東日本大震災が起きた日、
僕は休みだった。


明くる日、電車は動いていたものの
5つ先の駅から終点までの
折り返し運転のみ行っていた。


当日の早朝ようやく店舗に電話がつながり
昼の12時から来るように言われた。


僕は自転車でその駅まで行くことにした。
しかし僕は方向音痴。5つ先の駅まで
自転車で行ったことがなかった。


基本的には線路に並走していけば
着くのはわかってはいたが
途中何度か線路から離れて
走らなければならない。


そんな僕の方向音痴を心配してか
この日も休みだった兄は
僕から頼んだわけでもないのに
兄の方から一緒に着いて行ってあげると
5つ先の駅まで一緒に
自転車で道案内してくれることになった。


兄のおかげで最寄りの駅まで無事に着き
なんとか言われた時間に出社することができた。


だが店舗がある最寄り駅に着いた時の衝撃は
今でもはっきりと覚えている。


出社した時間帯だと
普段であれば人が溢れているのに
閑散としている。


当時僕が勤めていた店舗は
超有名なターミナル駅だ。


普段なら深夜にならない限り
一日中ずっと人が溢れている街だ。


それにもかかわらず、店舗周辺には
目視で数えられるぐらいの人しかいない。


そんな異様な光景を目の当たりにして
戸惑いを隠せないまま所属先の店舗に出社した。


僕が勤務していた店舗は
24時間営業だった。


しかし前日の地震で電車が止まり
駅に人が溢れ、家に帰られない人、
いわゆる帰宅難民の人達の為に
16時頃からお店は営業を再開したらしい。


夜中の1時、2時になっても
100人前後の人が来て
朝方にはとうとう食材が無くなって
営業ができくなり閉店したとのこと。


その為出社した時には
電源を切ってある入り口の自動扉を手で開け
暗い店内に入った。


もの静かな店内。
僕には異様な光景に感じた。


1階はお客様のホールのみで
2階に厨房と事務所のみがある。


恐る恐る2階に上がると
疲れきったというか
力を出し切った店長がいた。


挨拶をして昨日の店舗の状況など
店長に聞かされた後、店長に


「なんで昨日来なかったんだ?店は大変だったんだぞ」


と嫌味っぽく言われた。


そして続けざまに


「歩いて3時間でもかけて来なくちゃダメなんだ」


と説教を受けた。


僕は店長の言葉を受け
呆気に取られたものの
とりあえず謝った。


しかし心の中では
納得も反省もできなかった。


僕はその事を帰宅して
父に何気なく話した。


僕の中ではただの愚痴というか
共感してほしいなあ、程度に思って
父に話した。


だが普段温厚な父が
珍しく声を荒げた。


「そこまでする必要はない!もし昨日おまえが行こうとしたのなら父ちゃんは止めた」



予想外の父のリアクションと
普段見せない父の姿にドキッとした。



「そんな会社辞めてしまえ」



僕は父の口から出たその言葉に
言葉を失った。


「そこまで会社に尽くす必要はない。」


「他にも会社はいくらでもある」




普段は父も兄もしっかりと会社に勤めていて
言葉にしないものの、しっかりと働け!という
無言の圧のようなものがあった。


最も、2人からのその圧のおかげで
僕はフリーターにもならなかったし
当時まだ1年は立っていないけれど
父と兄が立派に勤めているから
自分も頑張らなければと
この会社で頑張って来れた。


ある意味ひとつの
原動力のようなものだった。


そんな父の口から出た
「そんな会社辞めろ」という言葉。


軽い気持ちで言った僕は
身震いした。


でも僕の中では
答えは出ていた。



そうそれは入社直前に父からもらった
僕に対してのエール。


3年やらなければその仕事があっているかなんてわからない


先程も言ったようにこの時の僕は
まだ1年目も立っていなかった。


それにこの当時ちょうど4月から
僕と同じように新卒として採用された
一つ下のかわいい後輩が入社前に
アルバイトとして入ってきたので
僕はそのかわいい後輩と一緒に頑張りたいと思っていた。


だから僕は心配してくれた父に対して


「もう少しこの会社で頑張るよ。まだ1年も立っていないし^^」


と返事をした。


すると父はそれまでの険しい顔から
普段の穏やかな感じで


「わかった」


とだけ答えてくれた。



僕の事を真剣に考えてくれて
僕以上に怒ってくれた父に対して
僕はより父の事が好きになったのを
覚えている。



頭ごなしに「まだ頑張れ」というわけではなく
僕の事も思って道を変えるのもありだと
僕の意思を尊重してくれたことが凄く嬉しかった。




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