20代で両親を癌で亡くした僕の想い ~心の宿り木を目指して~

21歳の時に母を29歳の時に父を亡くした現在31歳の男です。 僕の経験や想いを書いています。 死別を経験した僕だからこそ誰かの役に立てるのではないか たくさんの愛情をくれた自慢の両親が生きた証を残したくて書き続けています。 身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

21歳の時に母を29歳の時に父を亡くした現在31歳の男です。
僕の経験や想いを書いています。
死別を経験した僕だからこそ誰かの役に立てるのではないか
たくさんの愛情をくれた自慢の両親が生きた証を残したくて書き続けています。

身近で見た癌発見前の体の異変、癌発見、入院、抗がん剤、告知、看病、別れの時、それぞれの死から感じた事など赤裸々に書きます。 読んでくれる方の何かのきっかけになってくれれば嬉しいです。

父と別れることになるかもしれない。母の時のようにこのままあっという間に別れの時間が来てしまうのではないか。僕はそんな悲しみに押しつぶされそうになりながらも一旦は平静を取り戻した。しかしふとした瞬間、僕はカバンに忍ばせておいた母の事を思い出しカバンのチャッ …
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父の身体から癌細胞らしきものが見つかった。ある程度の覚悟のようなものはできていたので意外と冷静に受け止められた。しかし現実は受け止められたものの徐々に悲しみが襲ってきた。だけど母の時は違った。自分で言うのも変だが母を失ってからのこの7年ずっと僕はいつか訪れ …
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父の検査が終わるのを待っている僕の元に3人の先生がやって来た。3人の中に先程父の診察をしてくれた先生がいた。僕は椅子から立ち上がり反射的に会釈した。すると残りの2人の先生のうち女性の先生が口を開いた。この女性の先生が父の主治医になったとのこと。するとその …
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入院が決まり血液検査、レントゲンなど父は看護師さんと一緒に車椅子に乗って各検査に向かった。時間にしてどのくらいだっただろうか。朝から病院に行き、診察をして検査。まだ午前中だったのははっきりと覚えている。時折、車椅子に乗った父が診察を受けた内科の待合スペー …
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あまりの血圧の高さに車椅子に乗せされた父。7年ぶりに味わうこの数分先、数時間先が全く予想できない不安と恐怖。果たして1時間後の自分は笑っているのかそれとも…。そしてついに父の診察の順番が回って来た。母の時と同様、どんな結果が出ようとも診断が下され、治療が …
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エスカレーターで2階に上がった僕と父は呼吸器内科へと来た。手続きをすると血圧を測るように言われた。父が血圧を測ると物凄い高い数値で看護師さん達が少し慌て始めすぐに車椅子を持って来てくれた。僕はもうこの時点である程度諦め始めていた。目の前で起こる事が次々とト …
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タクシーに乗り込み時間にして10分ぐらいで病院に着いた。父から財布を渡され支払いを済ませて先に僕はタクシーから降りた。父はゆっくり、ゆっくり座ったままお尻を滑らせ開いているドア側まで来た。僕は父に右腕を差し出した。父は僕の右腕を強く握りタクシーから降りた …
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今日2月2日は母の命日だ。2009年2月2日に亡くなったので今日で丸10年だ。母は53歳で亡くなった。生きていれば63歳。来月の3月が誕生日だから生きていれば64歳。なんだか10年という節目なためか母の早死に対し考えるのはなかなかない。64歳なんてまだま …
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母と死別してから僕にはずっと避け続けていた場所があった。その場所とは母が入院し、母が亡くなった病院。僕は母と死別してからその後の手続きなどで病院に行ったものの最初の数年間はずっとこの場所を避けていた。家から自転車で10分の場所にある病院。僕は出来る限りこ …
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つい先日大好きなドラマ下町ロケットの放送が終了した。今回のはシーズン2のようなものでシーズン1の時は父と一緒に見ていた。出来れば今回のシーズン2も父と一緒に見て感想を言い合いたかったな。熱いシーンを見る度にそう思った。だいたい日曜日は21時まで仕事の為、 …
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このブログを以前から読んで下さっている方達ならすでに御存知かとは思うがもう一度伝えようと思う。以前この記事でも書いたとおり僕はこのカエルのピクルスに出会った事で僕の心は救われた。母を亡くして傷ついた心をこのぬいぐるみが僕の心を救ってくれた。母が傍に居てく …
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先日都内某所で行われたとある撮影会に足を運んだ。僕は先月でもう31歳。独身で子供もいない。当日まで激しい羞恥心があり行くかどうか迷っていた。一体何の撮影会だったのかというと…。カエルのピクルスの撮影会。2回行われた撮影会は各回先着30組限定でこの大きなピ …
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母が亡くなった後、父が引き継いだように今度は僕が引き継ぐと決意した僕。父との話は止まらなかった。こんなに父と真剣に話したのは母の闘病中以来だったかもしれない。母の入院から母が亡くなった後に行った必要な手続きとそのやり方、葬儀のお金でだいたいいくらかかった …
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明日は父と病院に行く日。これまで以上にこの時が初めてだったかもしれない。父が居なくなった(=死別した)場合の生活を考えたのは…。もしそうなった場合もう頼れる人はいない。今までなら父が何とかしてくれたが父が居なくなってしまったら自分で考えて自分で行動して生き …
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ひょっとしたら明日父と病院に行ったら父は入院することになるかもしれない。ひょっとしたら母の時のように緊急入院、緊急手術、余命宣告、そしてこの家にもう帰って来られないかもしれない。僕は狭心症であってほしいと願っていたものの父が入院する前日にはこれまで"敢えて …
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2016年2月2日火曜日。この日は母の7回目の命日。僕は母の墓参りに行った。僕はこの3、4年ぐらい前から母の墓参りに行くと母にいつも同じお願いをしていた。(信ちゃんと洋ちゃん、家族全員がこれからも健康でいれますように)と。命日だけではなくお正月やお盆の節目 …
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父の事で頭がいっぱいだった僕は家の最寄り駅に着くと駆け足で家に向かった。走った影響と父の体が心配で家の門に着いた時には心臓がバクバクしていた。乱れた呼吸を整えながらカバンから鍵を取り出し玄関を開けた。「ただいまー」と言いながら急いでリビングに入るとそこに …
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時は2016年1月30日土曜日。この日僕は19時まで仕事だった。父はこの前夜、僕に病院に行くと約束してくれた。病院嫌いの父が自らの意思で病院に行くと言ってきた。ただ僕が教えた病院ではなく歩いてすぐの所にあるクリニックに行くと父は言った。僕は父の体力が続か …
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僕は父に対して怒りが収まらなかった。「何でこんなに心配しているのに 信ちゃんは今回も病院に行ってくれなかったの?」僕は思ったままに父に想いを告げた。すると父は何とも言えない表情で重い口を開いた。「行かなかったんじゃない、行けなかったんだ…。」と元気のない …
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仕事中ずっと父が病院に行ったのか気になっていた。父は元から病院嫌いの人だった。僕と兄は3つ違い。僕が高校受験兄が大学受験の時は同時に受験だった。そんな大事な年に父はインフルエンザにかかった。さらに僕が大学受験の時に父はノロウイルスにかかった。だが父は昔か …
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翌日僕は仕事だった。父が心配でいつもより少しだけ早起きした。父は普段と変わらない様子だった。そんな父を見てひと安心したのを覚えている。支度を済ませて家を出る前に父にもう一度、病院に行くように念押しした。父はボソッと「行く気力がない…」と言ってきた。僕はそ …
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父が異変を起こし寝てから数時間が経った。僕は逐一、1階で寝ている父の様子を見に来ては、父の気持ちよさそな寝息を聞いて安心し2階の自室へと戻るというのを繰り返した。この頃には僕はもう元気だった。自分で都合の良い診断を勝手に下したおめでたい奴だったから。仮に狭 …
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父が寝たのを確認すると僕は2階の自室へと戻った。そして先程の父の症状を自分なりに調べた。すぐに症状が治まった事呼吸困難だった事この2つが僕の中で大きな症状として印象に残り急いで調べるとある病気に先程の症状と近い症状が書いてあった。この半月後に父は入院しその …
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その時は突然やってきた。時は2016年1月。この日も僕は父が作ってくれた夕飯を食べた後、いつものように父にマッサージをした。この日は兄が夜勤の為、深夜1時まで仮眠が必要だった。2階では兄が夜勤に備え寝ている。僕は父に1分でも熟睡してほしいと入念にマッサー …
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ブログを開設して早1年。今年の5月に母編が終わりいよいよ次回より父編がスタートします。これまで数多くの方に閲覧頂きここまで書き続ける事ができました。また中にはコメントを下さる方も居て本当に励みになっています。同じように大切な人を亡くされた方達からのコメン …
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いつからだろう。いつしか僕は夜、食事を済ませた父にマッサージをするようになった。最初のきっかけは母が体に痛い所がありほぐしてほしいというのでマッサージをするようになった。非力な僕の力加減がちょうど良かったようで母には腰が痛い時など不定期でマッサージをした …
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日勤の仕事に就き気持ちに余裕が持てて父との時間がたくさん取れた。母が居た頃は仕事が休みの週末の昼食と夕食を作るのが父の担当だった。でも逆を言うと洗濯やお風呂洗い、食器洗いなどの家事全般は父は全くやらなかった。しかし母が亡くなってからというものの最初のうち …
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僕が30年生きてきた中で現時点でこの2015年が一番充実していた。当時もこの2015年が終わりそうな年末に「今年は充実していた年だったな~」と心の底から感じられていた。こうした充実した1年を過ごせたなと思える年を今後1年でも多く過ごしていきたいと思う。2 …
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僕の家のすぐ目の前には畑がある。母方の祖父は地主だった。子供の頃は毎日のように庭や畑でいとこや兄と遊んでいた。だが僕達が子供が大きくなるにつれ子供の時遊んでいた畑にアパートが1棟、そしてまた1棟と新たに建った。だが家の前の畑だけはアパートは建たず畑のままだ …
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母が亡くなって早6年。僕は母が亡くなってからしばらく経ってからは僕はもう父と兄を含め人前では決して泣かなかった。自分の気持ちに感情に何重にも何重にも蓋をしてこの6年過ごしてきた。この当時は未だに母が亡くなった事に対して向き合えず受け入れられず母と過ごした …
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意気揚々と花火大会会場へと向かう父。そんな父に面を食らったもののすぐに僕は嬉しい気持ちで一杯になった。言葉にしなくても僕は父と、父は僕と一緒に見に行くのだと以心伝心ではないけれどお互いがそう思い合えた事が嬉しくて。僕も父と深い所でしっかりと繋がっているの …
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