20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

2018年01月

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

僕が負けを認めた日

母の容体が急変し、
一時は母の死を覚悟した日から
次の日になった。


この日は母の闘病生活の中でも
母に告知をしたあの日と同じぐらい
忘れられない日となる。


僕はこの日、大学に
レポートを提出しに行った。


レポートを提出してまもなく
父から着信が入る。


ドキッとする僕。
前日の事もあり、


(何か母に起きたのか!?)


と恐怖を感じながら電話に出ると


「先生が話したいことがあるらしい。今から病院に行けるか?」


僕は父に「今から行く!」
と即答した。


その一方で


(家族全員ではなく、おれだけでも良い話って何だろう?)


と疑問を持ちながら病院に向かった。


病院に向かっている最中、
色々と自分なりに考えたが
皆目見当がつかなかった。


(仮に母の容体が悪化したのなら
おれだけではなく全員に来てほしいと頼むはずだ)


(だからきっと大した事ではないのだろうな)


などと都合よく考えていたが、
やはり病院のに着いて
1階でエレベーターを待っている頃には
不安と緊張で押しつぶされそうになった。


4階に着いた。
僕は母の顔を見て早く安心したいと
はやる気持ちを抑えきれずに
母の病室に向かった。


ドアの前に立ち、
心臓がバクバクしながら
ほんの一瞬、深呼吸をしてから
ドアの取っ手を握った。


(頼む!何事も起きていないでくれ…)


(はつみ無事でいてくれ!)

僕は祈りながら
一気にドアを開けた。



すると視線の先には
勢い良く病室へと入ってきた僕に
驚いた様子の看護師さんの顔が見えた。


そして母の方に視線を向けると
体温計を渡そうとしている母がいた


母も驚いた顔をしている。
僕はホッとして深いため息が漏れた。


「どうした?母ちゃんは生きているよ^^」


とニコッと笑い、
僕に優しく話しかけてくれた。


(な~んだ、なにも変わっていないじゃん、でも無事で良かった)



僕は母に

「父ちゃんから病院に行ってくれって電話があってさ、それで飛んで来たんだよ」


と伝えると、母はすかさず


「なんで?ほらこの通り母ちゃんは元気だよ?」


と疑問を浮かべた表情で僕に問いかけた。


このやりとりをしている間に
看護師の方は病室から出て行った。


僕はホッとして一気に力が抜けた。


5分ぐらい母と談笑した。


「今日は元気そうだね^^」


と僕は安心した。


すると先程の看護師の方が
ドアを開けて僕に話しかけてきた。


「昨日移動した際に、昨日の病室に忘れ物がありまして確認してほしいので来ていただけますか?」


(あれ?昨日間違いなく全部あっちの部屋から荷物持ってきたはずだけどな?)


僕は疑問を持ちながら立ち上がり



不思議そうな顔をして母に


「とりあえず行ってくるわ」



と告げ、病室を出た。


当時の僕は自分で言うのも何だけれど
純粋だったので、言われた事に対し
100%信じてしまう傾向にあった。


そして廊下に出ると
看護師の方は僕と目が合うと
先程までと打って変わって
神妙な顔をして


「先生からご説明したいことがありますのでこちらへどうぞ」


と僕を誘導した。


僕は自分が置かれている状況が
うまく理解できず混乱しつつも、
言われるがまま案内された部屋へと入った。


この15分後、
僕は母の前で
号泣する…。





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好きなだけ泣きたくて

母が一命を取り止めた
その日の夜。


どんなに願っても
どんなに一緒にいたくても


母と一緒に過ごせる時間は
もう限られている。


母が入院してから初めて
本当に母が死ぬかもしれないと
目のあたりにしたことで


家に帰って自分の部屋に入った時
心が震えた。その震えは止まらなかった。


好きなだけ泣きたくて
僕は禁断のCDに手を伸ばした。


それは僕が大好きだった曲のCD。


しかしそれは母が腹痛を訴えた
あの日から、あえて避けていたCD。



でも母との時間がもう本当に
限られた時間しか残されていないと覚悟した時、
無性に聴きたくなった。


その曲とは
JULEPSジュレップス) さん達の
「旅立つ日」という曲。


この曲を好きになったきっかけは
母が亡くなる1年前の2007年11月15日に
めざましテレビでたまたま
歌っている姿を見て
心にとても響いたから。


でもこの曲を好きになった当時と
この日の夜の自分とでは
この曲に対しての捉え方が180度違う。


一つ一つの歌詞の意味が
大きく違って感じられ
一つ一つの歌詞と映像が心に突き刺さり
涙が止まらなかった。


僕の中でこの夜を境に
「大好きな曲」から
「人生の中で大事な曲」に
変わった。


自分がその歌詞に出てくる当事者になった気がして
そう思って聞くと本当に
一つ一つの詞が心に突き刺さる。


CDで聴くだけでも涙が出るが
感情移入ができるDVDで
アニメを見ながら聴きたかった。


思う存分、母の事を考えながら泣きたい。
その思い通りに
体中から涙が出てくるような感覚になるほど
涙が止まらなかった。


この日の夜はただただ
泣いていた。


思う存分泣けたことで
少しだけスッキリした。


そして次の日、母の闘病生活の中でも
告知の時と同じぐらい
忘れられない濃い1日を迎える。



【番外編】
どうか皆さんにも
ご覧いただきたいです。


完全版は7分と長いです。
4分頃、一旦終わったような感じがしますが
続くのでご覧いただける場合は
最後までぜひご覧ください><








母が亡くなってからは
この曲を聴きながら
色々な事を考える。


最初の夜だけなど無理
今も両親のことを真剣に考えるだけで
簡単に涙が出てくる。


でも「幸せだったよ」とは
迷いなく言える。
一点の曇りもない。


遺影の写真を撮った時の
私になにかあったらこの写真を遺影にしてね」
(詳しくは http://yuuji16.site/archives/3861082.html ご覧ください)


あの時すでに母は神に会って
「命に終わりが来るとそっと知らされていたのだろうか?」



日差しになって僕を見守ってくれている
と信じられるよ


そう感じながら
つい聴いてしまう。


この記事を書こうとして
久しぶりにDVDを見たが
やはり涙が止まらない。





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生きててくれて

僕らが病室に着いた頃には
母は意識が戻っていて
落ち着いていた。


僕は母の姿を見ると安堵して
緊張の糸がほどけ目が真っ赤になった。


母はまず父と兄と話をした。
僕はその間、母に背を向け
母から見えない位置に立ち
何回も深呼吸をして
気持ちを落ち着かせようとした。


すると母が
「ゆうじもこっちへ来て」と
弱々しい声で
僕を呼んだ。


僕はその母の声を聞いて
込み上げてくるものがあり
涙を貯めながらも
母の元に向かった。


母も目に涙を貯めていた。
僕は両膝をついて
ベットで寝ている母の右手を
両手で力強く握りしめた。


母もまた僕の手を
今持てる力を振り絞って
ギュッと握り返してくれた。


母の手の温もり、
母の声


母がまだ生きていることを
実感できて、心の底からホッとした。



すると母は
申し訳なさそうに
僕の方に目を向けて


「ごめんね…心配かけて…」


「ううん…大丈夫だよ…」


「いつもゆうじが来るとすぐ母ちゃん体がおかしくなって本当にごめんね…」


僕はその言葉を聞いて
涙がドッと溢れた。


僕は両手で握りしめた母の手を
自分のおでこに何回もポンポンと当てて
泣き続けた。


そして母の顔を見て
むせび泣きながら


「生きててくれて本当によかった……」


と心の底から思っている事を伝えた。


母は


「こんなに心配してくれてるんだ、まだ母ちゃんは死ねないよ」


と言って笑って励ましてくれた。


その顔を見て
僕はさらに泣いた。


そして先生が言った通り
腹水を抜いたこの日から
母の体は日に日に弱っていった…


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避けられない現実へと

母が病棟に響き渡る悲鳴を上げてから
数時間が立った。


その頃には僕ら兄弟は
病棟のロビーで待機をしていた。


生きた心地がしないとは
まさにこういうことを言うのだと思う。


僕はこの時、本当に母が
このまま死んでしまうのでないか
と思っていた。


もっと言えば7割は諦めていた…。
それが正直な気持ちだった。


自分で勝手に悪い方へ悪い方へと
考えてしまい、考える度に恐怖や悲しみで
涙が止まらなかった。


自分で自分を追い込んでしまっていた。
そしてそうこうしているうちに
仕事を早退して来た父が
エレベーターから降りて来た。


どうやら兄が連絡をしたらしい。
こういう時、不思議なもので
言葉を交わしたり、
父から励まされたりしなくても
父の顔を見るだけで、
泣いているのに心がホッとした。


置かれている状況に変わりはないのに
家族全員揃って、
家族が一致団結をして
この目の前の最悪な状況に
全員が同じ方向を向いて、
同じ想いでいれたことが
僕の消えかかった想いを
奮い立たせてくれた。


この後も少しだけ、
祈る時間が続いたそんな折、
ロビーに先生が現れた。


そして家族全員が揃っていたので
全員で小さな部屋に通された。


先生から今日の原因と今後について
説明を受けた。


先生は終始、
神妙な顔で


「癌の影響で腹水が貯まり、それによって息切れなどが起こりました」


「今は落ち着いて眠っています。」


「しかし腹水を抜いたことで、奥様の体は今後ますます弱っていくだろうと考えられます…」


「こんな事を言うのは御家族にとって酷ではありますが、
 奥様と一緒に過ごせる時間はもうあまり残されていないと…お考え下さい…」



先生からの説明を受けて僕は


「母が生き延びたことに安堵した」


ホッとした気持ちと


先生の口からはっきりと告げられた


‘別れの時間が近い”という
‘もうこれは避けられない現実"へと
向かってしまっているのだと
ショックを受け


あらゆる感情に襲われ
しだいに激しい恐怖に変わり
目の前が真っ暗になった。


しかしそんな心境でも
僕の体を突き動かしてくれる"想い"があった。


そうそれは


「母の顔が見たい」


「母のそばにいたい」


という想い。


例え寝ていても良い。


母の声を聞けなくても良い。


寝ていたとしても
母のそばにいるだけで
泣くことしかできないのは
わかっているけれど


母を感じられるだけで
この張り裂けそうな
胸の痛みは治まる気がした



母の存在が
僕にとって何よりも良薬だった。


先生の話が終わり
寝ている母が待つ病室へと
僕ら家族は向かった。






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病棟内に鳴り響く母の悲鳴

1月も後半に入り、
大学の冬休みが明けた。


当時僕は21歳、大学3年生。
後期のテストが行われたり
テストがない講義は
レポート提出が課せられていた。


僕は母のお見舞いや
家に帰ってから簡単な家事の傍ら
レポートを書いた。


ただ幸いな事にテストの講義は
記憶があいまいだが2科目しか
無かった気がする。


なので母のお見舞いが終わった後に
夜寝る前の時間を使って
平均2000字ぐらいのレポートを書いた。
3、4科目がレポート提出だったと思う。


なので大学が始始まっても
特に母のお見舞いに支障はそこまでなく
母のお見舞いに専念できた。


母に告知をしたあの日から
2、3日が過ぎて
この頃には母もようやく落ち着き始め

特別大きな問題も起きず
過ごせていた。


しかしそんな平穏な日々は
そう長くは続かない…。


母との別れの時間は
確実に、そして着実に迫ってきた…。


この日は兄が休み。
僕はテストを受けに大学へ。


兄はこの日
母のお見舞いに行ってくれていた。


テストが終わり、
兄と母の待つ病室へと向かった。


僕が病室に着いて
母の様子を見ると
大丈夫そうだった。


母に「テストを受けて来た」
などと報告して


兄と母から、
母の今日の様子を教えてもらったり
他愛のない会話をした。


僕が病室に着いて
この時点で3分も立っていなかった。





すると…




母の様子がしだいに…





呼吸が少しずつ荒くなってくる…



そして徐々に
呼吸困難のような状態になり



次の瞬間…



「わーーーーーーーーーーーーーーーー」



「ぎゃあーーーーーーーーーーーーーーーー」



突然苦しみだし
何と表現すれば良いかわからないぐらいの
大きな悲鳴を上げ始めた。



その母の大きな悲鳴は
病室のみならず、病棟にまで鳴り響いた…。



僕はそんな母の姿を見て
パニックになりいつものように
恐怖に震えその場で泣いた。



同じ病室の人、
またお見舞いに来ている家族が
一斉に自分たちのカーテンを開けたり、
僕らに視線を送ってくる。


そしてすぐに看護師の方達も
慌ててやって来る。


「どうしましたー?大丈夫ですかー?」


看護師の方達も慌てているのが
僕にでもわかる。


僕はその間もずっと
体が動かないというか
その場で立ち尽くし、
目の前で起きていることを
見ながら
ひたすら恐怖のあまり
泣き続けていた。


そして母がずっと
大きな悲鳴を上げているので
病棟内は騒然としていたが


少し時間が立って
真向いの個室へと母だけが
ベットのまま移動された。


今思い出しても当時のあの悲鳴と
あの光景が蘇ってきて心拍数が上がる…。


僕はこの時


(このままはつみは死んじゃうんじゃないか…)


(このまま別れるなんて嫌だよ…)


(まだ何もはつみに伝えられていないよ)


(神様お願い!!まだはつみを連れて行かないで)


(おれが来てまだ5分も立っていないのになんでだよ!)


(おれが来たせいか?)


などと
力いっぱい神様に懇願したり

自分に対して怒ったり
自分を責めたり混乱し続けた…。


僕は母が先程までいたこの病室で、
母がいなくなったにもかかわらず、
ひたすら体を震わせながら泣き続けた



この日が母が団体部屋で過ごしたのは
最後の日となった…。


この約1週間後
移動した先のあの部屋で
母を看取る事となる…。



僕の人生にとって
あの部屋は特別な部屋。




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