僕が生まれる前だったり物心つく前は
父は度々、出張に行っていたらしいが


僕が物心ついてからは
兄と僕が修学旅行に行った時や
兄が仕事で帰りが遅くなった時以外は
基本的に夜は毎日、家族全員顔を揃えた。


それが我が家の日常であり
普通の光景だった。


しかし母が居なくなったことで
父と兄が仕事に行っている日は


朝起きた時に
「おはよう」と言う相手がいない。


大学やアルバイト先から
帰って来た時に


「ただいま」と言っても


「おかえり^^」
と言ってくれる相手がいない。



母が居た時は
当たり前だった
やり取りが
今はもうできない。


改めて日常の何気ないやりとりが
当たり前の普通な事が
一番幸せなのだと思った。


父の仕事が定時上がりで
だいたい決まった時間に帰ってくる。


しかし兄はその日の忙しさで上がり時間が変わる。
基本的には父が起きている間に帰ってくる事のだが
ごく稀に23時頃に帰って来る事があった。


父が19時半頃家に帰って来て
21時半頃には2階の寝室に行き


兄が23時頃に帰る頃には
父は寝ている。


僕は眠い目をこすり
出来る限り兄が帰って来るまで
起きていた。


門が開く音が聞こえ
兄が玄関のドアを開け
目が合うと


「おかえり」と声をかけ



兄が帰宅してカバンや財布などを
置いている間に


僕はお風呂場に行き
湯船の温度を熱々にするために
お湯の蛇口をひねり温度調節をする。


そして兄がお風呂に入っている間に
父が用意した夕飯用の味噌汁を沸騰させる。


これは生前の母がそして今は父が
僕ら子供にやってくれている事を
僕は真似しただけだった。



翌日また仕事があり、朝の早い兄には
お風呂に入って
父が用意した夕飯を食べてもらって
1分でも多く休んでほしい
と思い


お風呂に浸かっている兄に
ドア越しに


「お風呂と食器は洗わなくて良いからね、明日朝おれが洗うから。じゃあおやすみ」


と声をかけるのが日課だった。


でも翌日僕が起きると
父は毎回お風呂と食器を洗ってくれていた。


だから僕は仕事から帰って来た父に
何度も


「信ちゃん、洋ちゃんの食器おれが朝起きた時に洗うからそのままにしといて良いよ」


と言った。
学生の自分には一番時間があるし暇だからと。


しかし父は


「どうってことないさ。朝、兄ちゃんの弁当を作る時に時間があるから、ついでに洗えば良いだけだから」


と大した事じゃないよ
というぐらいの
返事だった。


余談ではあるけれど
兄の会社は辺鄙な場所にある為
電車とバスを乗り継いで行かなければならず
通勤途中に気軽に寄れるコンビニもなければ
休憩中に食べに行ける飲食店も無いため


母が生きていた頃は母が
そして母が亡くなってからは
父が毎日、兄にお弁当を作ってあげていた。


この兄へのお弁当は
父が抗がん剤治療で何度か入退院をした時も
家に帰って来ている時はずっと作っていた。


それこそ身の回りの事が出来なくなる位まで
体力が落ちて寝たきりに近い状態になるまでの
元気な間はずっと作っていた。


一方でいくら辺鄙な所で気軽に行ける
コンビニや飲食店が無いとはいえ


ずっと父が作ってくれたお弁当を欠かさず
持っていた事やきちんと完食していた
兄に対して僕は凄く良い事をしたと思う。


さすがの家族大好き人間の僕でも
大好きな父が作ってくれたとはいえ
職場に持って行くことのは恥ずかしい。


僕と違って兄は結構ストレートに
嫌なものは嫌というドライな性格だ。


父が亡くなる最後の2年ぐらいは
仕事で遅くなることが多くなり
せっかく父が用意してくれた夕食も


帰ってくるなり
とても素っ気なく


「お腹空いてたから外で食べて来た」


と言って父を悲しませる事が多かったのに
お弁当はずっと持って行っていた。


そんなドライな性格な兄だからこそ
多少遠かろうが


「弁当はいらない。コンビニで買うから良い」


と言うのが
容易に想像できた。


そんな兄なのに



未だに不思議だ。



反対に父は父で
僕ら子供の事を一番に考えてくれる人でもあり
趣味がドライブと料理だったので
このお弁当作りは
父にとってとても有意義な時間だったと
一番近くで見ていて感じた。


きっと兄も父のその想いがわかっていたからこそ
ずっと欠かさずお弁当を会社に持っていたのかなと思う。





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