20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

21歳の時に母を29歳の時に父を亡くした現在31歳の男です。 僕の経験や想いを書いています。 死別を経験した僕だからこそ誰かの役に立てるのではないか たくさんの愛情をくれた自慢の両親が生きた証を残したくて書き続けています。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

21歳の時に母を29歳の時に父を亡くした現在31歳の男です。
僕の経験や想いを書いています。
死別を経験した僕だからこそ誰かの役に立てるのではないか
たくさんの愛情をくれた自慢の両親が生きた証を残したくて書き続けています。

身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

僕が生まれる前だったり物心つく前は父は度々、出張に行っていたらしいが僕が物心ついてからは兄と僕が修学旅行に行った時や兄が仕事で帰りが遅くなった時以外は基本的に夜は毎日、家族全員顔を揃えた。それが我が家の日常であり普通の光景だった。しかし母が居なくなったこ …
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就職が決まり母が亡くなって1年の月日が過ぎた頃僕は家の中の整理をした。就職してしまうとこうした時間が取れないと思ったし就職する前に少し家の中の不要な物を処分したかったから。男3人暮らしだったにもかかわらず父が綺麗好きな人だったのもありきちんと物は整理され …
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母がまだ生きていた頃。僕が大学に入学した18歳の時、3つ上の兄は大学四年生。その頃、我が家は車を買い替えた。父の趣味はドライブと料理。新車に買い替えた事で父は運転がしたかったのだろう。父が仕事が休みの週末はほぼ毎週家族でドライブに出掛けた。ほぼ毎週、朝5 …
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年が明けた2010年1月。一次試験に合格した僕はこの日、最終面接に臨んだ。(今日で今後の人生が決まる)前年の就職活動を始めて早々に内定をもらった時とは違う感覚。僕は就活用のスーツに着替え家を出る前、母の遺影に向かって「はつみ、約束果たせるように頑張って来る …
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望みをかけた最後の一社の面接に臨んだものの自分の力を出せず落ちたと思った。亡くなる母との約束を自分の愚かな考えのせいで果たせず母の仏壇の前で泣いていると携帯電話が鳴った。番号は企業と僕の間を取り持ってくれた会社の人からだった。今でも覚えているのが僕はこの …
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大学4年の6月にスーパーを経営する会社から早々に内定をもらった僕はそこで就職活動を一旦終わらせた。内定先があるというだけで父も兄もそして周りの人もとりあえずは安心してくれたので特に問題は無かった。この当時の僕は就職活動を舐め切っていた。というか「就職する …
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久しぶりの番外編。時間が立つのは早いもので母が亡くなり9年父が亡くなり1年の月日が流れたけれど歳を重ねる事で一緒に居た頃に気づけなかった事や子供の頃の事や過去の事など改めて話したい、聞きたい事があっても聞けないもどかしさなど両親に対しての想いは募るばかり …
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2009年11月9日。この日は母が亡くなって初めて迎えた僕の誕生日であった。僕はこの日、免許の更新に行くことにしていた。免許を所得して初めての免許更新。勝手もわからず気疲れもして帰って来てしばらくリビングでグターっとした。そして夕方になり2人が帰ってくる …
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僕が15年間応援し続けている涌井選手。その応援する気持ちは15年立っても変わらない。その理由はもちろん怪我に強く同じ野球経験者としてプレースタイルに惚れたから。そしてもう一つ僕が涌井選手を応援し続けるには理由がある。それは涌井選手が西武ライオンズに入団し …
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僕の心の支えとなってくれたプロ野球選手。その1人は涌井秀章選手だ。年齢では涌井選手が僕の一つ上だ。僕は中学生の頃ずっと西武の松坂選手の大ファンだった。松坂選手の母校は横浜高校。その影響でプロ野球は西武、高校野球は横浜高校のファンだった。僕は春と夏の甲子園が …
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僕は野球が大好きだ。1995年母が当時オリックスにいたイチローのファンとなり我が家はあっという間に野球好きな家族になった。翌年の1996年の3月20日、東京ドームで行われた巨人対オリックス戦を家族全員で見に行った。これが家族全員初めて生でプロ野球の試合を見に行った日 …
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母と別れて2ヶ月が立ったこの頃僕は大学4年生になった。大学4年生ということは何といっても今年は「就職活動」をしなければならない。絶対にフリーターにはならない。なぜならそれは母との最後の約束だったから…。でも正直この時の僕は「就職活動」の意味をはき違えていた。 …
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男3人の新たな生活が始まって約2ヶ月ぐらい立った。そんなある日、僕はある事で母のありがたみが身に染みて涙が出た。母は専業主婦で心配性な性格だった。そんな母の性格を表しているのが日用品のストックの多さ。我が家にはティッシュやトイレットペーパーなどが常に豊富に …
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僕にはどうしても許せない人がいた。母が亡くなり49日が過ぎたこの日僕はその人と1対1で会わなければいけなかった。その人物とは葬儀屋の人間だ。白髪交じりの50代後半の男性。母が亡くなったあの日、家に冷たくなった母が帰って来て数時間後、そこには父と兄と僕と叔父とそ …
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父の言葉につい取り乱してしまい洗濯物を持って勢いのまま2階へと駆け上がった僕。洗濯物を干す部屋で怒りに震える僕。しかし次の瞬間声を出して泣き始めた。父に取った先程の自分の言動を後悔して涙が止まらなかった。(なんであんな態度を取ってしまったんだ…)(はつみが …
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僕は涙もろく家族が大好きだ。僕は怒ると無口になる。口論するのが嫌いだし相手を傷つけたくないし何より自分の心が傷つくのが怖いから。僕は昔から家族と喧嘩をした時は少し口論になるとすぐに無言になりその場を離れブツブツ言いながら自分の部屋に逃げていた。喧嘩をして …
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はつみが生きた証を残したくて洗濯物の干すタイミングお風呂を入れる時間母と同じタイミングや方法を取る事で母を感じられて僕の心の中にいつも母がいた。そして僕にはもうひとつ母が亡くなってから母の真似をしてある習慣を変えた。それは父と兄の呼び方だ。このブログでも …
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母が亡くなって男3人での新しい生活が少しずつ、そして確実にスタートし始めた。父と兄は仕事。兄は土休日も仕事があるので家族3人休みはほとんどない。父が食事を担当してくれた。朝はご飯と味噌汁と魚が準備してあり僕はレンジでチンするだけで良かった。そして仕事から帰 …
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前夜兄から言われたあの言葉に傷つきながらも今後の自分の振舞い方を決意した僕。だがそれはどこか意地のようなものでだったらこうすれば良いんだろ、と強がって決めたのかもしれない。この当時、父と兄は仕事がある日は朝6時半には2人とも家を出ていた。僕が起きる頃には当 …
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兄から言われた言葉に最初は怒りを覚えたものの時間が立つにつれショックに変わった。たしかに兄は僕の前で一度も大泣きしなかった。自分は凄く感情に正直でワンワン泣いていて過ごしてきたので兄と父は凄いなと改めて思ったのと同時に確かにいつまでも自分だけ泣いているの …
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僕は母が入院した日からずーっと毎日何回も何回も泣いていた。21歳で母を亡くした当時の僕は本当に自分の感情に正直だった。母が亡くなってからも僕は事あるごとに泣いていた。家族以外の人の前では泣かないようにと気が張れていたこともあり大丈夫であったが父と兄の前で …
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母の告別式納骨など一通りのことが終わった。父と兄も忌引きが終わりまた仕事の生活が始まった。僕はというと母が亡くなったのは2月。大学は4月まで無い。昨年の12月から始まった母の異変、癌発見、余命宣告、闘病生活永眠怒涛の2ヶ月間が終わったものの毎日全身全霊で母に寄 …
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亡くなった母から告別式の朝にもらった言葉僕はその言葉を旨に告別式の斎場に足を運んだ。案の定、僕は告別式でも号泣した。感情の制御が出来ず今自分が置かれている状況、環境が受け入れられずただただパニック状態で号泣した。そしていよいよお別れの儀の時が訪れた。後か …
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告別式の日の朝。不思議で奇妙な体験をした。それは単なる偶然という言葉では片付けられない出来事だった。そしてそれは間違いなく母からのメッセージだと僕は信じている。母は昔から機械音痴であり、また専業主婦で家にずっと居たのであまり必要性が無いこともあり携帯電話 …
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母の通夜が終わりその日の夜、家族3人で過ごした。僕は通夜でワンワン泣いたのもあり父と兄にこれ以上余計な心配をかけないようにと努めて明るく振舞った。母は身長が低く、ぽっちゃりとした体形だった。僕は母の事をたまに「ブウ」と呼んでいた。「ブウ」とはドラゴンボール …
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母の通夜の時が来た。この時の僕は当時21歳ということもあってか親戚や参列者など知らない人達の前で泣くわけにはいかない泣いている姿を見せたくない【人前で泣く=恥ずかしい事】などと考えてしまっていた。僕はそんなことを考えながら喪服に着替え、母が待つ斎場に向かっ …
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母が亡くなった当日、僕はアルバイト先に母が亡くなった事と今後のスケジュールを伝えに行った。この時は泣いてしまうと自分でもわかっていたのでタオルを片手に行った。当時のアルバイト先は家から歩いて5分。走れば3分。勤務時間は早番10:45~16:00遅番13:30~18:30どちらの …
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母が1か月半ぶりに我が家に帰って来た。しかし冷たくなった状態で。冷たくなった状態の母が寝ているのは1階のリビングの隣の和室。リビングで父と兄が居て僕はその間ずっと冷たくなった母のそばに居た。ただただ母のそばに居たかった。母のそばから離れたくなかった。いつも …
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今回は久しぶりの番外編です。なぜ番外編かというと水曜日あたりから体調を崩してしまい3年ぶりの風邪を引いてしまいました。せっかく続きを楽しみにしてくれていた方達には期待を裏切る形となり申し訳ありません…。今は37,5℃まで下がったものの昨日の昼頃から熱が38,7℃ま …
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母が亡くなって1時間半ぐらいが立ちようやく兄が母の元に来た兄は泣くことも取り乱すこともなく気丈に振舞っていた。その後霊安室に運ばれ先生やお世話になった看護師さん達が次々と冷たくなった母の元に来てくれたこの時の僕は心の中で取り乱してはいけないと気を張っていた …
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家族では僕だけが母の最期を看取った母には2回死亡時刻がある。僕が看取った午前8時42分。この時先生は父が来るまで死亡時刻を待ちますと僕に告げた。なので2009年2月2日午前9時11分が母の正式な死亡時刻となった。父が来るまで約30分の間、母が息を引き取っ …
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父からの電話で慌てて病院に向かった僕。無我夢中で自転車を飛ばし脅威的なスピードで病院に着いた。4階につくと猛ダッシュで母の病室の扉を開けた。すると…。母はまだ生きていた。しかし…見た事のないようなまるで体のどこかから空気が抜けているような変な呼吸の仕方をし …
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