20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

2018年04月

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

【番外編】こんな些細な事でも

今回は久しぶりの番外編です。
なぜ番外編かというと
水曜日あたりから体調を崩してしまい
3年ぶりの風邪を引いてしまいました。



せっかく続きを楽しみにしてくれていた方達には
期待を裏切る形となり申し訳ありません…。



今は37,5℃まで下がったものの
昨日の昼頃から熱が38,7℃まで上がったり
と上がったり、下がったりの状態で
頭がボーっとしています。


普段記事を書くときは
自分の当時の記憶を思い出しながら
かなり集中をして書いています。


なので今の状態だと
そこまで集中が出来ないため
母の事を書くのは見送りました。


それだけ大事に書いていますし
書きたいので。


また体調が戻ったら再開します。
今回はどうかご勘弁を…。




さて冒頭にも言いましたが
今回3年ぶりに風邪を引いてしまいました。


父が亡くなったから初めてです。
元々父が亡くなるまでは
しょっちゅう風邪を引いていました。



でも父が異変を訴えて
癌が見つかり、亡くなり
そして亡くなってからも
ずっと気が張っていた為
風邪を引きませんでした。



父の傍に居たい、居るためには
風邪なんて引いてられない


父がいなくなった今
自分が風邪を引いたら
誰も看病してくれない


などとずっと
気が張っていました。


よく「病は気から」
と耳にしますが
本当その通りだなと
ここ2年ぐらいは思っていました。


父が亡くなり1年と2ヶ月。
気が緩んだのかもしれません(笑)



情けない事に僕は
30歳でありながら
未だに実家暮らし。


今までなら
風邪を引いたら
体調が少し落ち着いた時に
1階に下りれば


父がうどんを作ってくれたり
頼んでもいないのに
コンビニでおにぎりを買って来てくれていました。


だから僕はただ安静にすることだけに
専念出来ていました。



でも父がいなくなってから
初めて風邪を引いた事で
こんな些細なことでも
父のありがたみが身に染みました。



久しぶりに
(信ちゃん(父)がいてくれたらなあ…)
と父の事が恋しくなりました。


また父の遺影に向かって
このお礼の気持ちを伝えました。


でも僕は大事な事を忘れていました。
僕には兄がいる。


僕は何故かしてほしいことがあっても
なかなか兄には頼みづらい事があって
今日も兄は夜勤から昼前に帰って来たのですが


何回かメールで
「帰りにおにぎり買って来て」
と頼もうと思ったのですが


(夜勤明けだし、お風呂入ってすぐ寝たいだろうし)



(自分の時間を取らせるのは悪いな…)


などと躊躇し、後で
自分でコンビニにでも
買いに行こうと思っていました。



すると…。
兄が帰ってくるなり
2階に上がって来て
僕の部屋の扉越しに



「熱下がった?」



「うん。でもまた37.5まで上がってしまった」



と言うと
兄の口から



「コンビニ行って何か買って来てあげようか?」



「え…?」




予想だにしなかった
兄からの言葉を聞いて
僕はこみ上げてくるものがあり
目を真っ赤にしながら


「じゃあおにぎり買って来て^^]



とお願いしました。




亡くなった父のありがたみと
僕には自慢の兄がいる



改めて家族って良いな


としみじみと感じました。




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1か月半ぶりの帰宅 

母が亡くなって
1時間半ぐらいが立ち
ようやく兄が母の元に来た



兄は泣くことも
取り乱すこともなく
気丈に振舞っていた。



その後霊安室に運ばれ
先生やお世話になった看護師さん達が
次々と冷たくなった母の元に来てくれた


この時の僕は
心の中で取り乱してはいけないと
気を張っていた。


だから兄が来てからは
もう泣かなかった。


兄が来た時も
野球漫画のタッチの弟和也が亡くなったシーンを真似て


「不思議だろ…死んでるんだぜ…」


などとふざけたりもした。


というかそうやって
わざとふざけたりして
自分の感情に蓋をして
この辛い現実から逃げようとしていた



不思議なもので、
というより願望が入っているせいか


母が亡くなって
病室に居た時も
そして霊安室に居た時も
母のお腹が微かに上下しているように見えて
『まだ生きているのではないか』と
父と話したのを覚えている。


もうこの時の僕は
時の流れに流されるまま
過ごしていた。


ただ泣かないようにと
常に気を張っていた記憶がある。



そしてそうこうしているうちに
母を家に帰ってくることになった。



この2、3日前に
父の指示の元
母の寝室でもあった
1階の和室を簡単にではあるが
片づけていた。


全ては来たる
その時の為に…。


そして葬儀をお願いした
農協(JA)の車で
母を家に連れて帰って来た。



でも母は眠ったまま。



今までと違う向き(北向き)に
頭を向けて寝ている事に
ショックを受けた。



それまで我慢できていたのに
また心の蓋が取れて
涙がこぼれた


歯を食いしばり
悔し泣きだった。


そして心の中で
こう思った



(おかえり…はつみ…)


(はつみが好きな家だよ…)


(こんな形ではつみを家に連れて帰ってくる事になってごめんね…)


(はつみごめん…)



母に対しての
懺悔の気持ちと
後悔の念に苛まれた。


母が1ヶ月半ぶりに
我が家に帰って来た。





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母 はつみ 永眠 享年53歳

家族では僕だけが
母の最期を看取った


母には2回死亡時刻がある。
僕が看取った午前8時42分。


この時先生は父が来るまで
死亡時刻を待ちますと僕に告げた。


なので
2009年2月2日午前9時11分が
母の正式な死亡時刻となった。


父が来るまで約30分の間、
母が息を引き取ったにもかかわらず
僕は泣かなかった


というようより
泣けなかった



この母が亡くなったという現実が
理解できず、また受け止めきれず
実感が沸かなかったから。


それに先生と看護師の方もいたので
平静を装って
時折笑みも浮かべていた気がする。


覚えているのは
看護師の方が
目に涙を貯めながら


「朝の時点では普通に会話ができていたのですが…」


と僕に教えてくれた事。



そして看護師さんは
母の死を悲しんで悲痛な顔で
冷たくなった母の顔を
ずっと見てくれていたのが
僕は凄く嬉しかった。


そしてそうこうしていると
物凄い勢いで
病室の扉が開いた


父が来た。



父は今までに見た事のないような
表情で病室に入ってくるなり
母の顔を見つめた。



すると先生が父に
本当は8時42分に亡くなったが
父が来た時間を死亡時刻にするため
待っていたことを告げた。




そしてついに『その時』を
先生は僕と父に告げた。



「午前9時11分ご臨終です…」



その瞬間父は膝から崩れ落ち



母の両手を力強く握りしめ


「よく頑張った! よく頑張った!」


と泣きながら
母に呼び掛けた。



僕はそんな父の姿を見て
この目の前で起きている
残酷な光景が
「現実」であると実感が沸き



リミッターが外れ
一気に感情が爆発した



声を出して
ワンワン泣いた。



父がこんな風に泣いたところを見るのは
産まれて初めてだった。


父が母の事を本当に大切に大事に想って
愛していたのが改めてわかって
そこにも感動した。



あらゆる感情に襲われ
それが僕の心を震わせた。



2009年2月22日
午前9時11分


母 はつみ 永眠


享年53歳


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2009年2月2日午前8時42分

父からの電話で
慌てて病院に向かった僕。



無我夢中で
自転車を飛ばし
脅威的なスピードで
病院に着いた。


4階につくと
猛ダッシュで
母の病室の扉を開けた。







すると…。



































母はまだ生きていた。



















しかし…












見た事のないような
まるで体のどこかから
空気が抜けているような
変な呼吸の仕方をしていた







そして白目の部分が
黄色かった








あの時の母の姿は
死ぬまで忘れない





それぐらいショックな光景だった




脳裏に焼き付くとは
まさにこういうことを言うのだろう…。






見た事のない
呼吸の仕方と
目の色





いくらこれまで
この辛い現実から
目を反らし続けてきた
僕でも




『もう為す術がない』




と諦めるというか




絶望的な光景が
そこにはあった…。













『はつみはもう死んでしまう』



無駄な抵抗であり
母から返事は来ないとわかっていたけれど
体が勝手に動いた。



母は母から見て
右側にある窓(=外)を
一点にじーっと見つめていた



僕はその前に立ち
母に僕を見てもらえるようにと



母を見つめながら



声を震わせ


そして一歩ずつ
近寄りながら




「はつみ…ゆうじだよ…来たよ…」




「ねえ…はつみ…ゆうじだよ…?」



だが目は真っ赤になったものの
いつもなら大泣きするところが
涙はこぼれてこない。



なぜなら放心状態でもあったし、
なにより到底受け止めることができない
絶望的な光景が目の前にあったから。




そして僕は母の横で
立膝をつきながら






「おれが来るまで待っててくれたの…?」





「約束を守ってくれたんだね…」






「無事カエル(帰る)んじゃないのかよ…」




しかし母からは
返事もリアクションも
帰って来ない…





母の病室に着いて
約3分。




もっと言えば
父からの電話で飛び起きたのが
8時30分頃


ここまでトータル約11分








そしてついに









『その時』







が来てしまった





















2009年2月2日午前8時42分






母は僕の前で







息を引き取った…。


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父からの一本の電話 「嫌だよ…はつみ…嫌だよ…」

《その時》は
突然やって来た。



何の前触れもなく
突然やってきた



忘れもしない。



2009年2月2日月曜日



朝8時28分頃。



この3分ぐらい前に
僕は目が覚めた。


ベットの上で
ウトウトしながら
左側に寝がえりを打ち


寝たまま手を伸ばし
その真正面に置いてあった
テレビを付けた。


TBSの朝のニュース
「みのもんたの朝ズバ」の
エンディング。


まもなく次の
「はなまるマーケット」が
始まろうとしていた矢先



ウトウトしていた
僕の頭は一本の電話で
一気に目が覚めた。



携帯電話が鳴り響く。
普段はマナーモードだが
寝ている間に



《その時》が
来るかもしれないと
覚悟をしていたので
鳴るようにしていた。



携帯に表示されているのは
父の名前。



僕はすぐに出た。



電話の先の父がいつもと少し様子が違う。
動揺しているのがわかった。





「今病院から電話があって母ちゃんが危ないと連絡が来た」




僕は胸が締め付けられるように
ドキッとして
一気に起き上がった




普段冷静な父が早口で



「今すぐに病院に向かってほしい」




僕はベットから飛び起きて




「わかった  信幸は今どこにいるの?」




「父ちゃんは兄ちゃんを今送り終わった所。急いで向かうからおまえも今すぐ母ちゃんの所に行ってくれ」



「わかった」



父は何故この月曜日に
仕事を休んでいたのかは覚えていない。



ただきっと母がもう
昨日今日のうちに亡くなる可能性が高いと
1人だけ先生に聞かされていたのだろう。



父は母が元気な頃から
休みの日は



アクセスが悪い兄の職場に
兄を車で送って行くのがほとんどだった。




話が逸れてしまったが
僕は父からの突然の電話で
飛び起き、




雨戸も開けず
寝ぐせも直さず
急いで病院に向かった。



母が緊急入院、緊急手術したあの日と同様
火事場の馬鹿力というか
ものすごい速さで病院に着いた。


普段なら自転車で10分ぐらいかかる所を
おそらく5分ぐらいで着いたと思う。



僕は病院に向かう途中



全力で自転車を漕ぎながら



「嫌だよ…はつみ…嫌だよ」



「間に合ってくれ…」



と何かに取りつかれたように
独り言を言いながら



そして泣きながら
病院に向かった。



あの時の病院に向かっている光景は
今でも忘れられない…。





病院に着き
急いで4階の母の元へと急ぐ僕。




(お願い!生きててくれ…)







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