んでいた。


いつもなら酔っているのに
この時は酔っていなかった。


というか今にして思えば
酔えなかったのだと思う。


僕は泣いているのを隠そうと
無言になったものの
泣いた後がバレバレだったのだと思う。



父は



「母ちゃんが家で過ごせるのは今日が最後だ。必ず今ここにいるから好きなだけ母ちゃんの前で泣いてあげな」


というと襖を閉めた。


僕は父のその言葉を聞いて
顔をくしゃくしゃにして
泣きながら



「うん…」


と答えた。


そしてまた
母の前で泣いた。


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【番外編】こんな些細な事でも

今回は久しぶりの番外編です。
なぜ番外編かというと
水曜日あたりから体調を崩してしまい
3年ぶりの風邪を引いてしまいました。



せっかく続きを楽しみにしてくれていた方達には
期待を裏切る形となり申し訳ありません…。



今は37,5℃まで下がったものの
昨日の昼頃から熱が38,7℃まで上がったり
と上がったり、下がったりの状態で
頭がボーっとしています。


普段記事を書くときは
自分の当時の記憶を思い出しながら
かなり集中をして書いています。


なので今の状態だと
そこまで集中が出来ないため
母の事を書くのは見送りました。


それだけ大事に書いていますし
書きたいので。


また体調が戻ったら再開します。
今回はどうかご勘弁を…。




さて冒頭にも言いましたが
今回3年ぶりに風邪を引いてしまいました。


父が亡くなったから初めてです。
元々父が亡くなるまでは
しょっちゅう風邪を引いていました。



でも父が異変を訴えて
癌が見つかり、亡くなり
そして亡くなってからも
ずっと気が張っていた為
風邪を引きませんでした。



父の傍に居たい、居るためには
風邪なんて引いてられない


父がいなくなった今
自分が風邪を引いたら
誰も看病してくれない


などとずっと
気が張っていました。


よく「病は気から」
と耳にしますが
本当その通りだなと
ここ2年ぐらいは思っていました。


父が亡くなり1年と2ヶ月。
気が緩んだのかもしれません(笑)



情けない事に僕は
30歳でありながら
未だに実家暮らし。


今までなら
風邪を引いたら
体調が少し落ち着いた時に
1階に下りれば


父がうどんを作ってくれたり
頼んでもいないのに
コンビニでおにぎりを買って来てくれていました。


だから僕はただ安静にすることだけに
専念出来ていました。



でも父がいなくなってから
初めて風邪を引いた事で
こんな些細なことでも
父のありがたみが身に染みました。



久しぶりに
(信ちゃん(父)がいてくれたらなあ…)
と父の事が恋しくなりました。


また父の遺影に向かって
このお礼の気持ちを伝えました。


でも僕は大事な事を忘れていました。
僕には兄がいる。


僕は何故かしてほしいことがあっても
なかなか兄には頼みづらい事があって
今日も兄は夜勤から昼前に帰って来たのですが


何回かメールで
「帰りにおにぎり買って来て」
と頼もうと思ったのですが


(夜勤明けだし、お風呂入ってすぐ寝たいだろうし)



(自分の時間を取らせるのは悪いな…)


などと躊躇し、後で
自分でコンビニにでも
買いに行こうと思っていました。



すると…。
兄が帰ってくるなり
2階に上がって来て
僕の部屋の扉越しに



「熱下がった?」



「うん。でもまた37.5まで上がってしまった」



と言うと
兄の口から



「コンビニ行って何か買って来てあげようか?」



「え…?」




予想だにしなかった
兄からの言葉を聞いて
僕はこみ上げてくるものがあり
目を真っ赤にしながら


「じゃあおにぎり買って来て^^]



とお願いしました。




亡くなった父のありがたみと
僕には自慢の兄がいる



改めて家族って良いな


としみじみと感じました。




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1か月半ぶりの帰宅 

母が亡くなって
1時間半ぐらいが立ち
ようやく兄が母の元に来た



兄は泣くことも
取り乱すこともなく
気丈に振舞っていた。



その後霊安室に運ばれ
先生やお世話になった看護師さん達が
次々と冷たくなった母の元に来てくれた


この時の僕は
心の中で取り乱してはいけないと
気を張っていた。


だから兄が来てからは
もう泣かなかった。


兄が来た時も
野球漫画のタッチの弟和也が亡くなったシーンを真似て


「不思議だろ…死んでるんだぜ…」


などとふざけたりもした。


というかそうやって
わざとふざけたりして
自分の感情に蓋をして
この辛い現実から逃げようとしていた



不思議なもので、
というより願望が入っているせいか


母が亡くなって
病室に居た時も
そして霊安室に居た時も
母のお腹が微かに上下しているように見えて
『まだ生きているのではないか』と
父と話したのを覚えている。


もうこの時の僕は
時の流れに流されるまま
過ごしていた。


ただ泣かないようにと
常に気を張っていた記憶がある。



そしてそうこうしているうちに
母を家に帰ってくることになった。



この2、3日前に
父の指示の元
母の寝室でもあった
1階の和室を簡単にではあるが
片づけていた。


全ては来たる
その時の為に…。


そして葬儀をお願いした
農協(JA)の車で
母を家に連れて帰って来た。



でも母は眠ったまま。



今までと違う向き(北向き)に
頭を向けて寝ている事に
ショックを受けた。



それまで我慢できていたのに
また心の蓋が取れて
涙がこぼれた


歯を食いしばり
悔し泣きだった。


そして心の中で
こう思った



(おかえり…はつみ…)


(はつみが好きな家だよ…)


(こんな形ではつみを家に連れて帰ってくる事になってごめんね…)


(はつみごめん…)



母に対しての
懺悔の気持ちと
後悔の念に苛まれた。


母が1ヶ月半ぶりに
我が家に帰って来た。





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母 はつみ 永眠 享年53歳

家族では僕だけが
母の最期を看取った


母には2回死亡時刻がある。
僕が看取った午前8時42分。


この時先生は父が来るまで
死亡時刻を待ちますと僕に告げた。


なので
2009年2月2日午前9時11分が
母の正式な死亡時刻となった。


父が来るまで約30分の間、
母が息を引き取ったにもかかわらず
僕は泣かなかった


というようより
泣けなかった



この母が亡くなったという現実が
理解できず、また受け止めきれず
実感が沸かなかったから。


それに先生と看護師の方もいたので
平静を装って
時折笑みも浮かべていた気がする。


覚えているのは
看護師の方が
目に涙を貯めながら


「朝の時点では普通に会話ができていたのですが…」


と僕に教えてくれた事。



そして看護師さんは
母の死を悲しんで悲痛な顔で
冷たくなった母の顔を
ずっと見てくれていたのが
僕は凄く嬉しかった。


そしてそうこうしていると
物凄い勢いで
病室の扉が開いた


父が来た。



父は今までに見た事のないような
表情で病室に入ってくるなり
母の顔を見つめた。



すると先生が父に
本当は8時42分に亡くなったが
父が来た時間を死亡時刻にするため
待っていたことを告げた。




そしてついに『その時』を
先生は僕と父に告げた。



「午前9時11分ご臨終です…」



その瞬間父は膝から崩れ落ち



母の両手を力強く握りしめ


「よく頑張った! よく頑張った!」


と泣きながら
母に呼び掛けた。



僕はそんな父の姿を見て
この目の前で起きている
残酷な光景が
「現実」であると実感が沸き



リミッターが外れ
一気に感情が爆発した



声を出して
ワンワン泣いた。



父がこんな風に泣いたところを見るのは
産まれて初めてだった。


父が母の事を本当に大切に大事に想って
愛していたのが改めてわかって
そこにも感動した。



あらゆる感情に襲われ
それが僕の心を震わせた。



2009年2月22日
午前9時11分


母 はつみ 永眠


享年53歳


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プロフィール

ゆうじ

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