20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

21歳の時に母を29歳の時に父を亡くした現在31歳の男です。 僕の経験や想いを書いています。 死別を経験した僕だからこそ誰かの役に立てるのではないか たくさんの愛情をくれた自慢の両親が生きた証を残したくて書き続けています。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

21歳の時に母を29歳の時に父を亡くした現在31歳の男です。
僕の経験や想いを書いています。
死別を経験した僕だからこそ誰かの役に立てるのではないか
たくさんの愛情をくれた自慢の両親が生きた証を残したくて書き続けています。

身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

男3人の新たな生活が始まって約2ヶ月ぐらい立った。そんなある日、僕はある事で母のありがたみが身に染みて涙が出た。母は専業主婦で心配性な性格だった。そんな母の性格を表しているのが日用品のストックの多さ。我が家にはティッシュやトイレットペーパーなどが常に豊富に …
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僕にはどうしても許せない人がいた。母が亡くなり49日が過ぎたこの日僕はその人と1対1で会わなければいけなかった。その人物とは葬儀屋の人間だ。白髪交じりの50代後半の男性。母が亡くなったあの日、家に冷たくなった母が帰って来て数時間後、そこには父と兄と僕と叔父とそ …
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父の言葉につい取り乱してしまい洗濯物を持って勢いのまま2階へと駆け上がった僕。洗濯物を干す部屋で怒りに震える僕。しかし次の瞬間声を出して泣き始めた。父に取った先程の自分の言動を後悔して涙が止まらなかった。(なんであんな態度を取ってしまったんだ…)(はつみが …
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僕は涙もろく家族が大好きだ。僕は怒ると無口になる。口論するのが嫌いだし相手を傷つけたくないし何より自分の心が傷つくのが怖いから。僕は昔から家族と喧嘩をした時は少し口論になるとすぐに無言になりその場を離れブツブツ言いながら自分の部屋に逃げていた。喧嘩をして …
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はつみが生きた証を残したくて洗濯物の干すタイミングお風呂を入れる時間母と同じタイミングや方法を取る事で母を感じられて僕の心の中にいつも母がいた。そして僕にはもうひとつ母が亡くなってから母の真似をしてある習慣を変えた。それは父と兄の呼び方だ。このブログでも …
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母が亡くなって男3人での新しい生活が少しずつ、そして確実にスタートし始めた。父と兄は仕事。兄は土休日も仕事があるので家族3人休みはほとんどない。父が食事を担当してくれた。朝はご飯と味噌汁と魚が準備してあり僕はレンジでチンするだけで良かった。そして仕事から帰 …
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前夜兄から言われたあの言葉に傷つきながらも今後の自分の振舞い方を決意した僕。だがそれはどこか意地のようなものでだったらこうすれば良いんだろ、と強がって決めたのかもしれない。この当時、父と兄は仕事がある日は朝6時半には2人とも家を出ていた。僕が起きる頃には当 …
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兄から言われた言葉に最初は怒りを覚えたものの時間が立つにつれショックに変わった。たしかに兄は僕の前で一度も大泣きしなかった。自分は凄く感情に正直でワンワン泣いていて過ごしてきたので兄と父は凄いなと改めて思ったのと同時に確かにいつまでも自分だけ泣いているの …
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僕は母が入院した日からずーっと毎日何回も何回も泣いていた。21歳で母を亡くした当時の僕は本当に自分の感情に正直だった。母が亡くなってからも僕は事あるごとに泣いていた。家族以外の人の前では泣かないようにと気が張れていたこともあり大丈夫であったが父と兄の前で …
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母の告別式納骨など一通りのことが終わった。父と兄も忌引きが終わりまた仕事の生活が始まった。僕はというと母が亡くなったのは2月。大学は4月まで無い。昨年の12月から始まった母の異変、癌発見、余命宣告、闘病生活永眠怒涛の2ヶ月間が終わったものの毎日全身全霊で母に寄 …
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亡くなった母から告別式の朝にもらった言葉僕はその言葉を旨に告別式の斎場に足を運んだ。案の定、僕は告別式でも号泣した。感情の制御が出来ず今自分が置かれている状況、環境が受け入れられずただただパニック状態で号泣した。そしていよいよお別れの儀の時が訪れた。後か …
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告別式の日の朝。不思議で奇妙な体験をした。それは単なる偶然という言葉では片付けられない出来事だった。そしてそれは間違いなく母からのメッセージだと僕は信じている。母は昔から機械音痴であり、また専業主婦で家にずっと居たのであまり必要性が無いこともあり携帯電話 …
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母の通夜が終わりその日の夜、家族3人で過ごした。僕は通夜でワンワン泣いたのもあり父と兄にこれ以上余計な心配をかけないようにと努めて明るく振舞った。母は身長が低く、ぽっちゃりとした体形だった。僕は母の事をたまに「ブウ」と呼んでいた。「ブウ」とはドラゴンボール …
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母の通夜の時が来た。この時の僕は当時21歳ということもあってか親戚や参列者など知らない人達の前で泣くわけにはいかない泣いている姿を見せたくない【人前で泣く=恥ずかしい事】などと考えてしまっていた。僕はそんなことを考えながら喪服に着替え、母が待つ斎場に向かっ …
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母が亡くなった当日、僕はアルバイト先に母が亡くなった事と今後のスケジュールを伝えに行った。この時は泣いてしまうと自分でもわかっていたのでタオルを片手に行った。当時のアルバイト先は家から歩いて5分。走れば3分。勤務時間は早番10:45~16:00遅番13:30~18:30どちらの …
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母が1か月半ぶりに我が家に帰って来た。しかし冷たくなった状態で。冷たくなった状態の母が寝ているのは1階のリビングの隣の和室。リビングで父と兄が居て僕はその間ずっと冷たくなった母のそばに居た。ただただ母のそばに居たかった。母のそばから離れたくなかった。いつも …
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今回は久しぶりの番外編です。なぜ番外編かというと水曜日あたりから体調を崩してしまい3年ぶりの風邪を引いてしまいました。せっかく続きを楽しみにしてくれていた方達には期待を裏切る形となり申し訳ありません…。今は37,5℃まで下がったものの昨日の昼頃から熱が38,7℃ま …
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母が亡くなって1時間半ぐらいが立ちようやく兄が母の元に来た兄は泣くことも取り乱すこともなく気丈に振舞っていた。その後霊安室に運ばれ先生やお世話になった看護師さん達が次々と冷たくなった母の元に来てくれたこの時の僕は心の中で取り乱してはいけないと気を張っていた …
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家族では僕だけが母の最期を看取った母には2回死亡時刻がある。僕が看取った午前8時42分。この時先生は父が来るまで死亡時刻を待ちますと僕に告げた。なので2009年2月2日午前9時11分が母の正式な死亡時刻となった。父が来るまで約30分の間、母が息を引き取っ …
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父からの電話で慌てて病院に向かった僕。無我夢中で自転車を飛ばし脅威的なスピードで病院に着いた。4階につくと猛ダッシュで母の病室の扉を開けた。すると…。母はまだ生きていた。しかし…見た事のないようなまるで体のどこかから空気が抜けているような変な呼吸の仕方をし …
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《その時》は突然やって来た。何の前触れもなく突然やってきた忘れもしない。2009年2月2日月曜日朝8時28分頃。この3分ぐらい前に僕は目が覚めた。ベットの上でウトウトしながら左側に寝がえりを打ち寝たまま手を伸ばしその真正面に置いてあったテレビを付けた。TBSの朝のニュ …
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お風呂から出て気丈に振舞い夕飯を食べて僕は寝る準備に入った。兄から聞かされた母の想い僕は母が兄に言った「ゆうじが心配」と言葉を思い出し、またその言葉を言っている母の姿を想像して1人ベットの中で声を殺しながら泣き続けた。そして家中が寝静まった夜中僕は2階で寝 …
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あれが母との最期の会話になったとはこの時の僕は知る由もなかった。兄は病院に残り、先に帰った僕はお風呂を沸かした。父は夕飯の準備をしていた。お風呂が沸き1番風呂に入った。いつもなら兄が母と何を話しているのか気にならなかったがこの時は湯船に浸かりながらただ純粋 …
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言葉は無かったけれど僕の事を許してくれた父。仲直りした僕らはそれから穏やかな時間を過ごせた。母は寝たきりになっていたけれど体調は悪い感じはなく父と仲直りしてから兄が来るまでの間3人で何を話したかは覚えていないけれど本当に穏やかな時間を過ごせていたのだけはは …
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僕が取った不謹慎で軽率な行動によって僕と父は喧嘩をした。母の病室でお互い怒りで沈黙をする。全ては僕がいけないのに…。でも変に意地を張ってしまい母にもそっけない態度を取ってしまった。僕は「誰も洗濯してくれないから家に帰って洗濯干してくる!」と病院に来てまも …
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僕には母に告知をした夜と同じぐらい後悔している日がある。それは母が亡くなる前日に取った僕の不謹慎で軽率な行動によって父を激怒させ、母を不安にさせ、そして悲しませてしまうこととなる。これまで仲が良かった家族だったのに家族全員で過ごせた『最後の日』となったに …
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母に感謝の思いを告げることができたこの日反対に母からお願いをされた事があった。それは母が僕に託した最後の願いであった。当時、大学3年生の21歳。いよいよ4年生になると就職活動が始まる。余談ではあるけれど3つ上の兄は真面目で慎重な性格上もあり手あたり次第、面接 …
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母が緊急入院、緊急入院をして余命3ヶ月を宣告されたあの日から僕には母が亡くなるまでに『絶対に伝えたい事』がひとつだけあった。でもそれは母が亡くなる直前になったら言おうと心に決めていた。その伝えたい事とは『はつみの子供で幸せだよ』という言葉。この言葉だけはど …
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いよいよ母と過ごせる残りの時間もあとわずか母の口から死を受け入れた発言を聞くようになりこのあたりから本当の意味で僕も『その時』を真剣に考えるようになった。だから僕は母が生きているうちに伝えたいことを伝えなければと決心した。この日僕は母に会う前から緊張して …
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事実上、母が死を認めた事諦めた事、負けを認めた事は僕にとって凄くショックだった。翌日僕ら3人は母に言われた通りAOKIに礼服を買いに行った。礼服と言っても、実際は間もなく訪れる母の通夜、告別式で着るための喪服だ。父が運転する車でAOKIで礼服を買った後僕だけ病院の …
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酸素が脳に行きにくくなり次に眠ったらそのままかもしれないという予断を許さない状況と言われたものの特にそんなことはなかった。脳に酸素が行きにくい事で上の空になったり、ボケたりすることもなく母は亡くなるまで普通に会話もでき何も変わらなかった。そしてある日の夜 …
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前日渡したはつみコレクションのMD。昨日病院に行く前にこのMDNにコブクロさんと綾香さんのコラボ曲「あなたと」とという曲を1曲だけ追加しておいた。この曲もまたJULEPSさんの「旅立つ日」同様に母が癌が見つかった事で歌詞の捉え方が180度変わった。この曲はまさに当時の僕 …
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