20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

僕は21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験や想いを書きます。 このブログが一人でも多くの方の心に届いて 心の宿り木のような存在になってくれると嬉しいです。

2017年09月

両親を癌で亡くした僕が経験した出来事を書きます。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

緊急入院、緊急手術

次の日の朝になると母は
多少動けるようになっていた。


検査の結果が出るのは
明後日なので、僕ら家族は母を家に残し、


父は仕事に行き、兄は昨晩からの夜勤、
僕は朝から大学へとそれぞれ自分の予定通りに行動した。


母の事を気にかけつつ、
大学内で過ごしていた。
そしてあれはたしか午後の講義が始まって
すぐだった気がする。


講義中に突然兄からメールが来た。


(あれ?こんな時間にメールって何だろう?)


僕はメールをすぐ開いた。




すると・・




「母ちゃんが手術することになった。母ちゃんがゆうじにも来てほしいって。帰って来れる?」





僕は一気に心拍数が上がった。



(どういうこと?検査の結果は明後日じゃ?なんで手術?)


僕は訳が分からなくなり、シーンとした教室から抜け出し、、
すぐに兄に電話した。


「どうしたの?なんでいきなり手術?はつみ(=母)は大丈夫なの?」


「うん。またお腹痛くなって〇〇医院に行ったら、
すぐに病院に行けって言われたんだってさ。
でも今は落ち着いているから安心して。
で先生が手術になるから家族にも立ち会ってほしいってことで俺が来てる。
父ちゃんにも連絡したら早退するって。
で母ちゃんがゆうじにも来てほしいって言っている。
帰ってこれる?」


「うん。すぐに帰る。電車乗ったらまたメールするね」



僕は兄から朝からの経緯と、
現時点では母が落ち着いているという
言葉を聞き、一安心した。


そして大学から駅まで猛ダッシュした。
普段なら歩いて15分はかかる通学路を
こういう時はやっぱり人間、底力が出るのか
ものすごい速さで駅に着いた気がする。


そして病院に着き、兄と合流した。
なんとか手術前に間に合った。
すぐに母の所に行くと、


母は僕の顔を見るなり、嬉しそうに


「あ!ゆうじ!来てくれたのね^^」


と笑っていた。


兄の言った通り、僕の目の前には痛みが無さそうな
元気な母がストレッチャーに寝ていた。


兄が先生から受けた説明では、
見た感じだだと手術すれば治ると。
ただし術後1、2週間入院は必要だとのこと。


命の危険はないと言われ、
安心したのと同時に
専業主婦の母が家にいない生活は初めてになるので
家事が心配だと気になった。


そして母の手術までにまだ時間があるとのことで、
母と兄から今日の出来事を聞くと偶然が重なったと
口を揃えて教えてくれた。


兄は夜勤中で、本来なら会社に泊まる予定だったが、
仕事が早く終わり、家に帰って来て寝ていた。


母は僕が出掛けた後、お腹が痛くなり
〇〇医院に行って、診てもらったところ、
たまたま叔母さんも診察に来ていて
叔父に電話し、車で迎えに来てもらった。


家に一旦寄り、寝ている兄を起こし、
兄も同伴の元、叔父の車で病院まで送ってもらえた。


「もし一人だったらこんなにスムーズに
病院に来れていない」


と母は偶然の出来事に感謝するように
僕に話してくれた。


そうこうしているうちに、
いよいよ手術の準備が整った。
エレベーター前で、一旦別れることになった時、


母は突然僕の手を握りしめ、口を真一文字にし、
強がるような表情で


「ほな!ひょっとするとこれが最後の会話になるかもしれない。」


と僕らに向かって言ってきた。


先生から僕と兄と叔母は命の危険は無いと聞いていたので笑った。


「ばーか 先生が手術したら治るって言っていたじゃん(笑)
次会うときはこのお腹の痛みから解放されているよ^^」


「そうだよね^^では行ってきます」


と僕らの余裕な態度に安心したのか


手を振りながらエレベーターに乗り、手術室へと向かった。


僕はこの時、これで母は腹痛から解放される、
これで元の母に戻れると信じて疑わなかった・・。


しかし


この数時間後、僕と母の立場は逆転することとなる・・。




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突然の腹痛

親戚の披露宴から帰宅した母は


「ゆきちゃんとっても綺麗だった^^」


「とっても幸せそうだった^^」


と嬉しそうに僕らに
今日の出来事を教えてくれた。
そんな母を見て僕も
とても嬉しかった覚えがある。


しかしその翌日から
僕らの環境は、生活は一変する。


今にして思えば、
この日が我が家にとって
家族4人で過ごした
最後の穏やかな夜だったのかもしれない・・。


僕はこの数日後、
高校の時の友達と
人生初めてのオールナイト、
つまり夜から朝方まで遊ぶ予定を入れていた。


余談になるけれど、
我が家は男兄弟にも関わらず、
子供の時から門限が
中学生の時は部活や塾が無ければ、17時半。
高校生の時は、18時半。
大学生だった当時は19時だった。


我が家は超が付くほどの過保護で
僕は馬鹿みたいにきちんと守っていた。


なので今回は事前に母に交渉し、
やっとの想いでオールナイトの許可をもらい、
ずっとその日を楽しみしていた。


しかし・・。


翌日になると母は突然、
極度の腹痛を訴えた。


だが僕ら家族は
母が元々体が弱いということもあり、
「いつものことだ。心配ない」
と軽い程度にしか思わなかった。


しかしいつもなら翌日になれば、治るのに
今回はいつになっても体調が戻らない。


だがそれでも、まだ僕ら家族は
「時期に治る。心配ない」
と危機感など全く持たなかった。


そんな僕ら鈍感な家族であったが、
ようやく初めて
「今回のはちょっと様子が変だぞ?」
と危機感を覚える出来事が起きる。


その日の夜は、父が僕らの為に
夕飯にキッチンで
とんかつを揚げてくれていた。


すると突然、リビングで休んでいた母が
鼻を抑え、もうスピードで2階に駆け上がって行った。


父と僕は何事だと心配になり、
急いで母を追いかけた。


僕「どうしたの・・?突然」


母「ごめん・・臭いがきつくて・・・」


僕「臭い?何の・・?俺全然しなかったよ?」


母「わからないけれど、我慢ができなくて・・」


父「様子が変だな、明日〇〇医院に行こう」


僕は母がこんな状況の時に
オールナイトなどしている場合ではないと
オールナイトは延期すると伝えた。


「ごめんね・・楽しみしていたのに」


「良いよ!また体調良くなったら皆に頼むからさ^^」


こんな時でも自分の事より、
僕の事を考えてくれて
なんだか申し訳なかった。


この時の母の顔も覚えている。


そして次の日、
〇〇医院に父が車で連れて行った。


僕は母が大きな病気だったら怖いと
自分が傷つくのが怖くて
家で留守番をしていた。


〇〇医院には母と兄と僕の3人、
20年以上診てもらっていた。
とても信頼できる先生がいる町医者だ。


その中でも母は糖尿病に、
高血圧を患っていた為、
週一回必ず通院していた。


診察が終わり、家に帰って来たとき、
駐車場に車を入れる音がしたので、


張り裂けそうなぐらい心配で
外に出て車の中の母に目をやると、
ものすごく激痛に襲われ、
苦しんでいる母が見えた。


そこで僕はようやく事の重大さに気づく。
「これは只事ではないと・・」


僕は運転席から降りてきた父に
「何だった?何の病気?」と
問い詰めるように
たくさん質問をした。


「まだわからない。明後日、今日の検査の結果が出るから
また明後日来てくれと。とりあえず母ちゃんを早く家の中に」

とりあえず父の言う通り、
母を家の中に入れ寝かせた。


しかし僕の不安は募るばかりだった・・。




そしてこの翌日僕ら家族は
絶望の底に突き落とされることとなる。





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最後の外出

親戚の披露宴は
赤坂のホテルで行われた。


母は1人では道がわからないから
一緒について来てほしいと
披露宴が決まった時から
僕にお願いしていた。


僕は快く受け、
当日は約束通り、
母と一緒に電車で向かった。


しかしこれが
母との最後のお出掛けになった。


この時はこれが
最後の外出になるなんて
思いもしなかった・・。





当時僕は20歳だったということもあり、
母と一緒に出掛けることはあったけれど


母親と一緒に出掛けている所を
他人に見られたくなかったので


電車で出掛ける際は
同じ車両には乗るけれど、
わざと離れた位置に乗っていた。


しかし何故かこの日は違った。
母の隣に座った。
しかも自分から母の隣に座った。


8年立つけれど、あの日のあの車内の光景は
今でもうっすらと覚えている。


何を話したかは全く覚えていないけれど、
ずっと2人で笑っていた気がする。


この2週間後、癌が見つかり、
余命を宣告されるのですが、
この時は母は元気だったので、


「これが母と一緒に乗る最後の電車」
とわかっていたならわかるのですが


あの時の僕は何故母の隣に座ったのか
しかも普段は頑なに、
あえて離れた場所に乗っていた僕が


何故母の隣に自分から座ったのか
未だに不思議です。
まるで僕も母との最後のお出掛けになると
わかっていたような・・。


ですが、こうしてはっきりと最後のお出掛けを
覚えられているのは幸せなのかなと
時間が立つにつれ、感じます。


「あれ最後どこ行ったっけ?」
と思い出せなかったり


「行った場所は覚えているけれど、あの時どんな感じだったっけ?」
などと、あいまいにしか記憶に残っていなかったら

なんだか後悔や、モヤモヤしたような気分だけが
残る気がして・・。

そう考えると自分は幸せなのかもしれないと思います。
まあ自己満足ですが(笑)


だからこそ、やはり目の前の
「この瞬間を大切に、大事に過ごそう!」
と思うのです。


それが大切な人との時間であればあるほど。


どんな人とでも必ず別れは来ます。


残された側になった時、
必ずその人との「時間」が、「思い出」が
自分の中の悲しい気持ちを救ってくれます。


ひとつでも記憶に残る


瞬間、時間、思い出を


過ごしたいなと思います。

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遺影にしてね・・

母の無言のSOSから1ヶ月。
あの翌日から母の体調は
すっかり良くなった。


この日は親戚の披露宴。
母だけ招待され、
母はこの日を楽しみにしていた。


父と兄は仕事で、当時学生だった
僕は午後からアルバイトだった。


母は正装し、僕に家の前で写真を撮ってほしいと頼んできた。
そして家の玄関前で2枚写真を撮った。


写真を撮り終え、
庭を一緒に歩いていると
突然前を歩いている母が


「私になにかあったらこの写真を遺影にしてね」


あの時の母の言葉、
母の背中は今でも忘れない。


母はこの1ヶ月普通に元気だったので、
僕は冗談を言っているのだと思い


「平均寿命よりは生きれないとしても75ぐらいまでは生きるとして
何十年前の写真を遺影にするんだよ(笑)」


とツッコんだ。
母は無言だった。



本当はわかっていたんだよね・・。
もう手遅れな状態だと・・。
俺に心配かけないようにと。



ごめんねこんなに近くでずっと居たのに
気づいてあげられなくて・・・。



この2ヶ月後、この時撮った写真は
母の言う通り遺影となった・・。




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母からのSOS

母の異変を感じたのは
忘れもしない


2008年11月9日の事だった。


その日は僕の21歳の誕生日。
結局これが母と過ごした
最後の誕生日となった。


僕はプロ野球の
西武ライオンズの大ファン。


兄はプロ野球の
読売ジャイアンツの大ファン。


この年両チームはリーグ優勝し、
日本シリーズで対戦した。


そしてこの日は
勝ったチームが
日本一になるという大事な日。


日曜日ということもあり、
いつものように父、母、兄と4人で
テレビで野球見ながら
晩御飯のしゃぶしゃぶを食べていた。


週末のいつもの光景。
しかし母の異変はすぐに起こった。


食べている途中で
突然吐き気を催し、
食べるのを止め、
流しで嘔吐を繰り返した。


僕は食事中だった事、
テレビ観戦の邪魔をされたことに腹を立て
苦しんでいる母に
つい酷い言葉をかけてしまった。


「うるさいな!食事中だぞ」


「ごめん・・。鶏肉に当たったのかも」


僕はその時その言葉を鵜呑みにし、
ただの一過性の食あたり程度にしか
思っていなかった。


母はその後2階の寝室で横になった。
その時には僕も冷静になり、母の代わりに
食器洗いと洗濯をした。


ちょうど母の寝室の前の部屋で
洗濯を干していると
襖の奥から


「ゆうじ、ごめんねせっかくの日本シリーズの時に・・。」


「気にしないで良いよ」


「西武勝つと良いね。でもそうするとお兄ちゃんが怖いか(笑)」


「うん。でも今日は誕生日だし絶対に西武が勝つよ!おやすみ」


そして試合は西武が日本一になった。
僕は嬉しくて2階の母の所に向かい、襖越しに


「はつみ(母)起きてる?西武勝ったよ!!!!」


「起きてるよ。良かったね。良い誕生日になったね」


「ありがとう!体調どう?良くなった?」


「うん。もう大丈夫だから、下に行ってスポーツニュース見て来な」


「良かった!おやすみ」


「うんおやすみ」


この時の僕は、
本当にただの一過性の
食あたりとしか思っていなかった。


しかしこれが母の
初めての異変で、母も気づかない
「母からのSOS」だっただなんて知る由もなかった・・・。



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