母と別れて2ヶ月が立ったこの頃
僕は大学4年生になった。


大学4年生ということは
何といっても今年は
「就職活動」を
しなければならない。


絶対にフリーターにはならない。
なぜならそれは母との
最後の約束だったから…。


でも正直この時の僕は
「就職活動」の意味をはき違えていた。


決して来年以降の就職した自分の姿を想像したり
その会社で何をしたくて、
どう自分の長所を生かせるか
どう成長できるか


など就職後の自分を考えはせず


(とりあえず内定をもらって安心したい)


(内定をもらって家族や周りの人を安心させたい)



「就職」より
「内定をもらうこと」
に目を向けてしまっていた。



また引っ込み思案であったり
自分に自信が無いために


「集団面接が無い所」


「グループディスカッションのない所」


「内定後に研修合宿がない所」


など仕事内容より
そういった面接や研修内容にだけ
目を向け、エントリーするかしないかを考えていた。


一種の無気力感ではないけれど
大学3年生までに
卒業に必要な単位は取れていたのもあり


早く内定をもらって家に居たい
好きな野球の事だけを考えていたい
出来る限り誰とも話したくない


などと当時は考えていた。


記憶が正しければ
僕は4月下旬から
本格的に就職活動を始めた。


5月下旬までに
何社か受けた。


言葉は悪いが
興味のない会社にも行き
自分の中で「面接の練習」と
位置づけ、面接を受けた。


そして6月上旬、大学の友人が
母を亡くして落ち込んでいた
僕の事を気にかけてくれ
なんとかその友人から教えてもらった
スーパーマーケットを展開する
会社の最終面接にこぎつけた。


今にして思えば当時の僕は汚かった。
この会社の他にも面接を何社か受けたが
どの面接官も母の話題を出すことで
僕に同情してくれて
僕の話に耳を傾けてくれた。


当時の僕はその事に甘えて
母の死を武器にしていたように思う。


自分の人柄を知ってもらうために
母の死を利用していたのだ。


このスーパーマーケットの
最終面接の時もそうだった。


母が2月に亡くなり
自分もスーパーに行くようになり
自分もこういった場所で働きたいと
思いましたなどと言った覚えがある。


もちろんマニュアル通りの言葉もたくさん言ったけれど
自分の言葉でも話さなければ意味が無いと
面接の時に心がけていた。


そんな思いが通じたのか
その時の面接官の方がくれた言葉は嬉しかった。


「あなたは心が綺麗ですね」


嬉しくてまっ赤になったのを
覚えている。


そしてこの1週間後ぐらいに
この会社から内定を貰えた。



そして僕の就職活動は
ここで一旦終了する。



だがこの数ヶ月後
僕はこの会社の内定を辞退する。


だがそれはあまりにも
無謀な決断であった。


それはまた後日。





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