20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

2017年10月

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

[番外編]おばあちゃんへ

今日祖母の葬儀が営まれた。


葬儀にはたくさんの方に参列していただき、
祖母もきっと喜んでいたことだろうと思う。


葬儀中、祖母の遺影を見ながら、
色んなことを考えた。

1つ目はは祖母は果たして幸せだったのだろうか。


祖母が66歳の時に祖父と、
87歳の時に娘(僕の母)と死別し
果たして幸せだったのだろうか。


祖父と娘に先に旅立たれ、
どんな想いで残りの人生を時間を過ごしてきたのだろうか。


無念だったのか、幸せだったのか
祖母は自分の人生をどう思って最期を迎えたのだろうか

答えはわからない。
できることなら、元気なうちに
直接聞いてみたかった。


ただ今日こうして、たくさんの人に
参列頂いて、幸せだったとは思う。



2つ目は初めて先祖様たちに感謝した。


この葬儀中、絶対に亡くなった母と父も
参列していると思っていた。


もし父と母が生きていて、一緒に参列したら
2人はそれぞれどんな様子だったのか。

もしこの場にいたら、どの位置に座っていただろうか。
そんなことを考えながら過ごしていた。

また亡くなった両親の代わりではないけれど、
2人の分まで自分が、きちんと祖母を送り出そうと
強い想いを持って出席した。

特に母の分まで、母が生きていたら
どういう行動をするか、などと考えながら行動した。

母の事を考えているうちに
祖母の遺影を見ていると、ある想いに襲われた。


それは感謝。


心の底から初めて先祖に感謝した。


もちろん今までも感謝していたつもりだけれど、
父と母が亡くなり、

命の大切さ、

残りの人生、

残りの時間

を考えられるようになった今だからこそ

両親だけではなく、

こうして今の自分が生きているのは


「母を生んでくれた祖母がいてくれたからこそ」


もっと言えば
祖母だけではなく、先祖代々の方達のおかげで
今の自分が存在しているのだと。


心の底から初めてご先祖様達に感謝できた。
祖母のおかげで
人としてまたひとつ大事なことに気づけた気がする。


命を繋いできてくれたからこそ
僕はこの世に生まれてくることができた。


こんなこと今まで真剣に考えた事は無かった。
おばあちゃん最後に大事な事を教えてくれて
本当にありがとう。







おばあちゃん。おばあちゃんからももらった、
僕の残りの人生、残りの時間を
大切に使わせてもらうよ


ようやくおじいちゃんとはつみと
そっちで会えるね


ゆっくり休んで
天国から見守っていてね





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[番外編] 結局は

今回は母の闘病記ではなく、
リアルタイムの出来事を書きます。


一昨日、祖母(母方)が他界しました。
96歳でした。



僕が生まれる4ヶ月前に祖父は他界して
祖母はそれからずっと広い家に1人で住んでいました。


と言っても叔父家族が隣に住んでいて
我が家からも徒歩30秒程度なので
何かあればすぐに祖母の所に行ける環境でした。


祖母は、僕ら孫達をいつも見守ってくれていて
どんな時でも優しく包み込んでくれるそんな存在でした。

ですが、ある日、祖母が1人で
庭を散歩している時、脚の骨を折りました。


これがきっかけで、苦渋の決断ではありましたが
話し合いを重ね、87歳と年齢も年齢であり、
目が届かないときに何かが起きてしまっては
遅いからと、老人ホームに入居してもらうことに
なりました。


母が生前の頃は、僕は母と一緒に
頻繁に老人ホームに会いに行っていましたが、
母が入院してから今日まで約9年、
祖母には1度も会いに行かず、
今日冷たくなった祖母と
9年ぶりの再会をしました。


祖母の遺体を見て
「あ~こんな顔をしていたな。
おばあちゃんずっと会いに行かなくて
本当にごめんね・・」と話しかけました。


母が亡くなってから、
何度か会いに行こうかと
思いましたが


祖母に会って母の事を聞かれたら
どう答えればわからない。


祖母が母が亡くなった事を知れば
ショックを受け、下手をすると
ボケてしまったり、衰弱してしまうのではないか?


などといろんなことを考え、
この9年間ずっと会いに行けませんでした・・。


ですがそんなのは、きれい事でしかない。
要は僕は「祖母を傷つけたくない」という事を
言い訳にしていただけなのです。


結局は


自分が傷つきたくなかっただけ・・。



「実の娘(=母)が亡くなった事実を告げること」



「それを聞いてショックを受ける祖母の姿」



そんな辛い現実から逃げて、自分が傷つくのが怖かっただけなのです・・。


僕は最低なやつです・・。


僕は一生後悔するでしょう・・。


自分を守った事を・・。


おばあちゃんごめんね・・。


はつみ、天国でおばあちゃんに会えたかな?

これからはおばあちゃんも一緒に天国から見守っていてね?




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希望に満ち溢れた母、絶望に堕ちた僕

突然の悪夢の告知から数時間後、
今度こそ手術が終わるとのことで、
僕ら家族は先に9階の病棟に案内された。


僕は9階のロビーで、
ただただ途方に暮れていた。

重苦しい空気の為、
父も兄も誰一人口を開かなかった・・。


そして看護師さんから
まもなく母が病室に来ると案内された。


僕ら3人は母に


「末期の癌であること」


「残り時間が残されていないこと」


を絶対に気づかれないようにしようと、
急にスイッチのようなものが入った。




それは言葉にせずとも
もはや暗黙の了解であった。


そしていよいよ看護師の方が
「今からエレベーターに乗って帰ってきます」
と告げに来て、
僕らは急いでエレベーター前に向かった。


僕は


(絶対にはつみにバレちゃいけない)


(普通だ!普通に迎えるんだ!)


(冷静に、冷静に!)


などと「平静を装うんだ!!!」と自分に言い聞かせ
エレベーターの階数表示を見ながら考えていた。


そして5⇒6⇒7⇒8となった時
僕の心臓はバクバクいっていた。


そしてエレベータが9階に着いた。


エレベーターの扉が開き、
ストレッチャーが出てきて
母と目があった時


母は開口一番
「ただいま~生きて帰ってきました!!」


と満面の笑みで
話しかけてきた。




僕はその瞬間、
自分の抑えていた感情が一気に爆発して
涙が一気に溢れてきた。


唇を噛みしめて
湧き上げる悔しい気持ちを抑え
心の中で


(違うよはつみ、はつみはもう死ぬんだよ、もう手遅れなんだよ)


と叫んだ。

母だけは治った気でいた。
というのも



先生から余命宣告を受けた時、
母には「人工肛門にはなるが、手術は成功した」と告げますと
先生から言われ僕らは了承した。


母一人だけが
今後に希望を持っていた。


それが余計に辛くて
母は希望に満ち溢れていて、
反対に僕は絶望に堕ちていった。


あんなに嬉しそうに
太陽のような満面の笑みを見たら
余計に母が恋しくなった。


「死んでほしくない」


「生きてほしい」


「癌が治ってほしい」


「もっともっと一緒にいたい」


「親孝行したい」


僕は落ち着こうとすればするほど
涙が止まらなくなった・・。


病室に着いて、母は父と兄と話した。
2人はしっかりと冷静を装い母と話していた。


僕はカーテンの裏に隠れ、


(落ち着くんだ)


(堪えるんだ)


(はつみに気づかれないようにしなくてはいけないんだ)


など一生懸命、
涙を止めようと鼻を摘まみながら
気持ちを落ち着かせようとした。


すると母が「ゆうじは?」と父と兄に聞いた。


父「あ~ゆうじは手術が終わってホッとして泣いているんだよ」


母「ゆうじ、顔が見たいからこっちへ来て」


僕はその瞬間、また一気に泣いてしまった。


母「どうした?もう終わったから大丈夫だから。先生が無事に手術終わったって聞いたろ?」


「ごめん・・。」


母「なんでおまえが謝る?」


僕は何も言えず泣きじゃくり、うつむいていた。


すると見かねた父が


「今日一日ずっと緊張しっぱなしだったから、緊張が一気にほどけたんだよ」


と母に気づかれないように、
すぐさまフォローを入れてくれた。


母はそういうことかと納得して、
僕に顔を見せてといい、
僕はベットに寝ている母の横で
膝をついた。


母は両手で僕の頬を触って


「もう大丈夫だから^^」


と言って励ましてくれた。


僕はまた泣いてしまった。


今振り返っても僕はこの日から母が亡くなって2、3ヶ月後まで
毎日、しかも一日何回も泣いていた気がする。




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覚悟決めてください

母の手術が始まり、時間にして
1時間ぐらい
たった頃、父が合流した。


父は兄から一連の経緯を聞き、
父もまた安堵した様子だった。


予定では手術は2、3時間で終わるとのこと。


僕はその間、兄と談笑したり、
母が入院中、学生の僕が家事をやらなければと思い、
自分なりに頭の中で家事についての予習、復習をしていた。


幸い、今日は2008年12月22日。
明日から大学は冬休みなので、
母のお見舞いと家事に専念できる。


母の入院中の生活に不安はあったものの、
料理が得意な父はいるし、家事も母から教えてもらっていたので、
「なんとかなるだろう」ぐらいに考え


母の体調、病気については
一切の不安、疑問は持たなかった。


そして手術から2時間ぐらいたった頃、
僕ら家族の元に看護師の方が来た。


看護師の方は笑顔で
「手術が終わりましたので、ご家族の方はこちらへどうぞ」
と案内してくれた。


この時、看護師の方は間違いなく
「手術は終わった」と僕ら家族に告げた。


僕らはその言葉に何の疑問も持たず、
というか疑問を持つはずもなく、
「予定より早く終わったね^^」
などと一様に安堵し、母の元に向かった。


しかし、すんなり母に会えるのかと思いきや
手術室の前には来れたものの、
なぜかまたロビーで待機することとなる。


そしてそこで2、30分程度待たされた後、
先程の看護師の方が、僕らの元にまた現れた。


しかし先程とは打って変わって神妙な顔だ。


(あれ?さっきと様子が違うけど、どうしたんだろ?)



すると看護師の方は、、暗いまま



「先生からお話がありますので、こちらへどうぞ」
と僕らを案内した。


(なんだろう?さっき手術は終わったって言っていたのに・・)



僕らは訳が分からず、
言われるがまま小さな部屋に案内された。


パイプ椅子に3人が横並びになると横幅の余裕はない。


目の前には白い机。


すると奥から小太りの先生が現れた。


先生もまた神妙な顔をしている。


僕はこの瞬間、悟った。



「只事ではない」と。




しかしそれは僕の予想を遥かに上回る





最悪の、衝撃の知らせだった。
















「手術はまだ終わっていません。









奥さまのお腹を開けたら癌細胞が見つかりました・・。








S状結腸癌です。







悪性です。









末期です。








持って3ヶ月。







抗がん剤が効けば、半年は持つと思います。









覚悟決めてください。」








訳が分からなくなった。






先生の口から怒涛の悪夢の知らせが
告げられ、混乱した。






状況が呑み込めなかった。





(なんだよそれ、さっき手術終わったって言っていたじゃねーかよ)





(覚悟ってなんだよ・・・)





(ただの腹痛じゃなかったのかよ)



(え?はつみ死んじゃうの・・?)




いきなり突き付けられた
母との別れが近いという現実。


ただの腹痛と思っていたら


母の命はもう手遅れという事実。


突然突き付けられた
母と過ごせるのはあとわずかな時間しか残されていないという現実。





僕は本当に訳が分からなくなり、



気持ちの整理ができず、



ただただ混乱した。



先生からの突然の




あまりにも残酷な知らせは




21歳の僕には到底受け止められるはずもなかった。




実感が沸かないというか



僕を本当に混乱させた・・・・。






兄は母から摘出した癌細胞を見てショックを受けたのか
めまいを起こし車椅子に乗せられた。



でもそんな中でも父は冷静だった。
先生からの告知を冷静に聞いていた。
あの時の父の横顔ははっきりと覚えている。



その後、先生から



便が体内に詰まっているため、それを出すために
この後、人工肛門の手術を行うので、
再度ロビーで待機しているよう言われた。



その頃には僕はもう放心状態だった。



突然突き付けれられた、予想を遥かに上回る
残酷な現実に、もはや涙すら出てこなかった。



この日僕ら家族は絶望へと堕ちていった・・。




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