就職して約2年半が過ぎた頃
僕はようやくこの仕事に慣れて来た。


調理がなかなかうまくできなかったが
異動した3店舗目で事実上の
夜の責任者を任されたことで
嫌でも調理をしなければならない環境になった。


僕は臆病者でなかなか
一歩目が踏み出せないタイプ。


自己評価が低いので
やる前から「自分にはできない」と
決めつけてしまうタイプ。


だからこうやって嫌でも
調理をやらなければならない環境が
自分を成長させるには打って付けだった。


先程も言ったが夜の責任者の立場の為
毎日17時か18時から出社し
翌朝5時の始発に乗って帰ってくる生活が
約1年続いていた。


家に帰りお風呂に入り、
お風呂を出たぐらいに
ちょうど仕事に行く兄が起きてくるというのが
いつもの流れだった。


父はというと定年を迎えた為
家にずっといた。


当時僕は25歳。
父と僕はちょうど40歳差。


父は4時には起床していた。
下手をすると夜中の2時に
起床している事もあった。


その為、僕はいつも仕事が終わって
始発の電車に乗ると
父に


「今から帰る」


と必ずメールをしていた。



すると父からはすぐに


「了解」


とだけ返信が来た。


お店が暇な日などは4時過ぎには
仕事が終わる事があり
始発待ちまで40分待ちしなければ
いけないこともあった。


その為、仕事明けで休みの日などは
早く家に帰りたいので
タクシーで帰る事もよくあった。


そんな時も自分の都合で遠慮なく
「今から帰る」とメールを送ると
すぐに返信が来た。


そして家に帰ると
僕の帰宅時間を逆算して
湯船にお湯を溜めてくれていて
お風呂を出る頃には
出来立ての焼き魚と
炊き立てのご飯をいつも
用意してくれていた。


まさに至れり尽くせりというやつだ。



そして僕にご飯を用意してくれた後は
会社が辺鄙な場所にある兄を
車で片道1時間かけて
送って行くというのが度々あった。


定年当初は平日だと
道路が混んでいるからという理由で
兄は車での送迎を断っていた。


父は兄に車での送迎を断られると
いつもしょんぼりしていた。


車を運転する気満々だったのが
兄に断られることで
一気にやる事が無くなってしまうから。


インドア派の父の数少ない趣味でもある
車の運転は調理同様、
父がとても生き生きとする
瞬間でもあった。


兄もそんな父を見かねてか
徐々に平日も送迎が増え始めて来た。


父が毎日嬉しそうだったのを覚えている。
僕も仕事明けで休みの日は
朝ご飯を早く食べた後
助手席に座って同乗していた。


そんな時は僕はいつものように
母の仏壇に行き
母の遺影を持って


「はつみ久しぶりに4人でドライブだ!(遺影の中に)入って!」


と母の遺影と共に
車に乗り込んだ。


僕と兄は
たくさん愛情をくれた母が居なくなってからも
父から母の分までたくさんの愛情をもらっていた^^





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