20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

2017年12月

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

【番外編】今年1年を振り返って

今年は人生で一番早く
1年があっという間に過ぎた
と感じた年だった。


2月に父を亡くし
10月に祖母を亡くした。


こんなに簡単に1年前の出来事を
鮮明に思い出せるのは初めてかもしれない。


兄に今年は人生で一番、1年が早く感じたと話したら
「今年はバタバタしていたからそう感じるのだよ。
 おれも早く感じた1年だった。」


と言われ納得していた。でもその一方で


(父が亡くなったのは2月だからな~)


(亡くなったのが秋とかだったらわかるのだけどな~)


と腑に落ちない部分もあった。


それを職場の人に話したら
「それだけ充実していたってことじゃない?」
と言われ、腑に落ちた。


いずれ父の事も書くけれど
母の時とは違い、
父とは1年という
たくさんの残りの時間をもらえたので
凄く大切に、大事に過ごすことができた。


なんというか
「しっかりと送り出せた」と
実感できている部分があるので
亡くなってからも前向きに過ごせていた。


だから毎日毎日充実した日を過ごせたから
今年1年が早く感じたのかもしれない。


父と母を亡くした事で
僕は自分の残り時間、
人生を強く意識するようになった。


あと何年生きれるか、わからない。
あと何年健康で過ごせるか、わからない。


自分が病に侵され、余命を告げられた時
「もう十分^^人生を満喫できたら思い残すことはない^^」
と自分の人生に悔いがないと
自分の死をすんなりと受け入れられるような
人生を過ごしたい。


そんなことを意識しながら
今年1年過ごしてきた。


仕事で落ち込んだり、誰かに腹を立てた時など


(こんな事に時間を取られているのはもったいない!)


(いかん!怒りの感情に支配されている)


などと考えるようにしたから
充実していたのかなと思う。



またこのブログを書き始めて
文字にすることで自分の過去としっかり向き合えてきている。


書くことで自分の気持ちを
整理できてきているのがわかる。


嬉しいもので、ブログを通して励ましのコメントを頂けたり
誰かに必要とされていると強く実感できています。


これはひとえに
皆さんのおかげです^


今年はお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
それではみなさん良いお年を^^




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告知の日、そこにあった真実

取り乱した母。
その姿にショックを受ける僕。


告知を受けた前日は
こんな姿では無かったのに


一体母に何があったのか、
聞くのが怖かったけれど


僕は覚悟を決めて
母の担当看護師の方に


昨日の告知の時と
僕らが帰った後の
夜の様子を聞いた。


看護師の方いわく


告知を受けた母は
先生に自分の残りの時間を
尋ねた。


先生から告げられた
現実を聞いて
母は目に涙をためて、
睨むような厳しい顔をして
鼻息が荒くなり、
体が震えていたらしい。


でも隣にいた父が、そんな母の背中を
ずっとポンポンと優しく叩いて
「大丈夫だから、大丈夫だから」と
ずっと声をかけ
励ましていたらしい。


僕はそんな両親の姿を想像して
涙が溢れた。


本当に両親は深い所で
愛し合っているのだ。


僕もその場にいたかった。
いなければいけなかった。


一緒に傷つきたかった。
そばにいてあげたかった。


看護師の方もその時の光景を
思い出したのか、目に涙を貯めていた。


そして看護師の方は
目に涙を貯めながら
穏やかな顔をして


「素敵なご両親をお持ちですね」
と声をかけてくれた。


僕はその言葉にお礼を言うとともに
下を向きながらさらに泣いた。


そして話は僕がもっとも
知りたいと思っていた核心に迫った。


そうそれは
僕らが帰った後の母の様子だ。


「今日は帰らないでほしいな…」


「ずっとそばにいてほしいな…」


心の叫びを僕に断られた母は
一体どんな様子だったのか。


僕は息を呑みながら
看護師の方の話に耳を傾けた。


母は夜中、寝れないとのことで
気分転換を兼ねて、車椅子に乗せてもらい
病院内にある中庭のような所に
連れて行ってもらったらしい。


そしてそこで母は
全力で


「あーーーーーーー!」


と叫んだらしい。



これははつみの心の叫びだったのだ。
突然突き付けられた残酷な現実に対する心の叫び。


家族である僕らが支えて
あげなければいけなかったのに。
母はあの夜1人で過ごした。



それを聞いて僕は


(どうして帰ってしまったのだろう)



(なんではつみのそばにいてあげなかったのだろう)



(はつみのそばにいてあげるべきだった)



(はつみと一緒に叫びたかった、はつみの心の叫びを共有してあげたかった)



と自分の犯した昨日の言動を悔いて悔いて悔いた。
そして自分を責め、自分に対して怒りが込み上げてきた。


それらが収まった時には、はつみに対する罪悪感が
込み上げてきた…。



これがあの告知の日、そこにあった真実。
僕がこの真実を知ったのは翌日だった。


ずっと母のそばにいれば
すべて共有できたのに…。



戻れるなら本当にこの日に戻りたい…。






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お母さんが…お母さんが…

母に告知をした日から次の日の朝。
言葉は正しいかはわからないが


僕は母にもう嘘をつかなくて良い事に
嬉しくなり、久しぶりに目覚めの良い朝を迎えた。


そして朝10時からアルバイトへ向かった
アルバイト先は歩いて5分程度の所の
グッズショップ。



(病院着いたら母に何と言って今後に向けて励まそうかな^^)
など前向きな気分で仕事をしていた。


この時の僕は

本当におめでたい奴だった。


ただ僕の考えていた事は
浅はかで最低だった。



一番に考えなければいけない事
一番忘れてはいけない想い
一番大切にしてきた想い


それらを見失ってしまっていた。
自分の事だけを考えていた…。


アルバイトでの勤務が終わり
僕は母の元へと向かった。


この日は9階から4階の病室に
移動する事になっていた。


病院に着いて
4階のナースステーションで
母の新しい病室を聞き
意気揚々と母の待つ病室へ向かった。


6人部屋の入って左側の真ん中のベット。
その母がいるであろうベットの前には
親戚のおばさんが立っていた。


しかしなぜか神妙な顔をしている…。


(おばさんだ。どうしたんだろう…?)


廊下側のカーテンが閉まっているので
僕の存在には母は気づいていない。


何となく只事ではないと感じ
恐る恐る近づき、
親戚のおばさんに軽く会釈をして
カーテンをめくり母の顔を覗く僕…






すると…。








次の瞬間、一瞬にして
僕は前日に取った
自分の
母に対する心無い言動を
心の底から後悔することとなった。




母はその親戚のおばさんに向かって
取り乱したように


「お母さんが…お母さんが…」


とパニックを起こしたように

泣いていた。


母は僕に目もくれず

ひたすら泣き続けた。


叔母さんは
「はつみちゃんお母さんは大丈夫だから、ほら息子さんも来たわよ」
と言って気を紛らわせようとしてくれた。


でも母は取り乱したようにひたすら
泣いていた。



母は腹痛を訴え始めた12月上旬まで
老人ホームに入居していたおばあちゃんに
1週間に1回ぐらいのペースで会いに行っていた。


老人ホームにいるため、
おばあちゃんも母のお見舞いに来れないし
母もまたこんな状態だから
おばあちゃんに会いに行けない。


母は告知を受け、
自分の母親(=おばあちゃん)に対して


母親より先に亡くなってしまう事
母親に会いたくても会えない


などの様々な想いに襲われ、
感情が爆発したのろう…。



僕は前日とは打って変わった
母の姿を見て
ようやく前日に自分が取った言動が
大きな間違いだったことに気づいた…。


その瞬間母に対する
申し訳ない気持ちというか
罪悪感というか


胸をえぐられるような
自責の念に襲われ
僕も感情が一気に爆発して
その場で泣いてしまった。


(おれは…おれはなんて最低なことをしてしまったのだ…)



僕は独り言のように
消え入るような声で



「ごめん…はつみ…ごめん…本当にごめん…」


とだけ母に言い、また慌てて廊下へ
そしてロビーへと逃げた。


(かける言葉など見つからない)


(おれには、はつみに言葉をかける資格などない)



大粒の涙がとめどなく溢れた。
自責の念に心が耐えられなかった。



その後ロビーに叔母さんが来て
現在の母の様子を教えてもらい
励ましの言葉をもらって
僕は叔母さんを見送った。


そして何度も何度も深呼吸をして
気持ちを落ち着かせて母の待つ病室へと向かった。









今こうして約9年立って改めて考えると


自分が親より先に亡くなる事
親に会いたくても会いに行けない事
会いに行けないし、電話もできないから
感謝の思いも伝えられない事



怖くて恋しくて
会いたくて、でも会えなくて…。



健康でまだまだ人生が長くある僕ですら
漠然としているとはいえ
考えるだけで恐怖などを感じるのだから



突然余命を宣告されそれが3ヶ月しかないと
言われればパニックになるのは当然だと思う。


どうしてこんな大事な事に告知の日に
気づけなかったのか。


どんな状況であれ、
例え泣くことしかできなくても
告知の時は家族には
同席してほしいと強く思う。


僕は母の時のこの経験があったからこそ
この8年後に起きる
父の告知の時に自ら率先として同席した。


案の定、泣く事しかできなかったけれど
同席して本当に良かったと強く思う。





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【番外編】もしタイムマシーンがあったら

もしタイムマシーンがあって
人生の中で1日だけ戻れるとしたら
僕は即答で、はつみの余命宣告の日を選ぶ。


もっと前に戻れば、癌が発症する前に
はつみに伝えられれば
今も生きれているかもしれない。


でも僕はそれはルール違反だと思う。
人にはそれぞれ生まれた時から
寿命が決まっているのではないかと思うから。


それに仮にはつみに癌が発症がする前に伝えて
生き延びたとして、
僕だけが幸せになるのはずるいと思う。


はつみには申し訳ないけれど
自殺や交通事故や急な病に倒れ、
お別れの時間がないまま、
何も伝えられず
大切な人と別れてしまった人にこそ
タイムマシーンを使って
大切な人の命を救ってほしい。


僕ははつみの命は救えないけれど
出来る事ならタイムマシーンで
あの日に戻って
あの日のはつみの[心]を救いたい。


ただ泣くことしかできないけれど
告知の席に同席したい。


放心状態だったはつみの心に寄り添いたい。
一緒に悲しんで、
一緒に思う存分泣きたい。


「今日は傍に居てほしいな」という
はつみの心の叫びをしっかりと受け止めて
一晩中、はつみのそばに居たい。


今の自分でも、かけられる言葉など
見つからないし、かけられないけれど
あの日気づけなかった心の叫びを
はつみと共有したい。


そして思う存分2人で泣きたいなあ。
そして大好きだよってもう一度伝えたい。


はつみと信ちゃんの子供で
おれ本当に幸せだよ


ってこの9年分の想いを込めて
改めて伝えられたなあ。



いかん…書きながら涙が止まらなくなってしまった。
ここまで読んで頂いたということは
僕の妄想にお付き合い頂けたようで嬉しいです^^
ありがとうございました。


おかげさまでブログを開設して約3ヶ月。
ついに先日初めて、1日で403名の方に
お越し頂きました。


誰かの役立ちたい
その一心で書き続けて約3ヶ月。


LINE読者も15名の方に^^
僕の書く記事を気にかけてくださって
それだけで僕の励みになっています。


温かい心のこもったコメントも頂けて
このブログを書いていて良かったなと
実感しております。


拙い文章ではありますが、
これからも当ブログを引き続きご覧いただければ幸いです。




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告知(下) ~今も消えぬ、人生で一番後悔した夜~

余命宣告を受けてから
数時間が立った。


僕はもう母に嘘をつかなくて良い事に
解放感を覚え、一番大事な母の想いに
目を向けられずに一緒にいた。


この日に貰った巨人の大田選手の
サインボールを見せ、貰った時の感想などを
母に話したのを覚えている。


父は夕食の準備などをしに
一旦家に帰った。


父は元々料理が好きで、仕事がある日も
だいたい19時には病院に来てくれていた。


だから母が入院中も
外食やコンビニ弁当ではなく
ほぼ夕飯は手作りのご飯を用意してくれた。


今にして思えば凄い事である。
仕事しながら、看病しながら、
僕ら子供達のごはんも用意してくれて。


少し話が逸れたが、
気がつくと夜になっていた。


告知の日ということもあり、
兄も心配で夜お見舞いに来てくれた。


そして夕飯を準備をし終わった父も
再び病室に来た。


病室には家族4人が揃った。
時間にして30分ぐらいだったけれど。


そしていよいよ帰りの時が来た。
「じゃあそろそろ今日は帰るわ」
という流れになった時


母が僕に向かって
なんとも言えない表情で


「今日は帰らないでほしいな…」


「ずっとそばにいてほしいな…」


と頼んできた。


あの時の母の顔と声のトーンは
未だに脳裏に焼き付いている。


でも僕が出した答えは…。。


「明日は朝からバイトだから無理だよ^^]


「他の人の迷惑になるしさ。」


「明日はバイト終わったらすぐ来るから^^」


と母の頼みを断った。
それが母の心からの叫び
だったにもかかわらず…。
しかしこの時の僕は
その事に気づいていない。


夜中まで起きていたことがない。
明日はバイトがある。
急に誰かにシフト代わってもらうのは申し訳ない。
4人部屋だし他の人にも病院にも迷惑がかかる。


などと理由をつけ、
この時の僕は迷うこともなく、
即答で断ってしまった。


父でも兄でもなく、
僕にそばに居てほしいと
言ってくれたのに…。


もちろん父と兄は
仕事があるから頼みづらかったのも
あるかもしれないが


告知という、言葉では表せられないほどの
深い悲しみやショックを受け
放心状態だった母の気持ちを
見抜けず、僕は最低だった…。


何度も言うがこの時は
本当に解放感に包まれていた。


大事な事に目も向けられずに。
そして翌日僕は母の取り乱した姿を
目の当たりにする。


そしてこの告知の日に
自分が取った言動を
心の底から後悔することとなる。






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