20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

21歳の時に母を29歳の時に父を亡くした現在31歳の男です。 僕の経験や想いを書いています。 死別を経験した僕だからこそ誰かの役に立てるのではないか たくさんの愛情をくれた自慢の両親が生きた証を残したくて書き続けています。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

21歳の時に母を29歳の時に父を亡くした現在31歳の男です。
僕の経験や想いを書いています。
死別を経験した僕だからこそ誰かの役に立てるのではないか
たくさんの愛情をくれた自慢の両親が生きた証を残したくて書き続けています。

身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

前日、母がリラックスできるようとAIさんのStoryが入ったMDを渡した僕。翌日いつものように病院に行くと母は嬉しそうに僕を迎えてくれた。「ゆうじのおかげで昨日はよく眠れたよ^^」僕はとてもうれしかった。母が少しでも苦しみから解放され楽しい!と思えてもらえたことに。 …
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母がリラックスできる音楽。僕はそれを求めてTSUTAYAを訪れた。リラクゼーションコーナーに行き、水のせせらぎの音などが収録されたCDを借り、家に帰ってカセットにおとした。カセットにダビングしている時間を使い改めて病院に向かおうとする。母が好きだったAIさんのStory …
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高山病のような症状で酸素が脳に行きにくい状態。いつ亡くなってもおかしくない状態。もう本当に追い込まれている状態だと僕も重々承知していたがやはり諦める事などできなかった。それが無駄な抵抗だとしても僕はまだまだはつみに生きてほしい。インターネットで酸素につい …
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次の朝になっても(次に眠ったら…そのままかもしれません…)という言葉が頭から離れない。考えれば考えるほど不安と恐怖で涙が止まらない。母が死ぬのを認めてしまった僕。負けを認めた僕が願う事はただ一つ。「もうこれ以上はつみには苦しまないでほしい…」「死ぬのなら、 …
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「次に眠ったらそのまま…かもしれません…。」その言葉が頭から離れない。しかしあまりにも突然で自分の想像を遥かに超える宣告だったからかどこか他人事のような感じで時間が立つにつれ母と普通に雑談ができるような状態だった。しばらくすると仕事を早退して来た父から「 …
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(次に眠ったらそのまま…かもしません…。)その言葉に僕はとてつもない恐怖を感じた。(もう本当にもうすぐはつみが死んでしまう)その残酷な未来がもう目の前に迫っている。その未来はもう近い…。計り知れない恐怖が僕の心を苦しめた。母の病室の前に着いた。何度も何度も気 …
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混乱したまま案内された部屋に入るとそこは暗闇に近い部屋だった。しかし僕はすぐに不信感を抱いた。それはいつもの主治医の先生ではなく初対面の先生だったことに。(だれだこの先生は…)僕は余計に混乱した。とりあえず一例をして椅子に腰を掛けた。すると僕の困惑した表情 …
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母の容体が急変し、一時は母の死を覚悟した日から次の日になった。この日は母の闘病生活の中でも母に告知をしたあの日と同じぐらい忘れられない日となる。僕はこの日、大学にレポートを提出しに行った。レポートを提出してまもなく父から着信が入る。ドキッとする僕。前日の …
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母が一命を取り止めたその日の夜。どんなに願ってもどんなに一緒にいたくても母と一緒に過ごせる時間はもう限られている。母が入院してから初めて本当に母が死ぬかもしれないと目のあたりにしたことで家に帰って自分の部屋に入った時心が震えた。その震えは止まらなかった。 …
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僕らが病室に着いた頃には母は意識が戻っていて落ち着いていた。僕は母の姿を見ると安堵して緊張の糸がほどけ目が真っ赤になった。母はまず父と兄と話をした。僕はその間、母に背を向け母から見えない位置に立ち何回も深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとした。すると母が …
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母が病棟に響き渡る悲鳴を上げてから数時間が立った。その頃には僕ら兄弟は病棟のロビーで待機をしていた。生きた心地がしないとはまさにこういうことを言うのだと思う。僕はこの時、本当に母がこのまま死んでしまうのでないかと思っていた。もっと言えば7割は諦めていた…。 …
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1月も後半に入り、大学の冬休みが明けた。当時僕は21歳、大学3年生。後期のテストが行われたりテストがない講義はレポート提出が課せられていた。僕は母のお見舞いや家に帰ってから簡単な家事の傍らレポートを書いた。ただ幸いな事にテストの講義は記憶があいまいだが2科目 …
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告知を受け、ショックを受け計り知れない恐怖と戦う母。一方、ようやく自分の過ちに気づいた僕。かける言葉は見つからないが、母の病室へと戻った僕。僕も気が動転していたのでこの時、母とどんな会話をしたか覚えていない。ただ覚えているのは半日、ほとんど会話は無く、母 …
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「20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~」ブログタイトルを変更しました。「両親を癌で亡くした僕が伝えたいこと」このタイトルでブログを書き続けて来ました。ブログを書き始める頃はまさかこんなに多くの方に読んで頂けて、かつ応援して頂けるとは …
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新年となりました。皆さん昨年はお世話になりました。本年もよろしくお願い致します。両親がいなくなって初めて迎える元旦。昨年までは父と紅白やガキの使いを見ながら年越しそばを食べて新年を迎えていたのに…なんだか不思議な感覚です。さて新年最初のブログは番外編とし …
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「私がんばったよね!?もう死んでも良いよね?」この母からのショックな言葉から数時間が立った。だがこの母からのショックな言葉は僕の脳裏に焼き付き必死に別の事を考えようとしても頭の中で何回もフラッシュバックした。母はこの日、ずっと怒りを噛み殺したような怖い顔 …
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自分の体に少しずつ疑問を持ち始めてきた母。12月初旬に腹痛を訴えたあの日からちょうど1ヶ月が過ぎた。緊急入院、緊急手術、人工肛門、鼻からチューブしかし未だに食事も摂れなければ歩くことも、もっといえば座ることすら自力ではほぼできない。母からすれば治療などを受け …
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年末年始が終わり、1月の2週目に入った。その頃には鼻の中から入れていたチューブも取れていた。しかし徐々に母の意欲が無くなってくる。鼻のチューブは取れたものの、体力をつけるためにも引き続き、病棟内を歩いてほしいと先生から頼まれていた。僕は先生に言われた通り、 …
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12月22日に入院し、癌が見つかり、余命宣告を受け人工肛門になり、鼻から管を入れて我が家の2008年は11月までは例年と変わらなかったが12月に入り年末にかけて一瞬にして絶望の年へと変わった。この当時バイトしていた所で毎年恒例の大掃除があったのだが、お母さんのそばに …
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鼻からチューブを入れ終わり、母が病室に戻ってきた。しかし母は憔悴しきっていてとても会話ができるような雰囲気ではなかった。精神的にも肉体的にも疲れ切っているのが見て取れた。僕ら家族は母が回復するまで1人ずつ交代制で看病した。そして夜になった頃には母もだいぶ落 …
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母は腸閉塞を患ったことで食べた物を腸がうまく運べていない状態になり、食事を摂れず、点滴で賄っていた。思えば母は腹痛を訴えた12月上旬から約2週間、何も口にしていない生活を送っていた。そして入院して数日が立ったある日主治医の先生が、母の病室に訪れた。その時、母 …
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僕の心はボロボロだった...。心の中に「死にたい」「死ねたら楽だろうな..」などと自分の命を軽視する考えが出てきてしまった。この気持ちはたしか2、3日続いた気がする。母の病室で、母の寝顔を見ながら(もしおれが死んだら、父からおれが死んだと聞いてショックを受けるん …
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いつもどおり僕は毎日時間の許す限り母のお見舞いに行った。少しでも一緒にいたい。少しでも母との思い出を作りたい。少しでも母の笑顔をこの目に焼き付けたい。そんなこと思いながら母との残りの時間を過ごしていた。でもやっぱり母の笑顔を見る度にいつまでもこの笑顔を見 …
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30代がスタートしました。9月下旬にこのブログを始め、約1ヶ月。「ブログを書いていてくれてありがとう」「泣きながら読みました」など最近では心温まるコメントやメッセージを頂けるようになり、自分の想いが確実に誰かに届いていると感じられ嬉しい限りです。また反対に「 …
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