20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

21歳の時に母を29歳の時に父を亡くした現在31歳の男です。 僕の経験や想いを書いています。 死別を経験した僕だからこそ誰かの役に立てるのではないか たくさんの愛情をくれた自慢の両親が生きた証を残したくて書き続けています。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

21歳の時に母を29歳の時に父を亡くした現在31歳の男です。
僕の経験や想いを書いています。
死別を経験した僕だからこそ誰かの役に立てるのではないか
たくさんの愛情をくれた自慢の両親が生きた証を残したくて書き続けています。

身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

父からの電話で慌てて病院に向かった僕。無我夢中で自転車を飛ばし脅威的なスピードで病院に着いた。4階につくと猛ダッシュで母の病室の扉を開けた。すると…。母はまだ生きていた。しかし…見た事のないようなまるで体のどこかから空気が抜けているような変な呼吸の仕方をし …
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《その時》は突然やって来た。何の前触れもなく突然やってきた忘れもしない。2009年2月2日月曜日朝8時28分頃。この3分ぐらい前に僕は目が覚めた。ベットの上でウトウトしながら左側に寝がえりを打ち寝たまま手を伸ばしその真正面に置いてあったテレビを付けた。TBSの朝のニュ …
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お風呂から出て気丈に振舞い夕飯を食べて僕は寝る準備に入った。兄から聞かされた母の想い僕は母が兄に言った「ゆうじが心配」と言葉を思い出し、またその言葉を言っている母の姿を想像して1人ベットの中で声を殺しながら泣き続けた。そして家中が寝静まった夜中僕は2階で寝 …
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あれが母との最期の会話になったとはこの時の僕は知る由もなかった。兄は病院に残り、先に帰った僕はお風呂を沸かした。父は夕飯の準備をしていた。お風呂が沸き1番風呂に入った。いつもなら兄が母と何を話しているのか気にならなかったがこの時は湯船に浸かりながらただ純粋 …
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言葉は無かったけれど僕の事を許してくれた父。仲直りした僕らはそれから穏やかな時間を過ごせた。母は寝たきりになっていたけれど体調は悪い感じはなく父と仲直りしてから兄が来るまでの間3人で何を話したかは覚えていないけれど本当に穏やかな時間を過ごせていたのだけはは …
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僕が取った不謹慎で軽率な行動によって僕と父は喧嘩をした。母の病室でお互い怒りで沈黙をする。全ては僕がいけないのに…。でも変に意地を張ってしまい母にもそっけない態度を取ってしまった。僕は「誰も洗濯してくれないから家に帰って洗濯干してくる!」と病院に来てまも …
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僕には母に告知をした夜と同じぐらい後悔している日がある。それは母が亡くなる前日に取った僕の不謹慎で軽率な行動によって父を激怒させ、母を不安にさせ、そして悲しませてしまうこととなる。これまで仲が良かった家族だったのに家族全員で過ごせた『最後の日』となったに …
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母に感謝の思いを告げることができたこの日反対に母からお願いをされた事があった。それは母が僕に託した最後の願いであった。当時、大学3年生の21歳。いよいよ4年生になると就職活動が始まる。余談ではあるけれど3つ上の兄は真面目で慎重な性格上もあり手あたり次第、面接 …
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母が緊急入院、緊急入院をして余命3ヶ月を宣告されたあの日から僕には母が亡くなるまでに『絶対に伝えたい事』がひとつだけあった。でもそれは母が亡くなる直前になったら言おうと心に決めていた。その伝えたい事とは『はつみの子供で幸せだよ』という言葉。この言葉だけはど …
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いよいよ母と過ごせる残りの時間もあとわずか母の口から死を受け入れた発言を聞くようになりこのあたりから本当の意味で僕も『その時』を真剣に考えるようになった。だから僕は母が生きているうちに伝えたいことを伝えなければと決心した。この日僕は母に会う前から緊張して …
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事実上、母が死を認めた事諦めた事、負けを認めた事は僕にとって凄くショックだった。翌日僕ら3人は母に言われた通りAOKIに礼服を買いに行った。礼服と言っても、実際は間もなく訪れる母の通夜、告別式で着るための喪服だ。父が運転する車でAOKIで礼服を買った後僕だけ病院の …
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酸素が脳に行きにくくなり次に眠ったらそのままかもしれないという予断を許さない状況と言われたものの特にそんなことはなかった。脳に酸素が行きにくい事で上の空になったり、ボケたりすることもなく母は亡くなるまで普通に会話もでき何も変わらなかった。そしてある日の夜 …
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前日渡したはつみコレクションのMD。昨日病院に行く前にこのMDNにコブクロさんと綾香さんのコラボ曲「あなたと」とという曲を1曲だけ追加しておいた。この曲もまたJULEPSさんの「旅立つ日」同様に母が癌が見つかった事で歌詞の捉え方が180度変わった。この曲はまさに当時の僕 …
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前日、母がリラックスできるようとAIさんのStoryが入ったMDを渡した僕。翌日いつものように病院に行くと母は嬉しそうに僕を迎えてくれた。「ゆうじのおかげで昨日はよく眠れたよ^^」僕はとてもうれしかった。母が少しでも苦しみから解放され楽しい!と思えてもらえたことに。 …
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母がリラックスできる音楽。僕はそれを求めてTSUTAYAを訪れた。リラクゼーションコーナーに行き、水のせせらぎの音などが収録されたCDを借り、家に帰ってカセットにおとした。カセットにダビングしている時間を使い改めて病院に向かおうとする。母が好きだったAIさんのStory …
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高山病のような症状で酸素が脳に行きにくい状態。いつ亡くなってもおかしくない状態。もう本当に追い込まれている状態だと僕も重々承知していたがやはり諦める事などできなかった。それが無駄な抵抗だとしても僕はまだまだはつみに生きてほしい。インターネットで酸素につい …
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次の朝になっても(次に眠ったら…そのままかもしれません…)という言葉が頭から離れない。考えれば考えるほど不安と恐怖で涙が止まらない。母が死ぬのを認めてしまった僕。負けを認めた僕が願う事はただ一つ。「もうこれ以上はつみには苦しまないでほしい…」「死ぬのなら、 …
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「次に眠ったらそのまま…かもしれません…。」その言葉が頭から離れない。しかしあまりにも突然で自分の想像を遥かに超える宣告だったからかどこか他人事のような感じで時間が立つにつれ母と普通に雑談ができるような状態だった。しばらくすると仕事を早退して来た父から「 …
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(次に眠ったらそのまま…かもしません…。)その言葉に僕はとてつもない恐怖を感じた。(もう本当にもうすぐはつみが死んでしまう)その残酷な未来がもう目の前に迫っている。その未来はもう近い…。計り知れない恐怖が僕の心を苦しめた。母の病室の前に着いた。何度も何度も気 …
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混乱したまま案内された部屋に入るとそこは暗闇に近い部屋だった。しかし僕はすぐに不信感を抱いた。それはいつもの主治医の先生ではなく初対面の先生だったことに。(だれだこの先生は…)僕は余計に混乱した。とりあえず一例をして椅子に腰を掛けた。すると僕の困惑した表情 …
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母の容体が急変し、一時は母の死を覚悟した日から次の日になった。この日は母の闘病生活の中でも母に告知をしたあの日と同じぐらい忘れられない日となる。僕はこの日、大学にレポートを提出しに行った。レポートを提出してまもなく父から着信が入る。ドキッとする僕。前日の …
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母が一命を取り止めたその日の夜。どんなに願ってもどんなに一緒にいたくても母と一緒に過ごせる時間はもう限られている。母が入院してから初めて本当に母が死ぬかもしれないと目のあたりにしたことで家に帰って自分の部屋に入った時心が震えた。その震えは止まらなかった。 …
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僕らが病室に着いた頃には母は意識が戻っていて落ち着いていた。僕は母の姿を見ると安堵して緊張の糸がほどけ目が真っ赤になった。母はまず父と兄と話をした。僕はその間、母に背を向け母から見えない位置に立ち何回も深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとした。すると母が …
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母が病棟に響き渡る悲鳴を上げてから数時間が立った。その頃には僕ら兄弟は病棟のロビーで待機をしていた。生きた心地がしないとはまさにこういうことを言うのだと思う。僕はこの時、本当に母がこのまま死んでしまうのでないかと思っていた。もっと言えば7割は諦めていた…。 …
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1月も後半に入り、大学の冬休みが明けた。当時僕は21歳、大学3年生。後期のテストが行われたりテストがない講義はレポート提出が課せられていた。僕は母のお見舞いや家に帰ってから簡単な家事の傍らレポートを書いた。ただ幸いな事にテストの講義は記憶があいまいだが2科目 …
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告知を受け、ショックを受け計り知れない恐怖と戦う母。一方、ようやく自分の過ちに気づいた僕。かける言葉は見つからないが、母の病室へと戻った僕。僕も気が動転していたのでこの時、母とどんな会話をしたか覚えていない。ただ覚えているのは半日、ほとんど会話は無く、母 …
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「20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~」ブログタイトルを変更しました。「両親を癌で亡くした僕が伝えたいこと」このタイトルでブログを書き続けて来ました。ブログを書き始める頃はまさかこんなに多くの方に読んで頂けて、かつ応援して頂けるとは …
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新年となりました。皆さん昨年はお世話になりました。本年もよろしくお願い致します。両親がいなくなって初めて迎える元旦。昨年までは父と紅白やガキの使いを見ながら年越しそばを食べて新年を迎えていたのに…なんだか不思議な感覚です。さて新年最初のブログは番外編とし …
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