兄との電話を終えると
僕は父の待つ処置室へと戻った。
処置室に戻ってからも
しばらくはベットが空かず
先程と同様に待機を余儀なくされた。
しかしちょうど入り口付近に待機していたため
先生や看護師さん達が頻繁に出入りしていた。
会話をしたいが人通りもまあまああるし
他の方の迷惑になる思い
僕も父も静かに待っていた。
そしてそうこうしているうちに
ようやくベットが空いた。
父は車椅子からベットに移動した。
特段検査をしただけなので
僕の助けを借りるわけでもなく
自力で移動した。
看護師さんから次の指示があるまで
ここで待機するように言われた。
カーテンを閉め、
ようやく父と二人だけの空間。
父も朝からの緊張が取れたのだろう。
穏やかな表情に戻った。
やはり僕も父もどこか周りの目を気にしたり
見えない緊張があったのだと思う。
なんだかようやく
”リラックスした時が流れた気がした”
父はニコニコして僕に兄の様子を聞いた。
僕も父に笑顔で答える。
ここは処置室だけれど
いつもの日常の空間に戻ったような
心が本当にホッとしたのを覚えている。
そして僕は父に癌の疑いがあるのを隠しつつ
父を励まそうと声をかけた。
「病院来て良かったね、どれくらい入院するのかわからないけれど…」
励ますつもりが言葉が続かなかったのを
今でも覚えている。
この時の僕は物事を悪い方向にしか
考えられなかったから…。
このまま母の時と同様に
入院してどんどん悪化して
またこの病院で最期を迎えるんだ…。
僕はこの時はっきりと
こう思っていた。
でも父は違った。
父は嬉しそうに生き生きとした表情と声のトーンで
僕にこう言った。
この日は2016年2月3日。
母の命日は2月2日。
母の命日の翌日だ。
「昨日ははつみの命日だ。こんな偶然は無い」
父は本当に嬉しそうな顔をしていた。
そしてこう続けた。
「母ちゃんが、はつみがきっと守ってくれたんだ^^」
僕はこの言葉を聞いて号泣した。
父は自分がこんな状況にもなったにもかかわらず
母に自分の事を守ってくれたと感謝をしている。
反対に僕は父がこんな状況になったのは
母が父を守ってくれなかったからだと責めてしまった。
そんな自分が情けなくて母に申し訳無くて
母の事を責めてしまった自分にやり場のない怒りを感じた。
そして何より今もこうして
父が母の事を信頼している事
父が母の事を愛している事、
今もこうして深い所で
両親が繋がっていてくれている事が
嬉しくて嬉しくて溜まらなくなった。
両親の深い愛を改めて感じたし
改めてこんな素敵な両親の子供で幸せだと思った。
でもそうした想いと同時に
何故29歳という若さでこんなに大好きな両親と
別れなければならないんだと
やり場のない怒りを感じて
僕は声を出さないように
手で何度も何度も涙を拭った。
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処置室に戻ってからも
しばらくはベットが空かず
先程と同様に待機を余儀なくされた。
しかしちょうど入り口付近に待機していたため
先生や看護師さん達が頻繁に出入りしていた。
会話をしたいが人通りもまあまああるし
他の方の迷惑になる思い
僕も父も静かに待っていた。
そしてそうこうしているうちに
ようやくベットが空いた。
父は車椅子からベットに移動した。
特段検査をしただけなので
僕の助けを借りるわけでもなく
自力で移動した。
看護師さんから次の指示があるまで
ここで待機するように言われた。
カーテンを閉め、
ようやく父と二人だけの空間。
父も朝からの緊張が取れたのだろう。
穏やかな表情に戻った。
やはり僕も父もどこか周りの目を気にしたり
見えない緊張があったのだと思う。
なんだかようやく
”リラックスした時が流れた気がした”
父はニコニコして僕に兄の様子を聞いた。
僕も父に笑顔で答える。
ここは処置室だけれど
いつもの日常の空間に戻ったような
心が本当にホッとしたのを覚えている。
そして僕は父に癌の疑いがあるのを隠しつつ
父を励まそうと声をかけた。
「病院来て良かったね、どれくらい入院するのかわからないけれど…」
励ますつもりが言葉が続かなかったのを
今でも覚えている。
この時の僕は物事を悪い方向にしか
考えられなかったから…。
このまま母の時と同様に
入院してどんどん悪化して
またこの病院で最期を迎えるんだ…。
僕はこの時はっきりと
こう思っていた。
でも父は違った。
父は嬉しそうに生き生きとした表情と声のトーンで
僕にこう言った。
この日は2016年2月3日。
母の命日は2月2日。
母の命日の翌日だ。
「昨日ははつみの命日だ。こんな偶然は無い」
父は本当に嬉しそうな顔をしていた。
そしてこう続けた。
「母ちゃんが、はつみがきっと守ってくれたんだ^^」
僕はこの言葉を聞いて号泣した。
父は自分がこんな状況にもなったにもかかわらず
母に自分の事を守ってくれたと感謝をしている。
反対に僕は父がこんな状況になったのは
母が父を守ってくれなかったからだと責めてしまった。
そんな自分が情けなくて母に申し訳無くて
母の事を責めてしまった自分にやり場のない怒りを感じた。
そして何より今もこうして
父が母の事を信頼している事
父が母の事を愛している事、
今もこうして深い所で
両親が繋がっていてくれている事が
嬉しくて嬉しくて溜まらなくなった。
両親の深い愛を改めて感じたし
改めてこんな素敵な両親の子供で幸せだと思った。
でもそうした想いと同時に
何故29歳という若さでこんなに大好きな両親と
別れなければならないんだと
やり場のない怒りを感じて
僕は声を出さないように
手で何度も何度も涙を拭った。
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コメント
コメント一覧 (10)
セザールさんこんにちは^^
お母様の誕生日おめでとうございます!僕も昨日のお母様の誕生日は仕事に行く前に母の仏壇の前でお母様に向かって心の中で「お誕生日おめでとうございます!」とお伝えしました^^
セザールさんの言う通り、一人だけ残らなくて良かったです。この歳で両親はいませんが兄が居てくれた本当に良かったです。兄の存在が本当に心の支えになっています。自分で言うのも変ですが兄弟仲がとても良いのである意味、親友みたいな感じというか絆が強いのでこれも両親が兄にも僕にも均等に愛情を注いでくれたおかげだと思っています^^
僕もセザールさんの新年号が平成以上にたくさんのご多幸とご健康をお祈りしています^^新年号になっても引き続き気にかけて頂けたら嬉しいです^^
セザールさんこんにちは^^
そんな風に思って頂けて本当に嬉しいです。ちょうど先日、厳しい指摘のコメントを頂いて僕のブログのせいで誰かを不快にさせてしまっているのかもしれないと落ち込んでいたのでいつも以上に励まされました>< こちらこそいつも気にかけて下さって本当に嬉しいです。ありがとうございます!
はじめまして。初めてのコメントありがとうございます。
3年前にお母様を亡くされたのですね。「周りにとっての3年と私にとっての3年は全然違くて誰にも言えなくなってしまいました。1人で涙する日々です。」←凄くこの気持ちわかります!!
僕も母を失って毎日ピーピー泣いて、兄にウザがられて、余計に自分の気持ちに感情に蓋をするようになって辛かったので、旦那さんの前で泣いてちょっとウザがられてしまうあなたの辛さがよくわかります。本当に辛いですよね…。月日が経てば経つほど余計に恋しくなって、もう二度と会えない、声も聞けないと思うと恋しくて、会いたくて堪らなくなります。僕もあなたと一緒で10年立った今でも本気で母の事を考えたら涙が溢れてきます。だから今のままで良いと思います。お互い泣きながら進んで行ったって良いと思います^^
お返事ありがとうございます。とっても嬉しいです。この4年の間に祖母、父、母、祖父を亡くしたのでメンタルやばかったです。その時まだ3歳の娘がいて無理矢理にでも毎日を精一杯過ごしてきました。ゆうじさんも両親亡くされてるんですよね。なかなか両親亡くしてる人に出会えないですよね。きっとこの思いは一生なんでしょうね、、。
返信が遅くなり申し訳ありません。
4年の間にそんなに立て続けに大事な人達と死別されていたとは…。
僕も経験者なのでわかりますが本当に辛くて悲しい日々を過ごされてきましたね…。辛くて悲しくてメンタルがボロボロな中、自分の事でも精一杯な状況にもかかわらず。当時3歳の娘さんの育児や家事に追われ言葉では言い表せられない、もっと言えば僕からは正直想像もできない日々に感じます…。
僕はただただ悲しむだけで自分の事で精一杯でしたから…。
僕も周りに両親を亡くしている人はほとんどいません。自分より20歳以上離れている方でも両親が健在であったり、どちらかとは死別しているもののどちらかは健在という方がほとんどです。ずっとこの思いは消えないですね…。間違いなく…。
セザールさんありがとうございます。ただ自分を正当化してしまったら成長は無いので、厳しい指摘の中からも自分の至らない点や反省点を見出して今後に繋げていきます^^
このブログが一人でも多くの方の心に届くように…。